『「私物化」される国公立大学』(駒込武 著 岩波書店 2021)読書感想文
時代と共に大学の在り方も変化する。イノベーションの創出やグローバル人材の育成といったことは、国や産業界から強く要請されている事柄だろう。そういった要請と併せて、大学にはガバナンス(管理・運営)改革も求められている。
大学のガバナンス改革における中核の一つは学長のリーダーシップの確立である。学長がリーダーシップを発揮し、大学をより良く改革していくことは大学が社会と共にアップデートしていくために必要だろう。しかし、その「リーダーシップ」が学長の持つ権限を肥大化させ、大学を「私物化」するような事態に繋がってしまうことがある。
本書では、七つの大学における「大学の私物化」=「学長の暴走」の事例とそれに対する現場の反感や危惧についての報告が収録されている。
本書では以下七つの大学の事例について各章で書かれている:下関市立大学(第1章)、京都大学(第2章)、筑波大学(第3章)、大分大学(第4章)、北海道大学(第5章)、福岡教育大学(第6章)、東京大学(第7章)。
本書「はじめに」や「おわりに」で解説されているが、学長が選出した選考会議が次の学長を選出したり、学長が学部長を選出する仕組みが現在の大学では成り立ってしまう。このような学長選考システムが「大学の私物化」ないし「学長の暴走」を招くとされている。
上記のようなシステムは、学長および一部の役員とそれ以外の教職員との間に断絶を生む。教授会の権限は一昔前の大学と比べると、貧弱になってしまった。現場の意向が、大学のガバナンスに強く影響を及ぼすことは難しい現状がある。
本書で挙げられている大学を見ると、多様性がある。つまり、「大学の私物化」や「学長の暴走」が起こるのは、「東大・京大だから」とか「地方大学だから」などと他人事にできない。様々な大学に起こり得ることなのだ、と本書を通して痛感する。
本書の事例を読むと、大学の未来が不安になる。しかし、より多くの人がこのような実情を知ること、知ろうとすることも、大学への「監視」となり、さらなる「大学の私物化」や「学長の暴走」に歯止めをかけられるかもしれない。