【創作大賞2024】眠る女 3
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3
四角く白い天井が見えた。左腕に、点滴の管が差し込まれ、鼻や、ありとあらゆる穴にチューブが差し込まれている。
目覚めた時、そこにいたのは女性の看護師だった。マスクと手袋をして、割と厳重な装備だ。病院らしい。
看護師は葵をのぞき込んで、あ、と小さく声をあげた。そして、のぞき込むようにしながら優しく話しかけてきた。
「浮島さん。気分はいかがですか」
葵は、肯いた。悪くない。大丈夫。
「今、医師を呼びますからね。少しお待ちくださいね」
葵は、点滴をしている左手の先を見つめた。真っ白な腕が一本転がっているように見える。がりがりに、痩せていた。
とにかく、意識ははっきりしていた。記憶も、倒れる前の4日以外のことならしっかりしていそうだ。
葵に夫以外の家族はない。
夫は、時生はどうしたのだろう。自分はいったいどのくらい意識を失っていたんだろう。疑問が次から次へ湧いては消えた。
足音が聞こえた。二人、あるいは三人くらいの、サンダルの音。少し滑稽な音だ。
「浮島さん。浮島葵さん」
女性医師もそうだが、先ほどの看護師も葵を旧姓で呼んだ。保険証の名前はまだ旧姓のままだったな、と思い出す。マイナンバーにはまだ紐づけていない。財布に入れてたんだっけ、どうだったんだっけ。
医師はさきほどの看護師より幾分年上の、小柄な女性だった。如月、と名札がついているのが見えた。
「……ぃ」
自分の声とは思えないような、蚊のなくような声が漏れた。
「極度の栄養失調です。点滴で徐々に身体は回復していくと思います。原因と考えられるのは睡眠障害ですが、いままでに例のないような症例で、いまはまだなんとも申し上げられません。検査中です」
それから医師は、コロナ禍過ぎましたけど、病院はまだまだ制限はありますので、入院中のことについては担当看護師からお話させていただきますが、こちらに最初に来られた時に付き添いで来られた柏木さんという方から、手続きなどは全て請け負うとのことで、あなたの意識が戻ったらお伝えするようにと言われています。お知らせしてもいいですか。お任せしてもいいですか。などと矢継ぎ早に説明と質問を始めた。それらにいちいち、諾、と伝える。
「あの」
聞きたいことが、山のようにあった。どれも、喉元まで出掛かっているのだが、出てこない。
「夫は?」
一番聞きたかったことを聞くと、彼らの顔がいっせいに曇った。
「連絡はまだついていません。でもいまはとにかく、気持ちと身体を休めて。それが先決です」
如月医師はにっこり微笑む。こちらを安心させようとして言っているのだろう。夫の行方は、どうやら杳として知れないらしい。
午後にまた来ます、と言って、いくつか看護師に指示を与え、医師は部屋を出ていった。
目覚めたときに傍にいた看護師は、無口な人だった。葵が訳ありの患者ということでなのか、本人がもともと無口なのか、それはわからない。ほとんど会話らしい会話はなかった。
ゆっくり休んでと言われても、いままでいやと言うほど休んでいたのだ。
奇妙なことに、起きたばかりなのに意識は覚醒したように研ぎ澄まされている。
早くはっきりした事を知りたかった。いまからまた眠る気にはなれない。看護師に話しかけようとするのだが、彼女はなにか忙しく立ち働いていて、なかなかタイミングがつかめなかった。
ところがしばらくすると、意志に反して、覚醒と同じように突然、睡魔がやってきた。
それまで機器のチェックをしたり、点滴を確かめたりしていた看護師は、葵のその変化には敏感に反応した。枕元に来て「浮島さん、どうされました」と硬い声で言う。
どうされた、って、どうしたのだろう、ほんとうに。わからない。意識が混濁していく。ベッドから落ちそうな毛布のように、ずるりと引っ張られて眠りの中に落ちていきそうだった。冬眠というのは、途中で目覚めたり、また眠ったりするものなのだろうか。冬でもないのに、どうして今自分は冬眠しようとしているのだろう。
「時生」
言葉に縋るように夫の名前をつぶやいていた。
どこにいるの、あなたは。
「眠る女 4」に続く
※連載の都合上、1話の文字数にばらつきがあります。
3話と4話は比較的短いので、連続で投稿します。
眠る女
目次【全10話】
第1話
第2話
第3話
第4話
第5話
第4話
第5話
第6話
第7話
第8話
第9話
第10話
創作大賞というお祭りの片隅で、フラメンコを踊っています。