見出し画像

のうぜんかつら #シロクマ文芸部

 懐かしい痛みだわずっと前に忘れていた

 頭の中で松田聖子の声で再生された『SWEET MEMORIES』に記憶が呼び覚まされる。あれは1993年。あの夏も暑い夏だった。そんな記憶があるのはあの夏私が短い恋をしていたからだ。
 懐メロに喚起されたペンギンのCMとビールとキス。甘ったるい記憶の自動再生にぼんやり歩いていたら、あまりの暑さに植え込みにうずくまっていたらしい鳩が、急に飛び出して目の前を斜めにぎった。
 羽音をさせて、できるだけ飛翔距離を節約したいというように日陰棚の上に移動すると、凌霄花のうぜんかずらの花の中に埋もれていった。

 暑くて飛べないのか、エネルギーを節約しているのか。鳥が揺らした凌霄花のうぜんかずら喇叭らっぱ型に開いた橙色だいだいいろの花がひとつ、ぽとりと落ちた。見ると花は地面に沢山落ちていて、踏みつけられたそれは道を汚していた。
 毒があるのご存じない?花が落ちると汚いし、手入れが大変でしょう。それに家の庭に植えちゃいけないのよ。繁殖力が強くて、家の外壁に這い始めると制御不能になるんですって。運気も落ちるって言うし。
 新婚の頃、夫の実家の庭木を見た母がそう言って、夫は以来、母を敬遠するようになった。俺の実家でそういうこと口にするか普通、と不愉快そうに渋面を作った。何も言えなかった。確かに母には昔からそういうところがあった。そういうところ。空気が読めないところ。

 夏が終わろうとしているが、いつまでも暑い。
 買い物を兼ねた散歩から戻ってつけっぱなしのエアコンが利いた部屋に入る。ほっとしたのもつかの間、汗が噴き出た。運動や暑さによるものではない、汗。年齢を経た女性だけが知る、のぼせるような熱。あの夏の肌の火照りとは全く違う種類の。
 息が上がったまま、急いで手を洗い、自分の身体の余分な肉と同じくらいの重さ3キロの米と、800グラムのブロック肉を野菜室と冷凍庫に収める。買い物前の計画では肉は細かくして仕分けした上でジップロックに入れてから仕舞う予定だったが、面倒になりそのまま保冷剤と共に冷凍庫に入れた。この怠惰が後で自分の首を絞めると知りながら。ついでにアイスを出して、小さな悪事を行った後のように、そっと冷凍庫のひきだしを閉めた。
 ようやく、呼吸が整ってきた。

 2024年、米騒動の夏。東京のスーパーの店頭から米が消えた。異常気象といわれるこの暑さの中を、米があるという普段行かないドラッグストアまで行ってきたところだった。重さ3キロなんて、子宮の中に詰め込んでいたこともあるのに、体の外の3キロはなんて重いのだろう。炎天の中、ひきつるエコバックを必死に携えて這う這うの体で帰ってきた。
 食卓でアイスを食べながら、『SWEET MEMORIES』を鼻歌で歌う。
 あの夏、自分がいつか中年になるとも、ましてや老人になるとも知らず、学校が終わるとあなたに会いに行った。間接照明だらけのバーに連れて行ってもらって、大人になったような気がした。
 店に入る時は隣の家の凌霄花の花が見えるバー。繁華街から住宅街へ一歩踏み入れたような路地裏の、近くにホテルのある、カウンターバー。店を出ると燃えるような色で咲き誇っていた凌霄花はもう、闇に紛れて見えなかった。
 ペンギンのイラストの付いたビールを買ってホテルに行って、無邪気に松田聖子の物まねをしてキスをして、躊躇いもなく服を脱いだ。脂肪の少ない張りのある肉体を、煙草をくわえたままあなたは褒めた。やっぱり若いね、脂肪の付き方が違うと。
 あの瞬間の誇らしさと蔑み。
 蔑み――それは、年上のあなたが、もっと年上の妻と私を比べたことへの蔑みだった。あの時私は、自分が彼の妻だったら、若さしか愛さないこの男を愛せるだろうかと考えた。きっと妻に愛されていないこの男が求める若さの儚さ。今自分が持っているものが、必ず失われていくものだという虚しさ。私が彼の妻と同じ年になったら、彼はまた、今の私と同じ年の女を求めるのだろう。彼は私を愛しているわけではなく、ただ私の若さを愛しているのだと思った。そんな男と情事を重ねる自分が、滑稽で醜悪だった。
 夏が終わるころ、凌霄花の花が散らばった道で、私はあなたと別れた。

「私がオバさんになったらあなったはオジさんよ。カッコいいことばかりいっても、お腹が出てくるのよ」
 今度は、森高千里の『私がオバさんになっても』を口ずさんだ。歌のラインナップに年が出る。森高千里は「オバさん」になんかならなかった。私より年上なのに、変わらぬ若さと美しさ。芸能人として可能な限りの努力をしているのだろうけれど、きっと死ぬまで年を取らない人だ。
 実家に凌霄花の木がある私の夫は、しっかりと腹部に脂をのせて、生え際から髪が少しずつ後退してきている立派なオジさんだ。私の三段腹や二重顎などものともしない。テレビや動画で見かけるような、どこに内臓がおさまっているんだかわからないほど引き締まった若い身体にほんの少し心の奥が疼いても、互いが不思議で珍妙な生き物になっていくことを笑いのネタにして揶揄いあい、二人の子を育ててきた。
 これ以上太るなよ、医療費かかったら大変だぞ、と言いながら、美味しいケーキの店から「これ、ママ好きでしょ」とモンブランを買ってくる。そして、昔お義母さんが言った通り、実家の凌霄花を切るのはシルバー人材じゃ無理みたいだと笑う。
 そんな夫を私は愛し、でもこんな日はあの夏のあなたを追憶する。

 あなたに愛されなかったあなたの妻に愛されなかったあなたが執着したもの。それは役目を終えてぼたぼたと落ち、ただ道を汚すだけのものなのだ。

『SWEET MEMORIES』松田聖子
『私がオバさんになっても』森高千里
『のうぜんかつら』安藤裕子

凌霄花(のうぜんかずら)についてひとこと

#つる科なのでかずら」。
 本来は「のうぜんかずら」が正解のようです。
 安藤裕子さんの曲が好きだったのでタイトルをいただきました。
#運気が下がる 、というのはこの主人公のお母さんの嫌味です。
 風水的には運気を上げるそうです。


わりと勢いで書いてしまったので、1993年の夏にペンギン缶があったかどうかわかりません。すみません。出たの冬だったかも。なんかそんな気がしてきた。小牧部長、よろしくお願いします。

#シロクマ文芸部