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【新・資本主義をチートする・スペシャル】学歴はなぜ機能しなくなったのか (前編)

 

 この世知辛い資本主義のセカイを、なるべく生き生きと幸せに暮らしてゆくためのちょっとしたライフハックというか、資本主義チート術をお伝えしている当シリーズですが、先日

において「学歴があっても、資本主義のセカイではなかなかうまくいかないことがあるよね」というお話をしたところです。

 というわけで、今回は特別講座がてら「学歴」についてマジメに語ります。


 学歴はあったほうがいいのか、ないほうがいいのか。学歴が役に立つか、立たないのか。学歴がモノを言う時代か。そうでないのか。

 巷にはいろんな言説があって、「学歴があってもニート」は存在するし、逆に「学歴フィルター」なるものが就職活動にあったり、「勉強ができても使えねえやつ」がいたり、「ガテン系では稼げなくなってきた」り、それはもう

 学歴をとりまくあれやこれやが、ごっちゃごちゃ

になっていて、どちらが真実なのか、よくわからない感じになっているのが現代かと思います。

 そこで、いちおう元高校教師であるヨシイエさんが、教育の現状、学歴学校歴のリアルなんかを交えながら、この問題をしっかりと整理してゆきたいと思います。



 というわけで、この「前編」では、

学歴になぜ価値があったのか

という、前史の部分からスタートしましょう。

 学歴は、少なくとも明治維新から戦後、経済成長時代からバブル期くらいまでは、十分に価値がありました。ですから今でも「学歴は大事だ」という人は、このあたりの価値観を引きずっている感もあります。

 「資本主義をチートする」というこの一連の連載の前半で、資本主義とは何かについてズバリお話しましたが、それは「情報の非対称性」であるということでした。

 資本主義とはつまり、「情報を持っている側が、それをお金に換える行為」ですから、学歴がある、学力があるということはすなわち

「知識(情報)を所有している」

ということがキモになったわけです。

 明治に日本の学制がスタートして、旧制中・高等学校が整備され、それから現在の大学制度へとつながってゆきますが、近現代の前半というのは

「欧米から新しい情報を仕入れて、それを国内でそのとおりマネすればよかった時代」

に相当します。その情報に基づいて、モノづくりやらしくみづくりやらがなされたので、福沢諭吉がオススメしたとおり、学問は

「経済を生む(欧米からの)攻略本」

そのものでした。ですから当然、学問を学び、高等教育を受けることは、価値があったと言えるでしょう。


 この欧米先進国と呼ばれる国で起きたことを「マネする」ということは、2000年ぐらいまでは、ずっと変わらず日本で行われていた定番の行動でした。

 今でも、電子の最先端がアメリカで、それを生産の場として日本や中国が追従するということをやっていますが、iphoneが出て、マネっこスマホが登場するのも、当然この流れです。

 モノづくりだけではなく、文化的にも「欧米が先進で、それを英語に堪能な人が和訳して日本に持ち込む」ということは、テッパンです。

 経済学の理論、社会学、医学、すべての文化において、欧米でなされた先進的な実験や検証の結果が和訳して日本に持ち込まれ、それが産業化してゆくという流れは、今でもまだまだ残っています。

 ということは、知識や情報は、海外から邦訳されて日本に入ってくるわけで、学問や大学等の研究知にギリギリまだ価値があると言えるのが、今の状況なのですね。


 ところが2000年ぐらいから、「なんでもかんでも全てにおいて欧米諸国が先を行っている」、ということは無くなってきました。電波の5G規格では、米国VS中国になっているように、「欧米以外にも、先端技術・文化が生まれる世界」へと変化しつつあるのが、まさに今なのです。

 パソコンの界隈では、2000年前後から、日本での製造技術を飛び越えて、台湾のほうへ移ってしまったり、先進的液晶テレビが韓国へ移ってしまったりしています。ああ、そうその前に東芝あたりが半導体メモリ分野で一時期トップを取ったりしていましたので、1990年代ぐらいには

「アメリカよりも、日本のほうが先走る領域が、少し生まれた」

感もあったでしょう。それがどんどん

「アメリカも日本も通り越して、一部では中国や韓国、アジアが先走るようになった」

わけです。こうなると、日本の大学や学問は、すでに「欧米から和訳しても、アジアの他の国に負けている」ことが起きます。

 さすがに日本の学問は、まだまだプライドがあるので

「中国の文献を和訳して日本の施策に取り入れる」

ことはやっていませんが、もしかすると一部の領域では、そういう流れが起きても不思議ではありません。欧米追従にブレーキがかかるかもしれないのですね。


<中間まとめ>

 はい、ここでいったん止めます。中間まとめとしては、

◆ 欧米から”情報”を取り入れる学問には、たしかに価値があった。

◆ 技術においても、文化・制度の面でも、”情報”を持っている大学や学歴は重要だった

ということです。



 さて、続きです。資本主義の根幹は「情報の非対称性」ですから、「情報を、限られた発信者が、お金に変えながら、流布してゆく」プロセスに経済発展が起きます。

 ですから、極論を言えば「みんなが知っている状態になると、もはや価値を生まない」ということになりますね。

 マスクが足りないから高騰する、マスクが市場に溢れると暴落する。というのとまったく同じです。

 2020年の今日、大学などの学歴が機能しなくなった理由は、この「大卒者が市場に溢れている」ことも関係してきます。

<大学進学率の推移>

【1960年】 10%

【1970年】 30%

【1990年】 35%

【2000年】 50%

【2019年】 55%

 これ以外にも、高等学校はすでに無償化も含めてほぼ全入ですから、高等学校以上の学歴は、どんどんと希少姓が失われていることは事実なのです。

 そうなると、今後、2030年、2040年に向けて、「大卒の学歴を持っていること」は、さらに価値が低下するであろうことは、十分予想がつきます。

 これは日本だけではなく、経済成長著しい中国や、韓国でも同じことが起きています。韓国などは激烈な学歴社会だとうわさで聞いたことがあるかもしれませんが、大卒であることはマストで、さらに財閥などにコネがないと就職すらおぼつかないと言われますね。

 先日、中国のあるニュースをみて驚愕したことがあります。中国は当然、経済成長が著しく、学歴もどんどん上がっているわけですが、ここに来て中国の経済成長はストップがかかっています。

 その理由のひとつにはアメリカとの貿易戦争があり、また、ひとつにはコロナで世界の工場・生産国としての体制がころっと変わってしまったことがあるでしょう。

 いずれにせよ、庶民にとっては著しい経済成長を遂げながら、逆に今は大卒者が就職すべき企業の業績が悪いのです。となると何が起きるか。

 優秀な頭脳が、何万人も就職できないという事態が起きている

というのです。


 中国という国は面白い発想をする国で、「日本に東京という大都市があるのはもちろん知っている。だったら中国は日本の10倍の人口があるのだから、それぞれの地方に東京とおなじ規模の大都市が10個できてこそ、本来の姿だ」という話があります。

 東京を10個作ってしまうぜ!というスケールなのが中国で、それを今回の話に置き換えれば、

「就職できない東大卒のフリーターが日本の10倍転がっている国、それが中国だ」

と言えるのです。おそろしい話だと思いませんか?!


 これを聞いて、ヨシイエは

「そりゃあ、学歴や学力には昔のような価値はないわな」

と直感しました。東大生くずれがゴロゴロ溢れている中国には、勝てっこありません。仮に国内でいくら勉強ができても、その何倍も海外には優秀な人材がいて、彼らですら職につけないと言うのですから!


<中間まとめ>


◆ 賢い頭脳や学歴があっても、優秀者が何万人も溢れていると、価値が下がる


ですね。


(後編へつづく)



 



 



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