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155 ツボを押さえる

人の発達の段階で見えるもの、見えないものというのは存在する。
これは、幼年期から青年期の発達段階のみならず、成人して老年に至るにあっても同様のことが言えるだろう。


学習の話でも、ゆっくり丁寧に学ぶということは大切ではある一方、一定のスピードと負荷をかけることで分からないことを一旦隅に置き、とりあえず進んでみるという冒険心も重要であったりする。


進みながら、走りながら学んでいき、状況が学習させるという学び方も大切である。
ここでは活用が前提になっており、全ての知識を網羅的に学ぶのではなく、いかに適切な知識を選んでこれるかの勝負となる。
全体を知っていることと、実際にうまく問題を解決することは別次元という話だ。
名プレイヤーが必ずしも名指導者とは限らない。
逆もまた、然りである。
それぞれに要求される能力は別物で、教えようと思えばプロセスの段階でその人なりのコツを見出して、言語化したりデザインによってわかりやすく変換させることで他者を成長させる影響力を持つだろう。
もちろん、我流の理解だけでは汎用性が乏しく、実際にさまざまな形で試行錯誤して改善を繰り返す必要がある。


活用する学び方は武道や芸能の守・破・離で言えば、「離」の段階に当たるのではないだろうか。
もちろん、より小さなレベルの活用は、「守」や「破」の段階でも見られるだろう。
しかし、ある程度の知識や技能もある段階で、自分らしく活用するにあたり、その人の信念や哲学が活用に反映されて個性を帯びてくるようになるだろう。
人それぞれが持つ「持論」には理解と活用の往還によって、蓄積されてきた学びのノウハウとエッセンスが凝縮されている。
全体を理解し、自由自在に活用できる段階になった暁には、対象の押さえるべきツボが明瞭になっている。

ツボを押さえた授業が分かりやすいのは、教える側の思考法がわかりやすい形で組み込まれているからだろう。
人は知識を超えた、その人なりの思考法や信念に心を動かされるものではないだろうか。
より多くの人の心を動かす汎用性を求めて対象のツボを押さえ、発信することで質の高い学びを共有していきたい。

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