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『客観性の落とし穴』(村上靖彦 著 ちくまプリマー新書 2023)読書感想文

客観性はとても重要だ。客観的な意見や客観的な事実(エビデンス)は何かを議論する際、何かを判断する際に重宝される。そんな「客観性」にも「落とし穴」があるのか、という気掛かりが本書を手に取る動機だった。

本書は客観性が持つ不備などを指摘するものではない。本書を書くきっかけは著者による以下のtweetだったそうだ。

著者の問題意識は上記tweetにもある「客観性信仰・統計信仰」である。本書の中でも繰り返し述べられているが、著者は客観的なものを否定したいわけではない。しかし、(著者の授業を受ける学生を含む)現代人が、あまりにも客観的なものに価値を置き過ぎていることへ危機感を持っている。

本書の前半では、「客観性信仰」が如何に私たち自身、そして、現代社会を苦しめているのか、について論じられている。後半では、客観的ではないが意味のある個々の経験や語りについて焦点が当てられる。著者はそれを「経験の生々しさ」と呼ぶ。そして、その「経験の生々しさ」にアプローチする研究手法の一つとしての「現象学」を紹介している。

私たちは無自覚のうちに、数値や客観性という呪縛に囚われ、自分たち自身を苦しめているのかもしれない。また、数値や客観性以外の大切なものを見落としてしまっているのかもしれない。著者は以下のようにも書いている。

数字による束縛から脱出する道筋を本書は探してきたが、それは数字や客観性を捨てるということではない。繰り返すが、問題は、客観性だけを真理として信仰するときに、経験の価値が切り詰められること、さらには経験を数字へとすり替えたときに生の大事な要素である偶然性やダイナミズムが失われてしまうことだ。「客体化と数値化だけが真理の場ではない」ことを理解する方法が問われている。

本書p134-p135より抜粋。

知らぬ間に「客観性信仰・統計信仰」という呪縛にとらわれているのではないか、と私たちを揺さぶってくれる一冊だった。そして本書は、自らの手からこぼれ落ちてしまった、もしくは、今にもこぼれ落ちそうになっている「経験の生々しさ」に目を向けてみる機会を与えてくれるものであった。

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