自作本のこと
というのは、読書猿さんの『独学大全』からの言葉。
座右の銘、と言っていいかもしれない。
記事でもよく、この言葉を使っている。
ネットに文章を投稿するようになり、そして自作本を作るようになってから、自分の作品や本を見知らぬ誰かが読んでくれる、という稀有な体験をしている。PASSAGEという共同書店に小さな棚『吉穂堂』を持ち、noteで自作本を紹介するようになってからは、noteの仲間が買い求めて読んでくれる、という体験もしている。
私の本は、長い。分厚い。
『ナユタ』は、なんと文庫本にして本文が500ページある。
本文625ページのガルシア・マルケス『百年の孤独』とほぼ同じ厚さである。『ナユタ』を読むのに要する時間はおそらく『百年の孤独』の1/10ほどであろうが、それにしたって、見た目で結構引くと思う。
にもかかわらず、『吉穂堂』に来ていただいたり、オンライン販売を利用して、私が作った本を買い求めてくださって、それを何人かの方が、最初から最後まで、ちゃんと通しで読んでくださっている。さらには、面白かった、一気読みした、と言ってくださる方も現れた。
まさに感無量である。
昨日、同人誌「青音色」の仲間のひとり、渡邊有さんがこんな記事を投稿してくださった。
気に入った本は読み返すという渡邊さん。
娘さんに呆れられるほど何度も読み返しているという『キッチン』の隣にそっと『ナユタ』を置いてくださったという。
『キッチン』の隣。
台所の隣は納戸です、という話ではない。
吉本ばななですよ、あの。その吉本さんの隣に、私のつくった拙い本が、並べられているという不思議。
くらくらする。
さらには、そのコメント欄に、dekoさんがこんな感想を寄せてくださった。
お忙しい時間を縫って、読んでくださったのみならず、渡邉さんとdekoさんが、コメント欄で「私の本」に出てくる登場人物の話をしているのである。
くらくらする。
喜びと嬉しさのあまり。
犬ならたぶん「嬉ション」している。
人間なのでそれは「涙」という現象になった。
私は、これまでの人生で、ここまでの強い喜びの感情や感動、感激というものを体験したことがなかったのだと思う。おしなべて冷静なタイプ、というわけではなく、小さなことで感じ入るタイプだし、激情といえば「悲しみ」や「怒り」「楽しい」という感情はさんざん味わって来た方だ、と思う。だが、確かに、喜怒哀楽でいう「喜」って、そう言えばどんなんだろう、と思っていたフシがある。
というより、私が欲しかった「喜び」は、これだったのだと発見した、というほうが近いだろうか。
物書きをしていて最も欲しい「喜び」は、きっとこの感情だったんだと思う。
だからおそらくは今、私は初めて「自分の求めた喜び」を味わっている。これを喜びと言わずして、何と言うのだろう。半世紀以上になるこれまでの人生、いろいろあったけれど、こんな日は想像したこともなかった。
一生懸命書いていたあの日の私に伝えたい。
読んでくれる人がいたよ、物語が、登場人物が、愛されてるよと。
頭の中で「いきものがかり」がひたすらに「ありがとう」を熱唱している。
さて、ここからはdekoさんへのお返事になる。
読んでいないかたはちょっと疎外感を感じられるかもしれないが、ご容赦願いたい。ちなみに「千太郎」というのは、『ナユタ』に出てくる登場人物で、少し複雑なキャラクターとして描かれている。
自作本は、宣伝しなければ読んでもらえないが、未読の方にどうやって伝えたらいいのだろうと悩んでいた。
たいていの人は、どう考えても素人の本に興味は持たない。
メディアが推した本や新聞や雑誌、Instagramの書評や紹介で知った本に興味をひかれたとしても、一瞬「あ。面白そう」と思ったとしても、たとえどんなに本が好きな人だって、すぐに購入して読む、ということはまず滅多にない。反射的にポチったとしても、積読になることもあるだろう。
先日は、読書をしない人が6割を超えたというデータを紹介して記事を書いたばかりだ。みんなそうだ。わたしだってそうだ。
それなのに、その高い高い壁を越えて、「読んでみよう」と思ってくれたこと。実際に読んでみてくれたこと。
それがどれほどすごいことかと思う。
奇跡だ。
実をいうと別のかたからも、DMなどで感想をいただいている。
記事など公のところに出すのをためらう、という方もいらっしゃるので、紹介することができない「感想」もある。
感想が苦手、とおっしゃる方は多い。
その理由を聞くと大抵の方が「ちゃんと読めているかわからないから」「作者が意図したことを読み取れているかわからないから」とおっしゃる。
確かに気になる。
まったく的外れなことを言ってしまって、作者を傷つけてしまったり、それどころではなく誹謗中傷みたいに取られてしまったらどうしよう、と思う気持ちは、よくわかる。
感想は、だから、えいっと高いところから飛び降りたりするような気持ちで書いてくださるものだ、と思っている。
どれほど勇気を出して書いてくださったかを、いつも心にとめて、拝読している。
そして、思う。
本当に、「同じ本を読む人は遠くにいる」のだ、と。
気に入ってくれる人ばかりではないし、読んでみたけど趣味じゃないと思う方ももちろんいるはずだ。それも含めて、ありがとうを伝えたい。
そしてまだ見ぬ遠くにいるあなたにも、私がこんな本を書いている、ということを、伝えたい。
いつかどこかで、あなたと「本」で出会うことが出来たら――
そう願っている。