ある俳優 #シロクマ文芸部
『振り返る!あの時あの人』という番組に出演することが決まっていた俳優は、収録日の朝、「出られない」と声を震わせた――。
もう長い間人前に姿を現さなくなって久しく、過去にたった1本だけヒットしたドラマの主演の時とは、既にかけ離れた容姿になっていた。
そのことが、彼を苦しめていたのか。それとも経済上の都合で引き受けたものの、急に衆人環視に晒されることに恐れを抱いたのか。
当日の出演拒否の電話は、涙混じりだった。その後、番組の担当者が電話しても、彼が電話に出ることはなく、メールやそのほかのメッセージにも既読はつかなかった。
担当者は、実はこの事態には慣れていた。色よい返事を貰えていても、当日になって気が変わる人物は沢山いた。しっかりした事務所で、マネージャーがついているならいざ知らず、いわゆる「一発屋」と言われるカテゴリの中には、今は違う商売をしていたり、会社に勤めていたり起業していたりと、芸能活動とは違う人生を送っている人がそれこそ履いて捨てるほどいる。その中には、その俳優のように当日になって姿をくらます人間が一定数いるのだった。
結局番組には、次点候補だった歌手が出演した。一曲だけミリオンを出してからは鳴かず飛ばずで、地方回りをしていた歌手だ。担当者も、番組制作者も、スポーンサーも、視聴者も、俳優が出演しなくても全然かまわなかった。歌手は誰もが「わあ、懐かしい」と声を上げるような曲を一曲、少し息継ぎがぶれながらもしっかりと歌い上げ、喝采を浴びた。
俳優は家でその番組を観ていた。膝の上には幼い女児が陣取っている。理由も告げずに出演を拒否したことは心苦しかったが、自分の代わりがいくらでもいることは知っていた。
収録日当日、娘が発熱した。妻は俳優が無名の時代からずっと「私が稼ぐからあなたは夢に向かって頑張って」と支え続けてくれている。我が家の大黒柱は妻だ。ちゃんとした大手の会社に勤めていて、そこそこ昇進もしている。いわゆる「バリキャリ」と言われる部類に入るだろう。昇進や昇給は実力があるからなのに、奥ゆかしい彼女はいつも「ショウくんが家のことしてくれるし、子供を預けなくてもいいから助かってる」と言う。妻の仕事に穴を開けさせるわけにはいかなかった。
膝の上で絵本を広げている娘は、付き合い始めてから十五年、結婚してから十年目に授かった子供だった。仕事に明け暮れる妻は、俳優の恋人になった時から子供は諦めていたようだし、子供好きで必ず産みたい、という女性でもなかった。それでも、妊娠した時は喜びの涙を流していた。
『振り返る!あの時あの人』にいくら出演しても、「懐かしいですね」「思い出がよみがえって胸が熱くなります」「あのドラマ人気でしたね」「毎週見ていましたよ」などと言われて、それで終わりだ。仕事につながるわけではない。振り返るのではなく、今、今日、明日、明後日、今週、来週できる仕事を見つけたほうがいいのだ。俳優は、手にしたスマホを見つめる。そろそろオーディションの結果が出るはずだった――。
——というところでエンドロールにしよう。
その夜、娘を寝かしつけた後で俳優は自室にこもり、PCで動画の編集をしていた。ナレーションをアフレコして、情熱大陸風の作りにし、楽曲もそれっぽいものを使用している。娘の顔はアイコンを貼り付けて隠した。映画のようにエンドロールは必ず入れている。結果は次回配信で明かされることにしたほうが、ゼイガルニック効果があってよいだろう。
「落ち目俳優の一発逆転熱烈大陸」と言う名の動画配信は、「落ち目」を前面に押し出してから登録者数が伸び続けている。特に妻をメインにした回の伸びが凄い。妻は顔出しこそしていないが、言動が映える。妻への投げ銭もかなりのものだ。動画制作の腕は上がり、動画配信者としての収入は、以前俳優をしていた時を上回るようになってきていた。
なんかこのままでもいいかもな――
最近、俳優は思う。
オーディションに落ちまくってヤケクソのように始めた動画だったが、登録者数が伸び始めた頃は、もしかしたら誰かが観て出演依頼をくれるんじゃないかという淡い期待をしたりした。でも今は、このまま忘れられた一発屋俳優でいたほうが家族のためなのではないかと思い始めている。
実際、最近になって、当初期待したように「動画配信観ました」と声をかけられることが多くなってきていた。オーディションの誘いや、事務所の誘いもないではない。以前だったらすぐに飛びついていたに違いない、映画の脇役の誘いもあった。だが――
「パパ、『振り返るあの時』録画してくれた?」
妻の声がした。自室のドアが開く。いつまで経っても可愛い妻の小さな顔がのぞいた。
撮ってないよ。配信で観れば?でもつまらなかったよ、と俳優は答える。
「パパも出演、断らなきゃ良かったのに。声かかったんでしょう?」
ギャラが良くなかったんだよ、なんか扱いも雑だったし…
そう言いながら俳優は、そんなふうに「妻が心配する様子」を録画する3台目のスマホの位置を直した。部屋には次第にスマホやカメラの台数が増えてきている。
「そうなの?がっかりしないで。またチャンスはあるよ。あ、そろそろこの前のオーディションの結果が出るんじゃない?きっとオーディション、受かってるよ。パパ、頑張ってるもん」
うん、ありがとね。マキちゃんのおかげで頑張れてるよ。
そう言いながら俳優は、手元のスマホに届いたオーディションの一次合格の通知を眺めていた。
――一次通過いたしました。おめでとうございます。
二次は同一スタジオで〇月〇日に行います。
ご連絡のあるなしに関わらず、当日の欠席は辞退とみなします――
しばらく、そのままでいた。
嬉しくないわけがない。だが、だが――
俳優は逡巡したあと、そのメールを、削除した。
了
この頃、手段の目的化とか、当初の思惑とのズレについて考えることが多く、こんなお話になりました。でもなんだか久しぶりにちゃんと創作した気がします。小牧部長、よろしくお願いします!