【散文】ロマネスクとゴシックのはざま
ユイスマンスの『大伽藍』を読んでいます。これはシャルトル大聖堂をテーマに、デュルタルという主人公の目から見た大伽藍についての夢想と考察のような小説です。小説の体をとっていますが、ヨーロッパ建築や芸術論の意味合いが大きい作品のように思います。
一般的には、11世紀から12世紀にかけて建てられた教会建築や修道院のスタイルがロマネスク、12世紀の半ばからロマネスクの要素をさらに発展、洗練させて生まれたのがゴシック建築と言われています。
ロマネスクの方が重厚な壁と石造りの半円型の天井のイメージ。ゴシックは天を目指す尖塔のイメージが強いですね。詳しく説明すると、「リヴ・ヴォールト」と呼ばれる円形状の天井や、尖塔アーチ、「フライング・バットレス」と呼ばれる外壁を支える飛梁が特徴的です。
下の写真が一目瞭然ですね。ロマネスクはどっしり。ゴシックは尖ってます。
おもしろくなって、ネットで色々な方のロマネスクとゴシックの解説を渉猟していましたら、藍谷鋼一郎さんの英国ニュースダイジェストに掲載されていた記事がひじょうに参考になりました。
ふむふむ、なるほど。冒頭に引用しているように、ユイスマンスはゴシック建築を、石の森に見立てていたな、と思いました。ゴシックの天高く伸びた聖堂は、森の中にいるかのような幻想を抱かせるようです。『大伽藍』の文中にも、聖堂と森を重ねた詩的な描写が続くところがあります。
松岡正剛さんの千夜千冊の1098夜、アンリ・フォション「ゴシック」の回で、石の森について言及していらっしゃいました。
ロマネスクは修道院時代を代表するもので、ゴシックは大聖堂時代を代表するものだというのは、言い得て妙です。ユイスマンスはこんな表現をしています。
それに対してゴシックは、畏怖にすくんでいないし、背筋はしゃんと伸ばされ、伏せられていた眼はまっすぐに上げられ、(ロマネスクの)墓から漏れてくるような声は熾天使のように明朗になる、としています。
ロマネスク、ずいぶんな言われようですけれど、主人公デュルタルの言葉に託して、ユイスマンスは持論を述べています。
東洋人の私の目から見ると、ゴシックが天の高き一点を目指してそそり立っているところなど、一神教的な精神性の極みだなあと思ってしまいます。それが力学的にも理に適った形状であるということは、承知していますけれど。東洋的な自然観にはない発想のように見えましたが、中世ヨーロッパの人々はあの屹立する尖塔に森を見ていたということが、何ともおもしろいです。
どちらかといえばゴシック贔屓な書き方に見えるユイスマンスに対し、ユゴーは小説『ノートル=ダム・ド・パリ』の中で、ゴシック建築に見られる装飾を「グロテスク」とか「おぞましい」ものとして書き連ねているのも興味深いところではあります。(結構ネチネチ書いていますよ、ガーゴイルとかよくわからない想像上の生物とかくっついてたりしますからね)
さて、ユゴーはノートル=ダム大聖堂について、『(ロマネスク建築からゴシック建築への)過渡的様式の建築なのだ』と書いています。
ゴシック建築と思っている建物だけれど、実は重曹的に幾つもの時代が重なっているのだということを、ユイスマンスも書いていました。ゴシックの伽藍を支えているのは、実はロマネスクの地下聖堂で、そもそも教会の立っている場所というのは、かつてドルイド教の聖地であったというように。
ユイスマンスの幻想的な描写とともに、とりとめもなくあちこちを彷徨い歩く思考を、ちょっとだけ書き残してみました。また読み進めて何か感じたら、続きの文章を書くかもしれません。