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「カメラ界隈」はなぜ荒れるのか。

今回は個人的な考察の記事です。
結論としてはシンプルでポジティブな意見なので安心して読んでください。
※飽くまで個人の見解です。

何を考察するかと言いますと、タイトルの通りです。
SNS(主に文字を使用するもの)で、「カメラ界隈は荒れている」と揶揄されることが多いと思います。私自身もそのように思うことがしばしばあります。きっと理由があると思うので、調査してみました。

まず、「荒れる」の定義についてですが、SNS上で対立構造が生まれ話題になっていることを荒れていると表現しています。


【批判的思考について】

対立構造が生まれる主な原因は批判だと考えます。火のないところに煙は立たないので誰かが必ず発火させているはずです。問題提起をする発言や、その人の意見が発信されていても、批判的な反応が起こらなければ、対立が生まれてしまうことはないからです。例えば、「NIKON最強!!」と誰かが呟いているのに対して「いやいや、Canonが最強でしょ!!」と対抗馬や自分の反対意見をレスポンスしなければ、対立の構造は生まれないはずです。「なぜ批判してしまうのか」ということを調査してみます。

批判とはそもそも「良し悪しをはっきり見分け、評価・判定すること」という否定的な意味合いを含まないものなので、「批判ではなく飽くまで個人の意見です」という内容のレスポンスも、自身の意見と相手の意見を弁別しているという点で批判的思考が働いているので「批判」と定義します。

心理学的観点から批判的思考のプロセスを学ぶ

まず、心理学の知見を考察するために論文を読んでみました。

タイトル:批判的思考概念の多様性と根底イメージ
著者:道田泰司
https://core.ac.uk/download/pdf/59159486.pdf

参考資料: 琉球大学学術レポジトリより、 心理学評論、 46(4): 617-639, 2003

論文によると、批判的思考の概念は多様で、その定義や測定方法には一定の幅があり、共通して重要視される要素も存在しているとのこと。その中でも批判的思考の定義として、代表的なものが挙げられており、下記は要約です。

創造性
批判的思考と創造的思考は相互補完的な関係にあり、批判的思考は主に論理的な評価に焦点を当てる一方、創造的思考は新しいアイデアや解決策の生成に重点を置きます。創造性には批判的思考の一部として重要であり、新しい視点や発想を生み出す能力が批判的思考のプロセスに組み込まれています。

▷つまり、熱意や向上心があり、創造的思考が高い人ほど批判をしやすいということ? 

共感と配慮
共感は、他者の視点や感情を理解し尊重する能力であり、批判的思考において重要な要素とされています。Clinchy(1989)の「信じてみるゲーム」というアプローチを通じて、他者の意見や立場を一時的にでも受け入れ、その上で批判的に評価することの重要性が述べられています。共感と配慮は、公平さや倫理的判断を支える基盤として機能します。

▷相手の見解を理解しない批判は、時にただの否定になってしまうと理解

領域特異性
批判的思考は、特定の領域において発展しやすい傾向があります。各領域にはそれぞれの基準や評価方法が存在するため、批判的思考のスキルはその領域に特有のものとなります。。

▷カメラ界隈は、値段、用途、職種、被写体、または被写体そのものの特性など、いくつもの評価基準が存在し、個々がそれぞれの領域特異性を持って批判しているため噛み合わず、荒れる。

態度
批判的思考には、スキルだけでなく特定の態度や傾向が必要とされます。これには、知的誠実さ、公正さ、知的勇気、知的忍耐などが含まれます。これらの態度は、批判的思考を行う上での動機付けや倫理的指針を提供します。態度は、批判的思考が単なる技術的スキルではなく、倫理的および感情的な側面も持つことを示しています。

▷発言、反応する前にネガティブな感情が先立ってしまっていないか、投稿前に一呼吸おきたい

過程
批判的思考のプロセスには、情報の収集、分析、評価、推論、説明が含まれます。これらのプロセスは、批判的思考が一連の連続的な活動として機能することを示しており、思考の質を向上させるために各ステップが重要です。

▷事実確認して批判しているのか、分析した上での批判なのか、断定なのか推論なのか。大事。

領域特異性がぶつかり合う原因

なるほど、批判の心理やプロセスについては、何となくわかりました。しかし何でカメラ界隈と揶揄されるほど対立構造が生まれてしまうのか。おそらく、これは前述の「領域特異性」が関係していると推察します。思いつく限り火種となっていそうなカメラの論点(領域)を羅列してみます。

  • スペック

  • メーカー

  • 被写体

  • 被写体自身の特性に付随する問題(ポートレート、鉄道、登山 etc)

  • 職種

  • お金

  • 芸術性

  • モラル

  • 価値観

おそらく山ほどありますが、他の趣味よりも多くの論点にカメラが関わってしまっているため、「カメラ界隈」と一括りにされてしまい、相容れない領域が反発しあっているのだと考えます。カメラという枠で一括りになっているため他の特有の領域がSNSのアルゴリズム(おすすめ機能など)で集められてしまい、目にした人が意見を言うことで、他の領域をもつ人が反発している状態です。様々な意見がぶつかり合う、戦乱の世と化しているように見えます。

例えば、

Leica撮りましたに対する考えうる批判(否定含む)

おそらく発信する側は意見でも何でもなく、気軽に写真を投稿するだけだと思うのですが、これだけのおせっかい批判が飛んでくる可能性があります。

このような批判(否定?)的なレスポンスをする背景には、それらを送る側自身に信じるものや心理的に気にしていることがあり、「私の間合いに入ってきたな」と感じてしまうのだと考えます。ブレない写真を正義としている人はブレている写真に反応するし、買いたいけど買えない人はLeicaという言葉に反応してしまったり、などのケースです。

後述しますが、カメラ界隈にはこのような間合い(領域)が多く重複してしまっているので、軋轢とした雰囲気が生まれてしまうと推測します。

【カメラほど炎上の火種を持つ物はない?】

飽くまで私の推測で立証のしようはないのですが、カメラほどたくさんの領域が重複して存在するモノはないと考えています。様々な要素がありすぎてどこで発火するかわからないくらい火種があります。いくつかのジャンルを例に挙げてみます。

カメラを使う人口と多様性
絵描き、文学、音楽、彫刻、イラストレーター、デジタルアート、建築など、考えうる様々な創作のジャンルがあると思いますが、「写真」ほど創作する人の母数が多いジャンルは無いと思います。シャッターを押すだけで写真は撮れます。また、スマホにカメラが搭載されていて、スマホ上で写真や動画の撮影や編集ができることを考えると、最も多くの人の身近にある創作活動のツールがカメラだと思います。それにより多様な価値観を持つ創作者が「カメラ界隈」に内包されてしまい、それぞれが反発してしまっている気がします。芸術を求める写真家の意見と、バズを求めるフォトグラファー、ハウツーを紹介するYouTuber、スマホカメラで副業したい一般人、などの間で意見が合わないのは仕方のないことだと思います。

再現性(スキル習得の効率性)
カメラはシャッターを押すだけで誰でも撮れるので、絵や文章や音楽やダンスなどの表現方法と違い、スキルを身につけるのが容易です。そしてそれを自己表現の創作物として発露できるので、絵や音楽で自己表現するよりも圧倒的に時間的効率がいいです。決して悪い意味では無いです。時間をかけて撮った奇跡の1枚に対して”効率”の話なんて失礼に当たるので表現が難しいのですが、飽くまで、一般的な話として、絵を描いたり文字起こしするよりも写真を撮った方が掛かる時間は短いというだけの話です。これによって、無数の「作品」が創作されるため、様々な問題提起が発生してしまいます。例えば、制作時間や苦労度が人によって違うので、ふらっと街を散歩してインスタントに撮影された作品が、自分の長い年月をかけて撮影した作品よりも評価が高ければ、思うことはあるかもしれません。また、自分独自の発想やスキルなどが効率的にトレースされてしまうなど。これらの性質が火種になりそうです。

価値性
一般的にカメラは高価なものとしての認識が強く、一般人でも手の届く金額で幅広く販売されているので、人によって違う金銭的価値観が火種になりやすい傾向にあると思います。昨今の値上げや可処分所得の減少が影響している気がします。発信している側は特に気にしないでいいと思うのですが、「Leiceで撮る○○」=「ベンツで○○に行った」くらいの温度感で見ている人がいるのも事実だと思います。火種にはなる気がします。また、高いものを買っているという認識から、ユーザーからメーカーへの目線も株主並みに厳しい印象です。

趣味性
前述の項目と重複するのですが、趣味でカメラを使う人は多いです。仕事でもカメラを使う人がいて多種多様です。プロの方が、趣味やハイアマチュアの方の発言に対して思うことのあると思います。趣味層〜プロ層まで幅広いですが、カメラは趣味としてはじめやすく、一定のスキルの習得が簡単なため、「よく撮れた!」と成功を経験して熱量が高く沼る人が多い印象です。これは全く悪いことではないのですが、熱量が高いからこそ、沸点まで到達しやすくなってしまっている気がします。例えば、機材のプロの方がアマチュアのカメラの使い方を間違えている人に「カメラの拡張パーツのつける位置が違う」などの発言をすると、それを否定的に捉えた場合に、「道具をどう使おうが勝手じゃん」というような反対する立場を取ったりすることがあると思います。趣味で使う人とプロでは用途や作法が違う(または知らない)と思うので、仕方のないことだと思います。他人の老婆心は一旦受け取って、第三者は口出ししないのが良いと思います。空リプもネガティブに働くので良くないと考えます。

現実性
写真や動画は飽くまで現実で目の前で起きていることを写しているということが絵などと違います。飽くまで現実の出来事なので、SNSとの親和性が高く、カメラ界隈内外で発火しやすくなっているように思います。可愛い野生動物の写真がバズるなど、良い意味で働くことも多いと思うのですが、別の観点で問題提起してみると「絵で描いた動物の遺骸」は許せるけど「写真で撮った動物の遺骸」には嫌悪感を覚える。というような人それぞれモラルが異なる部分で、火種があるように思います。現実を写しているからこそ、人の心に訴えるものがあるのだと思いますが。

定量性
写真表現は人それぞれ多種多様で定性的なものではあるものの、カメラのスペックや金額は数字で具体的に表せるため定量的です。これが他の家電や趣味品と大きく異なるかなと思います。しかも定量的に示せる指標が多すぎます。カメラ重量、連写、最大撮影時間、センサーサイズ、4K、記録媒体、チルト、などなど、、、自作PCや自作キーボード界隈、ハイレゾスピーカー界隈でも、カメラほどスペックは多種多様でないと思います。しかも、人によって重要視するスペックが違うので、カメラ好き同士でも話が噛み合っていないことがしばしば見受けられます。動画用のカメラとしてスペックを評価している人と、スチル用カメラとしてスペックを評価しているなどのケースです。この自分の指標を示さずにSNSで発言して、懐疑的な購入検討者から質問をされて話が噛み合っていないケースなどをよく見る気がします。

【カメラ界隈が荒れないようにするために】

荒れる理由がたくさんあるのはわかりました。しかし、それが起こらないようにするためにはどうすればいいのか。結論、不可能だと思います。批判の火種は無数にあるので、上記の私の推測は氷山の一角に過ぎず、カメラを買って写真を撮ってSNSに投稿する以上は、いつか何かしらのカメラ界隈の荒れを見ると思います。「沈黙は金」と言いますが、グッと堪えて細い目で見ているのが一番良いと思います。

ここで、最初に読んだ論文に立ち返ります。批判とはどうしてもネガティブに働きがちですが、実は批判的思考は創造的思考と相互補完的な関係にあります。もしも批判をする時は、きちんと正しく行うことで、建設的なものになるかもしれませんね。

【知的誠実さ】
事実に基づいた誠実な批判を心がけます。
データや証拠を曲げず、公正に評価します。
▷批判する情報は確かな情報ですか?

公正さ】
全ての意見や視点を公平に考慮し、一方的な批判を避けます。
▷相手の言いたいことを理解していますか?
▷感情的に一方的になっていませんか?

知的勇気】
不人気な意見や異なる視点にも開かれた態度を持ち、正当な批判を行います。
▷相手の立場や考えを理解した上で、それでも批判しますか?

知的忍耐】
簡単な解決策に飛びつかず、複雑な問題を深く考察する忍耐力を持ちます。
▷その批判をして解決策は生まれそうですか?
▷その批判のゴールは明確ですか?
▷明確でない場合は、その批判必要ですか?

【ここで、私の批判への対応を見てみます】

私のこの発言に対し、

【批判1】
1000枚も撮ってるようじゃ仕事頼めるレベルじゃないな。
▷即ブロック

【批判2】
C1を殴り倒しているという表現が稚拙。ブロックさせていただきました。
▷即ブロック

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以上です。

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