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【散文】ロマネスクとゴシックのはざま

 私から見てほぼ確実だと思えるのは、とデュルタルは想念の先を追い続けた、人間があれこれと異論の多い、あの尖塔アーチ式身廊の外観を見つけたのは、たぶん森の中だ、ということだ。

J.=K.ユイスマンス『大伽藍』第3章より 出口裕弘・訳

 ユイスマンスの『大伽藍』を読んでいます。これはシャルトル大聖堂をテーマに、デュルタルという主人公の目から見た大伽藍についての夢想と考察のような小説です。小説のていをとっていますが、ヨーロッパ建築や芸術論の意味合いが大きい作品のように思います。

 一般的には、11世紀から12世紀にかけて建てられた教会建築や修道院のスタイルがロマネスク、12世紀の半ばからロマネスクの要素をさらに発展、洗練させて生まれたのがゴシック建築と言われています。
 ロマネスクの方が重厚な壁と石造りの半円型の天井のイメージ。ゴシックは天を目指す尖塔のイメージが強いですね。詳しく説明すると、「リヴ・ヴォールト」と呼ばれる円形状の天井や、尖塔アーチ、「フライング・バットレス」と呼ばれる外壁を支える飛梁が特徴的です。

 下の写真が一目瞭然ですね。ロマネスクはどっしり。ゴシックは尖ってます。

ロマネスク建築(ドイツ トリーア大聖堂)
ゴシック建築(イタリア ミラノ ドゥオモ)

 おもしろくなって、ネットで色々な方のロマネスクとゴシックの解説を渉猟していましたら、藍谷鋼一郎さんの英国ニュースダイジェストに掲載されていた記事がひじょうに参考になりました。

 ゴシック建築では、それまでの石造建築の常識を覆す、木造のような柱と梁の構造が石で実現された。当然、荷重が過多のため構造体の崩壊が始まるが、それを食い止めるために横方向から壁を抑え込む「フライング・バットレス」と呼ばれる工法が生まれる。この半アーチ型の「飛び梁」のお陰で、柱と柱の間を開口部として広く開放することが可能になったのだ。また、フライング・バットレスの出現によって高さの追求も可能になり、分厚い壁で建物を支える必要がなくなった。そのため、先の尖った尖頭アーチの窓一面に、宗教画などのステンドグラスをはめ込むことなどが出来るようになった。
 ゴシック教会の内部空間は、しばしば聖なる森に喩えられた。当時、都市の中で自然と向き合える空間を求めて、あるいは司教の権威を知らしめるため、壮大な大聖堂が各地で熱望され建設されていった。一説には、森林を切り開いて農地や都市に変えた市民の懺悔心を、巧みに宗教心に結び付けるための演出だったともされる。

藍谷鋼一郎 知って楽しい建築ウンチクより

 ふむふむ、なるほど。冒頭に引用しているように、ユイスマンスはゴシック建築を、石の森に見立てていたな、と思いました。ゴシックの天高く伸びた聖堂は、森の中にいるかのような幻想を抱かせるようです。『大伽藍』の文中にも、聖堂と森を重ねた詩的な描写が続くところがあります。
 松岡正剛さんの千夜千冊の1098夜、アンリ・フォション「ゴシック」の回で、石の森について言及していらっしゃいました。

 ゴシックは森林をメタファーにした“石の森”だったんです。それとともに「石で読む聖書」「石による百科全書」を作ったのがゴシックです。パノフスキーが『ゴシック建築とスコラ学』(平凡社→ちくま学芸文庫)でその解読を試みていますね。これがいわゆる「大聖堂の時代」「カテドラルの時代」です。十二世紀末からがピーク。シャルトルだけでなく、ランスの大聖堂も、ブルージュ、アミアンのノートル゠ダム大聖堂、ボーヴェの大聖堂とか、イギリスのソールズベリー大聖堂やケルンの大聖堂とかとかね。それが約100年続く。のちのちヴィクトル・ユゴーやユイスマンスもこのカテドラルの解読にとりくんだ。

千夜千冊 1098夜 アンリ・フォション「ゴシック」より

 ロマネスクは修道院時代を代表するもので、ゴシックは大聖堂時代を代表するものだというのは、言い得て妙です。ユイスマンスはこんな表現をしています。

 ロマネスクは生まれながらの老人なのじゃなかろうか、とデュルタルはしばし思念を中断したのち考えた。いずれにしてもロマネスクはどこまでも陰鬱で畏怖にすくんでいる。(中略)
 あの分厚い隔壁、朦霧のたちこめる穹窿、重々しい列柱の上にのしかかる低い迫持、固く口を閉じた石塊、質実な装飾 そこに含有される夥しい涙と悲しげな呟きとは、さして言葉を費やさずに、見事に自分たちの象徴性を語っている。つまり、ロマネスクは建築上のトラピスチヌ修道院なのである。

J.=K.ユイスマンス『大伽藍』第3章より 出口裕弘・訳

 それに対してゴシックは、畏怖にすくんでいないし、背筋はしゃんと伸ばされ、伏せられていた眼はまっすぐに上げられ、(ロマネスクの)墓から漏れてくるような声は熾天使のように明朗になる、としています。
 ロマネスク、ずいぶんな言われようですけれど、主人公デュルタルの言葉に託して、ユイスマンスは持論を述べています。

 東洋人の私の目から見ると、ゴシックが天の高き一点を目指してそそり立っているところなど、一神教的な精神性の極みだなあと思ってしまいます。それが力学的にも理に適った形状であるということは、承知していますけれど。東洋的な自然観にはない発想のように見えましたが、中世ヨーロッパの人々はあの屹立する尖塔に森を見ていたということが、何ともおもしろいです。

 どちらかといえばゴシック贔屓な書き方に見えるユイスマンスに対し、ユゴーは小説『ノートル=ダム・ド・パリ』の中で、ゴシック建築に見られる装飾を「グロテスク」とか「おぞましい」ものとして書き連ねているのも興味深いところではあります。(結構ネチネチ書いていますよ、ガーゴイルとかよくわからない想像上の生物とかくっついてたりしますからね)

  さて、ユゴーはノートル=ダム大聖堂について、『(ロマネスク建築からゴシック建築への)過渡的様式の建築なのだ』と書いています。

 それにパリのノートル・ダム大聖堂は、一定の建築様式に、きちんとくり入れられるような建物では全くないのだ。もうロマネスク式聖堂とも呼べないし、またゴチック式聖堂とも呼べないのだ。

ヴィクトール・ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』より

 ゴシック建築と思っている建物だけれど、実は重曹的に幾つもの時代が重なっているのだということを、ユイスマンスも書いていました。ゴシックの伽藍を支えているのは、実はロマネスクの地下聖堂で、そもそも教会の立っている場所というのは、かつてドルイド教の聖地であったというように。

 ユイスマンスの幻想的な描写とともに、とりとめもなくあちこちを彷徨い歩く思考を、ちょっとだけ書き残してみました。また読み進めて何か感じたら、続きの文章を書くかもしれません。

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