書く時間 #シロクマ文芸部
書く時間を捻出するために生きていた。
地方の、さらに県庁所在地外の田舎の高校生には時間がない。まず通学に時間がかかる。田舎は小学校でさえ通学エリアが広い。中学校はさらにエリアが広い。高校は隣の市のはずれにあり、朝、1時間に1本のディーゼル機関車に乗り、そこから徒歩で通う。毎日、往復にかなりの時間を奪われていると感じていた。
当時は活字に夢中だった。漫画から教科書まで文字が書いてあればなんでも読んだ。当時のライトノベル界では自分と同年代の女性が活躍を極めていて、アニメの雑誌ではナウシカが連載されていた。サブカルチャー全盛、クールジャパンの魁の時代だった。
中学時代から原稿用紙やレポート用紙に他愛もない絵空事を書きつけるのが趣味だった。高校時代、生活の記憶がほとんどない。人は自分の食べたパンの枚数など覚えていないものだから詳細な記憶など無くて当たり前だが、その忘却具合は度が過ぎていた。常に頭の中がどこか別の場所にあった。学校の勉強にも当然身が入らないが、かといって文字が書いてあるからつい読んでしまう。それで最下位転落は免れていたようなものだった。
学校から帰るとまっすぐ自室に向かい、紙とシャープペンシルを取り出すとひたすら何事かをかきつけた。夕食後またシャーペンを走らせた。気が付くと夜中。本日書いた部分を読み直し校正し、信じられない傑作を書いたことに満足したり、紙が無駄になってしまったことに絶望したりして、やっと寝た。
毎日深夜まで勉強しているようだと家人は思っていたのかいないのか。よく寝坊して遅刻した。ひたすらにペンを握っていた。映画はよく観に行ったが、それ以外の外出の記憶が定かではない。若さと自分の時間のほぼすべてを「カルチャー」に費やしていた。
17歳の春、病を得た。
今なら簡単に治せる病だったが、当時はまだそうではなかった。しかも運悪く症例が珍しかったから診断がつくまでに時間がかかり、入院が長引いた。何もしてはいけないと禁じられた。読むのも書くのも絶対禁止だった。
夢中で何かをやり続けて疾走していると、思いがけない方向からブレーキがかかるというのは人生においてよくある話だ。必要な休息だったのだろう。でも当時はそんな人生の機微を感じることはできなかった。少し捻くれた。
当然の帰着として大学受験は上手くいかなかった。しかし家は出たかった。なんとか滑り込んだ大学に行かせてもらって、家も出た。家を出て、しばらくして手に入れた、最高に嬉しかった家電が「ワープロ」だった。大学時代はそれなりに友達と遊んだが、卒論は嬉々として挑んだ。書くことだけをしていい時間だったから、楽しくて仕方がなかった。
そんなふうだから、あたりまえに就職は上手くいかなかった。東京に出たかったが実家に戻った。家は豊かではなかったが、就業したりハローワークに行ったりしてニート寸前でなんとか生きていた。
さすがに、このころにもなると失敗と敗北の念は強かった。
心が弱ると、書くことが出来なくなるのを知った。ほそぼそと、弱弱しいことをメモ帳に書きつけた。意味のない文字の羅列に涙した。もう、書けなくなった、なにもできなくなった、と思った。
自身を支えてきた脆い砦は崩れた。
それからは気を取り直しては書き、また書けなくなり、心と「書く時間」はすれ違い続けた。
どこで間違えたか、というと、おそらく最初からなのだが、そんなに書くことが好きならそういう仕事を志向すればよかったのだ。書くことに携わる仕事なら、別に作家になどならなくてもいくらでもあった。
「書くことを生業にしてはならぬ」。いつごろからそう思い込んだのか、そのバイアスは呪いのようなもので、人生を無為なものにした。いつどんなときも「これではない」「本当に望んでいることとは違う」という思いから抜け出すことはできなかった。若かったのだからやってみればよかった。無駄でも無謀でも馬鹿でも、挑戦だけはすればよかったのにと今なら思う。
時代や社会や親の枠よりも、人は自分の作った枠に囚われる。
いったんその囚人となってしまえば、その囚われから解放されるには相当なエネルギーと時間を要する。
幸いにも解放の機会は訪れ、再び文章が書けるようになった。自分の来し方を振り返り、あのころの自分にかけたい言葉も色々あるが、どちらにしろ人生は一度きりだ。
今また書くことに対する情熱は再燃している。
書く時間は努力して捻出している。
でもあのときのように捻出するために生きてはいない。
当時と違い、三昧のような忘我の境地はさすがに味わえない。細切れの時間の中で、時間を区切りながら書いている。
これからも楽しみながら書き続けるだろう。
でもいつでも止める覚悟はできている。
限界を知ることは己を知ることだ。
だから見ることができる夢もあるのだと――
言い聞かせながら書くことに向かっている。
今回も、シロクマ文芸部さんに参加させていただきます。
今回はお恥ずかしくも限りなくノンフィクションに近い創作になりました。タイトルもストレートにお題のまま。
誕生日ごろに何か、記念になるような文章を書こうかなと漠然と思っていたところに、「書く時間」というお題がやってきたのは偶然だったでしょうか。
不思議なシンクロを感じてしまいました。