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デジタル資本主義が、人類を滅亡させる。


  アゴラに「デジタル資本主義」の話が出ていて、なんだ今頃こんな話か、と思いながら読んでいました。

 これからの経済社会、つぎの資本主義社会はこうなる!というニュアンスで、「デジタル革命」なるものについて考察した書、ということですが、残念ながらこのデジタル革命は

 人類滅亡への加速装置

となることは、多くの人がまだ気づいていないのかもしれません。

 吉家的には、すでに2012年の時点で、デジタル社会が世界を破滅させる件について触れているのですが、もう少し詳しく書いてみます。


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 「デジタル資本主義」が指摘するこれからの社会は

◆ 消費者余剰が上昇し、生産者余剰が下落する

◆ 資本主義が変容し、データ主導・知識生産性社会となる

 とのこと。これについては激しく同意します。まさにその通り。


 この2つは、簡単に言えばどういうことを言っているかというと、

◆ 無料のデジタルサービスが増えて、消費者はどんどんお得になる

◆ 経済は、労働を投入して価値を高めるのではなく、情報を投入して価値を高めるようになる

ということです。

 この時点で、「へー、そうなんだ~」とほとんどの人はたいして何も考えずに読み飛ばしてしまうでしょう。しかし、これらは本当はとても恐ろしい話をしているのです。


 何が恐ろしいかと言うと、まず、

「無料に近いコストでデジタルコピーをばらまくことができたり、消費者も生産者も電子書籍やデジタル動画などで視聴するようになると、本が存在していた時代、あるいは映画館があった時代よりも『GDPに換算できず、経済が成長しなくなる』」

ということが起きます。

 重厚長大型の産業が生きている時代は、鉄鉱石の量と鉄鋼の量で経済が伊推し量れました。

 モノが動いている時代は、物流の総量と経済規模は相関関係で正比例していました。

 しかし、デジタルデータの移動量が多くなっても、経済的利潤はこれまでほどは連動して上がらなくなります。

 無料データを人々が楽しむようになると、インフラとしてのデータ流量は増える一方でも、人類全体が儲ける金がさは増えない、ということが起きるのです。


 つまり、

「消費者余剰が増えることは、生活が一見豊かになることに見えるが、人類全体としては、経済活動の縮小を意味する」

ということになるわけです。

 そこで、元ネタでは「そうした消費者余剰の受益分をGDPのような考え方で換算する指標が必要だろう」としています。

 たしかに、そうした指標は役に立つことでしょう。しかし、役に立つとはいえ、人類が金がさをどんどん失っていることには変わらないわけです。

 言ってみれば、デジタルデータの交換で人々の生活が豊かになるということは、物々交換(無料)の時代に戻って、貨幣経済が後退することに似ている、とでも言えるでしょうか。無料で米をもらい、無料で大根を渡しているような感じですね。


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 ヨシイエ的には、デジタル資本主義、デジタル革命は

「物質がどんどん不要になる時代」

であると思っています。物理的なモノがどんどん少なくて済み、それを取り扱っていた仕事をしている人たちも、どんどん少なくて済む時代がやってくるのですね。

 貨幣は物質の象徴でしたから、物質が不要になれば貨幣も不要になってゆくのかもしれません。


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 さて、その後でやってくる「資本主義の変容」とはどのようなものでしょうか。一見すると、知性やデータが価値を持つ時代であるかのように錯覚しますが、私は、ほんの一握りの価値ある情報に対比して、「どうでもいいようなゴミクズデータが氾濫」するようになると考えています。

 これは、一つ目の「消費者余剰」とも関わってきますが、すでに日本人の多くは

「新聞や雑誌の記事の書き手にお金を払わなくても、無料のブログや無料のニュースを読む時間に24時間を奪われている」

「テレビや映画の作り手にお金を払わなくても、youtubeでどこかの誰かが作ったコンテンツを見る時間に24時間を奪われている」

のです。

(これまでは、メディアを扱う人間には対価が支払われていて、メディアを享受する人間は対価を支払っていましたが、これからはどちらも無料で作り、無料で受けることが爆発的に増えます)


 つまり、消費者から見れば、「お金を払うべき価値のあるもの」はどんどん少なくなっていっており、「自分の24時間はどうでもいい無価値なデータであってもそれなりに楽しく埋めることができる」ようになっていっているのです。

 消費者から見れば、ネットニュースも、素人のブログも、おなじように見え、おなじだけの時間を費やすテキストです。

(こうしたことが、フェイクニュースで政治が動かされてしまう要因ともなっています)

 そうすると、一部の「よくよく仕組みや仕掛けがわかっている人たちにとっては価値あるデータと価値のないデータの仕分けが重要」ですが、「庶民や大衆には、そんなのはどっちでもいいし、そもそも違いがわからない」ということが起きてきます。

 これは物質社会でも同様のことが始まっていて、すでにお金をあまり持たない人たちの間では

「不動産を所有するのと、個別の住居を確保するのと、シェアハウスでしのぐのとそれらの違いがあまり重要ではなくなっている」

ことからもわかると思います。

 お金持ちから見れば、「所有と賃貸は意味が大きく異なる」とか、「賃貸アパートとシェアハウスはやっぱり違う」と思っていますが、「そんなのどっちでもいい」と思って住んでいる層は、増えているということです。

 大衆の多くが、「情報に価値がある」とは考えず、「別にどんな情報でも、どっちでもいいわ」と思い始めることは、滅亡への序章といって差し支えないでしょう。

 これがまた、肉体にも影響を及ぼし、

「セックスや結婚、子育てはコスパが悪い」

「性的快感ならVRでも充分」

「っていうか、AVすら無料で転がっている」

という事態が起きていますから、すでに肉体すら少子化してゆく始末です。


 ですから、これはどうにも暗い未来しかなさそうです。仮にポスト資本主義が登場しても、人類の繁栄に繋がるか、といえば、個人的にはかなり懐疑的です。

 すでにそうなっていますが、

「一部のプラットフォーマーだけが金銭的にも富を得て、それ以外の有象無象はただ、脳内で再生される無駄データをむさぼるのみ」

という時代がやってくるのかもしれません。

 まるで

「アヘンに侵された末期の清国」

のようです。おそろしいことですね。





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