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【シン・ウヨク論6】 非正規雇用はなぜ生まれるのか


 今回の新型コロナ禍における経済状況や、少し前のリーマンショック時のように、経済が厳しくなると非正規雇用の人材や派遣社員などは雇用を失い、社会的にも大きな問題になります。

 逆説的ですが、実は、こうして非正規雇用が職を失ったり、仕事が減少することこそが、「雇用の調整弁」「生産の調整弁」そのもので、人々が雇用から放り出されることは、言い方は悪いものの

設計図どおりの、そのためのしくみである

と言えるかもしれません。


 こういうことを書くと、どうしても人は感情論になってしまい、「可哀想だ」「仕事がないということはつらいことだ」「そんなことが書けるのはお前が仕事を失っていないからだ」といった反応が起きるかもしれませんが、そもそも「非正規雇用」とはそのためのしくみなのですから、

 そうした仕組みを作り、運用している人たち

を責めるべきで、その事実を書いた私個人を責めたところで、何も解決はしません。おいしい思いをしているヤツらは、他のところにいて、ただ黙っているのです。


 非正規雇用を、仕事の調整弁として放り出すしくみは、日本独自のものです。では欧米ではどうなっているかというと、

正規雇用を放り出す

ということをやっています。今回のコロナショックでは、アメリカにおいて

2500万人が失業

しました。


 正規・非正規という枠組みの差がなく、「同一労働」が当然の社会では、

「正規雇用が突然失われる」

ということが当たり前におきます。調整弁がなく、いきなり圧力が高まると釜のふたが全開になってしまうようなものですね。


 どちらがよいか、どちらがマシかという話なのかもしれませんが、日本の経済界は、どちらかというと

「正社員をバシバシ解雇できるようにしたい」

と思っており、そのための法整備が進められようとしています。ようするに、ちょっと退職金を上乗せするだけで、バンバン退職させることができ、かつ気に入った人材をバンバン就職させたい、ということです。

 人材の流動性を高めたい、なんて言葉で表現されます。


 これは2500万人が失業する欧米型の職業社会で、2500万人が一夜にして失職するけれども、そのうちまた2500万人がどこか別の職業市場で雇用に就く、という形になっています。

 だから文句無いだろう、だからいいだろう。というのが欧米社会の理屈です。


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 それはそれとして、いずれにしても経済的ショックの際は、どこかで雇用が打ち切られます。そのスタイルが正規、非正規の2段階になっているところが

日本らしい

と言えるだけです。

 さて、ここからが本題。非正規雇用がなぜ日本で生まれるのか、というそもそも論ですが、それは

日本が封建社会

だからだと、橘玲さんあたりもよく言っていますし、私もそうだと考えています。

 封建社会というのは、簡単に言えば「身分制度」があるということです。実際のところ「正規雇用」と「非正規雇用」という2段階の身分制度があるようなものですね。


 みなさんは歴史の教科書で「日本には武士と農民という身分の違いがあったんだよ」と習ったり、あるいは親族の間で「うちの先祖は武士だったらしい」とか、「うちは農民だったけど庄屋だった」みたいな話をしたことがあると思いますが、もう数百年すると

「うちは昭和年間以来の正規雇用の家系だ」とか「うちは令和時代に非正規の家系になってしまったらしい」

といった昔話が出ることと思います。たいへん差別的で残念な言説ですが、私たちがイメージする江戸時代の身分制度は、まさに今の正規・非正規と同じだからです。


 江戸時代の武士には正規武士と非正規武士がいました。正規武士の中にも、藩主に会える資格と、藩主に会えない資格がありました。

 子供の代にも同じ職にありつけるのが正規の武士で、その人一代限りで武士の資格を得るのが非正規武士でした。

 つまり、武士の「身分」では、永代に渡って身分が保証されているか、それとも「一時期(一代)だけか」という違いが大きな差異だったのです。

 これは私たちの「正社員」が定年まで身分が保証され、「非正規」が一年更新なのと同じです。

 子や孫の代まで巻き込んでの長い年月なのか、今のように単身での話かの違いはありますが、時間のスパンが異なるだけで、構造は同じです。


 農民にも2つの身分があり、「土地を持っている農民」か「土地を持っていない農民(水呑み)」かに分かれていました。

 面白いことに、土地を持っていない農民は、農民の資格すら満たしていないので、年貢がかかりません。年貢を払わなくて良かったのですが、ただ土地を持っている農民の下で単純労働者として非正規雇用されていたのです。

 年貢は、正規農民である「土地を持っている農民」だけが払います。つまり、土地に対する「固定資産税」だったことがわかります。


 とまあ、ここまでは江戸時代にも「正規と非正規がいた」という事実を伝えただけですが、ではどうして「正規」と「非正規」の違いが生じてきたのでしょうか?その誕生は、意外なところにあります。

 その一番最初の出現は「皇室」でした。日本人なら誰もが知っているとおり、天皇になれるのはその代で一人だけですから、きょうだいがたくさんいると、一人以外は天皇になれない、ということがおきます。

 最初のうちは、彼らも含めて「皇室」として存在しますが、だんだん皇室の人間が増えてくると朝廷は全員を養うことが難しくなるわけです。そこで「源氏」とか「平氏」という苗字を与えて家臣の身分に落とします。これを臣籍降下といいます。

 現代の皇室でも、「天皇家」があり「宮家」があり、最終的には普通の国民とおなじように扱われる「元皇族」がいるように、身分制度ではどんどんと格式が下がってゆくということが絶対に生じるのですね。皇室であっても天皇になれない人は、いずれ竹田さんみたいに普通の人になってゆくわけです。

 

 源氏や平氏になると、朝廷からはお金は自動的にもらえません。もちろん、地方官僚として派遣されれば、現金は入手できますが、それは朝廷から給付されるのではなく、その地方の年貢が上がってきた中から賄われることになります。つまり、朝廷からのお給料は差し止めになり、自分で地方社会で稼ぐことになるわけです。

 まるで、「コロナで会社はストップしたので、副業で稼いでね!」と言われたかのような処遇ですね。

 地方の長官になれたらまだマシですが、その子孫が10人くらいに増えてくると、当然ですがポジションが足りません。なので、だんだんとそのエリアの中で在地の豪族の娘と結婚したり、あるいは自分たちで人をつかって新田開発をして、自分の領田を増やそうとします。そのたんぼを「名田」と呼び、そこからその土地を自分のものだと示すために「苗字・名字」が誕生しました。

 なので、”武田”とか、”新田”とか、自分のエリアを示す名字を使うようになりましたが、彼らは本当は「源氏」です。武田信玄は源氏ということです。今大河ドラマで話題の明智光秀も、「源氏」で「明智荘」というたんぼを領地としていたので「明智」を名乗ったわけです。

 これらは、源氏という肩書きだけではお金が出ないということで、その土地で「起業」したみたいなものでしょうか。名字は地方でのスタートアップを意味するわけですね。


 皇室であれ、武士であれ、「正規」であるためには、その自分の持てる権益を維持し、継承してゆかねばなりません。それが継承できるのは、おおむね長男がそうなることが多いけれど、いわゆる「嫡子」だけでした。

 次の天皇になるのは、長男もしくは嫡子、次の武家当主になれるのは、長男もしくは嫡子、という形です。これは現在までおんなじで、田舎の実家を継いだのはほとんどは長男で、あるいは次男の場合もあるけれど、それ以外は都会に出ているはずです。


 つまり、封建社会においては「権益を自動的に継承できる嫡子の家系」が正規であり、それ以外はおのずと「非正規」の道を進むことになったわけですね。

 きょうだいが多いということは、かならずそうしたことが起きるというしくみです。

 (ちなみに、戦国時代などの戦乱の時代は、戦でバンバン人が死ぬので、長男だけぬくぬくと生きるわけにはいきませんでした。戦の戦闘で当主が死ぬこともあり、この時代は意外と一族郎党が一致団結していたという側面はあります。しかし、平和になると、やはり正規と非正規の分離が目立ち始めます)


 江戸時代になると、実家のたんぼを継げるのは長男だけなので、次男以降はしだいに江戸などの都市へ出て、商人、町人へと変化してゆきます。江戸という都市は男社会で、結婚できない男子があぶれていましたが、彼らは子孫を残さず亡くなり、また地方から次男以降が供給されることで江戸は維持されていました。

 ということは現在において、都市部で派遣社員の若い男女が非婚のまま死んでゆくというのは、江戸時代ととくに違わないということですね。

 都市生活者というのは、基本的には継承すべき土地を持たない、消費型の人たちということです。

 また、正規社員になって、家族を持って養える一部の人間だけが、子孫を次へ伝えてゆくというしくみが、実は日本では数百年、まったく変わっていないということです。


 こうした正規、非正規の仕組みが起きるのは、ぶっちゃけて言えば日本が島国だからです。世界のほかの国では、戦争が起きてもたいていの場合は地続きである「他国」と戦います。そうすると、その他国から収奪し、その他国の人間を奴隷として扱うので、自国民は常に「正規民」として存在できます。「非正規」なのは、異国民や植民地先の民だからです。

 そして、自国民の安寧のために、他国民や連れてきた奴隷を使い捨てし、また他国から連れて来て供給したり、植民地から利益を収奪したりしてきたのが世界の先進国です。

 つまり、彼らの場合は「非正規」は必ず外にいるので、自国内では「正規」の概念しか存在しないことになったのです。


 ところが日本は、海外進出したのは秀吉の朝鮮出兵と日中戦争時ぐらいのもので、基本的には国内でずっと争っています。そうすると、もともとみんな正規ですが、勝った負けただの、どっちが上だだのやっているうちに

「日本人同士で正規非正規、上下を分ける」

ことに、ならざるを得ませんでした。なので、現在でも、日本社会は「正規・非正規の区別」が好きなのです。

 みんな平等だと安心できないのは、国内のことしか見ていないからで、欧米はずっと外に「自国民より下のものがいる」と思ってきているため、「(内部である)自分たちは平等だ」と平然と思えるわけですね。すごい話ですが。

 もちろん、日本でも外国人研修生などを連れて来て、劣悪な条件で働かせていますから

「欧米か!」

とつっこんでもかまいません。


 そろそろ、結論アンドまとめに入りましょう。こういう理由ですから、日本では「正規・非正規」の身分制度は意外と無くならないでしょう。なんだかんだ言って、だらだらと形を変えて似たような仕組みが続くと思います。

 そして、それをもし社会的になくす時がくると、逆に欧米のように、

「正規も非正規もないんだから、誰の利益も権益も守らねえぞこら!」

という方向へ行くことは確実です。つまり、全員放り出されるということです。

 奇しくも大企業では45歳になるとリストラがはじまっていますが、こういうのはその証ですね。正規社員だろうが、非正規だろうが、いつでも放り出される平等な社会が、やってくるほうがいいのかもしれません。


 あなたはどちらの社会が好きですか?





 

 



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