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おしくらまんじゅう #シロクマ文芸部

 冬の夜気はきんと音がしそうなほどに冷えていた。
 昼は晴れていたが、午後三時過ぎにみぞれ交じりの雨が降った。雪になるかと思われたが、また晴れて星が見える。息が白い。
 ベランダに置き去りのタオルが半ば凍って風に震えているのを見つけた。拾い上げ、二重サッシを閉め、薄いカーテンを引き、さらに厚いカーテンも閉めた。
 洗面室に戻り、タオルをもう一度洗濯かごに入れる。汚れは見えなかったが、そのままストーブの上に干すのは憚られた。
 北国の家には、石油ストーブがある。ファンヒーターやエアコンでは補いきれない寒さが、地球の奥から沁みてくるからだ。特にかつては夫の両親の家だった古い家屋の、冬の夜は厳しい。
 タオルは洗濯機の乾燥機能を使ったほうが柔らかくなると何度も言ったのだが、夫にまかせると大抵は、外に干される。どんなに晴天で乾いたとしても、どうしてもごわごわになるタオルを、夫に黙ってもう一度洗うことがたまにある。しかも、今日のようにタオルが足りない、と思うとベランダに落ちていたりする。
 夫の方が先に見つけると、ストーブの上に干してしまう。その都度、危ないからやめて、浴室乾燥もあるじゃない、と言うのだが、乾けばいいじゃないかと譲らない。確かにストーブの上は乾く。でもいちど雨雪に濡れたタオルを干すのも嫌だし、気づかぬうちにストーブに落ちて火事になるのも嫌だ。
 リモートが始まったばかりの頃は、何度か夫に「お願い」をしたが、電気代がもったいない、晴れているのに外に干さない理由がないと乾燥機は使わないし、洗濯物の取り込みも落とし物が多く、雑だ。
 洗濯をしてくれるだけよい、と思う。ただ、小さな不満は水に落としたティッシュの欠片のように、一瞬は見えなくなるが心の底に溜まる。
 人に頼んで、思い通りにいくなんて思ういるほうが間違っている。仕事では嫌と言うほどそれを味わう。快く引き受けてくれるだけでもじゅうぶんだ。不満げな顔、なにか言いたそうな眼付き、とんがった口元を見ながら、気を使って頼んだ仕事が不十分な時の絶望感。会社でチームリーダーになってからの日々のストレスはそこに起因するものばかりだ。
 叱ってもいけない。勝手に自分が直しても行けない。夫にも同じだ。だからこっそり、次の洗濯物に回す。明日の洗濯の当番は私だ。
 部屋に戻るとパジャマのまま炬燵こたつに半身を突っ込んだ体勢で腹ばいになり、四歳の息子が夫のスマホを触っていた。何か動画をみているらしい。夫に何を見せたのかと聞くと、さあ、と言う。勝手にいじって見ているよと言うので息子の手からスマホを取り上げると、息子は猫が毛を逆立てるように身体を縮めて反抗的に私を見上げ、ダメ!ソラ、見てたんだよ!と喚いた。画面にはゲームの画像が映っている。
蒼空そらにスマホを預けっぱなしにしないで」
 夫に言うと、夫は、ただのゲームだよ、別に変なもの見ないから大丈夫と取り合わない。あちこち触っているうちに、変な動画にあたらないとも限らない、と言うと、ほんの10分くらいだよ、ちゃんと見ているからと言う。見ていなかったくせに。
「だいたいさ、電気使い過ぎなんじゃない、うち」
 さっきのタオルの件を知っているのかと思うような口ぶりで、急に夫が言った。
「なんか、お知らせ来てたよ。すごい金額の」
「値上がりしてるんだし、仕方ないでしょ。必要な時は使わなきゃ。パパもリモートで家にいるから」
「俺のせいかよ。無駄に風呂の暖房とか、乾燥機とか使うせいじゃないの」
「はあ?お風呂場は暖めないと。だいたいタオルだって・・・」
 言いかけて、蒼空がふたりを見ていることに気づいた。
 気を取り直し、クリスマスのプレゼントは決めたの、と蒼空に問いかけると、ぼくなんにも欲しくない、と蒼空は言った。
「サンタさんは忙しいでしょ、ぼくはいつでも買ってもらえるから、買ってもらえない子のところに行って、っておてがみかいた」、と言う。
 無欲、というより、確かに彼は、欲しいものはすべて、欲しいと言えば誰かが買ってくれるから、毎日がクリスマスのようなものなのだ。当のクリスマスも、毎年、祖父母、両親、叔父叔母がサンタクロースとは別にプレゼントをくれる。それでもよその子に、というぶんだけ、強欲ではないのは確かなようだ。きょうだいでもいればまた違うのだろうが、と、夫を見る。炬燵にねそべってぼんやりテレビを見ている夫を見ると、正直、そんな気にはとてもなれない。
 そろそろ寝る時間、と蒼空を連れて二階に向かう。夫はおやすみも言わず、口を開けてテレビを見ている。本当は、ストーブもテレビも炬燵も、私は要らない。昭和の遺物に感じてしまう。エアコンと配信動画とカーペットでいいじゃないか、と思ってみたりする。インスタで素敵なインテリアの家を見るたび、憧れてしまう。
 昭和生まれの夫、平成生まれの私、令和生まれの蒼空。
「ママ、おうちにさ、ねこがいればいいと思わない?」
 一緒にベッドに入ってぎゅっとしがみついて温もりながら、蒼空が言う。
「ねこ、頼んだら、サンタさん連れてきてくれる?」
 さっき、プレゼントはほかの子に、と言っていたくせに、やっぱりサンタさんからのプレゼントについても検討していたようだ。
「生き物はだめじゃない?ママ、生き物は聞いたことないなあ」
ゆいちゃんは、子犬もらうんだって」
「おうちの人からじゃない?」
「わかんない」
「サンタさんじゃないと思うなあ」
「ママ、サンタさんと話したことあるの?」
「大人になるとお話しできるようになるんだよ」
「そうなんだ!」
「だから蒼空の欲しいものがなにか、ママが聞いてるの。お電話して、頼むの」
「ウーバーみたいに?」
「まあそんな感じ」
 答えながら苦笑した。田舎で、ウーバーなんて使ったことが無いのに、なにかのCMで覚えたようだ。
「子どものおてがみは、届くよね」
「お手紙は届くよ」
「じゃあ、ぼくが、ほかの子にあげてっていったおてがみ、もうとどいちゃった?」
「届いていると思うよ」
「そっか・・・」
 青空は少々、残念そうに言った。
「蒼空は猫、欲しいの?」
「うーん。いたらいいな、って思うの」
「でもさ、ずっとお世話しないと。クリスマスだけじゃないよ。ねこちゃんがもういいよ、っていうまで、ずっとずっとだよ。パパもママも、蒼空も、みんなでお世話しないと」
「かぞくのきょうりょくがひつようだね」
 突然大人びたことを言うので思わず笑ってしまう。
「そうだね。家族には協力が必要だね」
 本当は、この古い家も嫌いではない。こんな暮らしが、嫌いではない。おしゃれなインテリアの素敵な家もいいけれど、古民家で家族三人、各世代そろい踏みのおしくらまんじゅうも、悪くない。すれ違いも、摩擦も、納得できないことも、煩わしさも、苛立ちも。夫の言うことも、もっともなことはたくさんある。
 なにより、ぎゅっぎゅっと身を寄せ合うのは、温かい。
「ねこちゃんは、やめておこうよ。サンタさん、世界中のおうちを回るから、うちに来るまで、ねこちゃん、寒くて凍えちゃうよ」
「そうだね」
 蒼空は、納得したのかしないのか、もう半分、瞼を閉じている。
「何にするか、ぼく、考えておくことにするよ」
 大人びた口調で、蒼空は言った。そしてすぅと眠った。
 いたいけな蒼空の寝顔を見ながら、私は、そうは言うけどクリスマスはもう明後日なんですよ、と、すべすべした頬をそっと撫でた。

※おしくらまんじゅう:小さな円の中で数人で身体を寄せ合い、押し付け合う遊び。輪から出たら負け。

なにか幸せなお話を書きたくなって。

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