タケナワモールワラシ【ピリカ文庫】
北川屋グループ「タケナワモールKITAGAWAYA」は今年、オープンして20周年を迎える。
山本奈津子は21年前、産休を終えて北川屋グループの総務部に職場復帰した。結婚・出産まで本社のある恵比須に勤めていたが、地元の軒並市に近い竹縄市に百貨店を核にした巨大ショッピングセンターができると聞き、さらにそこに北川屋グループが参入すると聞いて、転勤願いを出した。
当時は出産したばかりだったため、家から近いところに勤務先が参入する商業施設ができるのは幸運だと思ったし、地域密着型の新しい形態の施設を盛り立てて働くのが面白そうでもあった。
たまたま、当時デヴェロッパー部門に出向していた元上司の山田さんが新店舗の支店長に就任し、彼の口利きもあったのかめでたく転勤願いが受理されて、そろって竹縄に転勤した。
工事の着工が遅れ、間借りのような簡易事務所からのスタートだったが、おかげで近隣ではまれに見る巨大商業施設の誕生を間近に見ることになった。
『タケナワモールKITAGAWAYA』と名付けられた北川屋の初期テナントは華やかで、クリスチャン・ディオールやバレンシアガが入り、オープニングセレモニーには、当時人気が急上昇していたお笑いコンビ「アジスアベバ」を呼んだ。1年目の誕生祭の売り上げは予想をはるかに上回り、デパ地下では都市近郊の百貨店とは思われないラインナップが軒を連ね、連日売り上げ目標を達成。売り上げ記録を更新し続けた。夕方、北川屋グループがスポンサーになっている地元の野球チームの応援歌が流れると、「ああ今日も達成したな」と思い、翌日の朝会で発表されるのが楽しみだった。
しかし、4年目以降売り上げは徐々に落ち込んだ。外資系高級店の撤退は早く、代わりにH&MやZARA、UNIQLOが入ったが、折悪しく周辺のマンション建設ラッシュがいったん落ち着き、消費者の購買余力も横ばいになっていた。
10年ほどは、モールの方の活況もあって比較的新しいテナントにも困らなかったし、売り上げが落ちたとはいってもマイナスにはならなかった。が、小売業である北川屋は当初期待されたほど業績が伸びず、15年もすると急速に閉店と開店のバランスが悪くなっていった。それからは、客足が遠のいて店内ががらんとし始めるのに、そう時間はかからなかった。
そして20周年の今年。この記念すべき年に、『タケナワモールKITAGAWAYA』の北川屋グループはついに、ショッピングモールを経営していたデヴェロッパーともども、大手流通チェーンのシオングループに吸収されることになったのだった。
二度目の産休を取った後は契約社員となり、その後パートになった奈津子は、転勤することなく『タケナワモールKITAGAWAYA』で働いてきた。子供が成人するまでのほぼすべての時間を、『タケナワモールKITAGAWAYA』で過ごしたといっても過言ではない。
社員だったころは企画を起ち上げ、チームを指揮してプロジェクトを成功させたこともあったし、契約社員になってからも、古株の知識と経験を買われて企画書を出すように言われ、アイディアを採用してもらったこともある。
もちろん良いことばかりではなく、気の合わない上司や同僚に苦しめられたこともあった。辞めようかと思ったことも一度や二度ではない。でも、思い出がいっぱい詰まった『タケナワモールKITAGAWAYA』が無くなるのは、やっぱり寂しかった。が、その寂しさを共有できる人が、社内にはもう、ほとんどいない。こうなるまでに、相当数のパートや社員がコストカットを理由に減給されたりリストラされ、職場を離れていたからだ。
時代の流れだから仕方がない、と誰もが言った。母体である北川屋グループがシオングループに完全に移行したら人員もさらに削減になるはずで、今までしたことのないような業務に就く可能性もある。タケナワモールという名前だけは残るかもしれないが、KITAGAWAYAの名は消えると言われていた。今は社員みんなが戦々恐々としている状況だ。
パートの奈津子は、雇用してもらえるのならシオンで働いても構わなかったが、気持ちは揺れ動いていた。
その日、今にも雨が降り出しそうな天気を気にしながら屋上にあるお社を掃除して榊を交換していると、後ろに今の支店長の田中和美が立った。
「商業施設の屋上にお稲荷さんがあるって、最近は同じビルで働いていても知らない人も多いんですよね」
唐突な言葉に戸惑い気味に振り返りながらお疲れ様です、と挨拶すると、お疲れ様です、順番が逆でしたねと微笑を浮かべながら支店長も言った。
「挨拶もしないで急に話しかけちゃってごめんなさい」
田中支店長は気さくにそう言った。
おそらくはこの店舗の後始末のためだけに支店長になったであろう田中を、良く思っていない社員がいるのは知っていた。奈津子は彼女を気の毒に思うことはあっても、嫌いにはなれなかった。そこまでちゃんと話したこともないし、関係も薄い。
「ここの管理も含めて、庶務雑務系の業務はだいたい山本さんがやってるでしょう。山本さんのお仕事だけ重くないかなと思って」
田中支店長が奈津子に業務のことで直接何か言ったのは、これが初めてだった。
「いいんです。それに私、ここにお参りするのが結構好きなんです。いまはせめて、20周年の誕生祭ができますように、ってお祈りしてます」
それを聞いた田中支店長は複雑な表情をした。苦笑のような、見ようによっては泣きそうな顔で、一瞬、何か言いかけてやめると、気を取り直したように言った。
「いつも細かいところまで気が付いてくださって、有難く思ってます。山本さん、ここ出来た時からいらっしゃるんですよね。前から、あなたとお話してみたいと思っていて、なかなか、話しかけることができなくて」
古い榊を花屋のビニール袋に入れながら、「今はパートですから」と笑うと、田中は頷き、言った。
「私、初代支店長だった山田さんと、昔一緒に働いたことがあるんですよ」
山田支店長は、この施設の誕生を見守り、産休に入るまで一緒に働いた、いわば同士のような存在だった。しばらく年賀状のやり取りをしていたが、世間的に年賀状の習慣が衰退してきてからは、疎遠になっている。
「そうだったんですか。山田さんにはお世話になりました」
「この間会ったんです。この店のことは、いろいろ、残念がってました」
「わかります。あのころ山田さん、凄く張り切ってましたから」
「こういう店舗を一から起ち上げるって、なかなかない経験ですものね。ここの地元の期待も背負っていたでしょうし、なんか、羨ましい気がする。いい時代を知っていて」
奈津子は田中支店長を見た。彼女と奈津子はほぼ同年代だ。奈津子もずっと社員でいたら、もしかしたらなんらかの役職にはついていたのかもしれない、と思うこともある。でも、たとえ試しても無理だっただろう、ということもわかっている。
田中支店長は大きな酒屋さんに嫁ぎ、子供たちはその酒屋さんで面倒を見てくれて、自分は全国どこへでも転勤できたと聞いた。結婚出産しても転勤を厭わなくていい、というのは、普通の女性にはなかなかできないことだ。少なくとも、奈津子の世代では。
「20周年の誕生祭をする前に、閉店セールをすることになりそうです」
それから、田中支店長はそう、ぽつんと言った。
「決まったんですね」
問いかけると、田中支店長は頷いた。午前中いちばんに、本社とのオンライン会議をしていたはずだった。
ああそうか、さっき本当は、このことが言いたかったんだ、と思った。
「20周年、迎えてあげられなかったね」
そう言って田中支店長は社に向かってパンパンと柏手を打つと、ちょっと会釈をして、立ち去った。
古い榊を捨てて事務所に戻る途中、B・J・トーマスの「雨にぬれても」が店内に流れた。奈津子が屋内に入ったタイミングで雨が降り出したらしい。間一髪だったなと思った。午後から強い雨、という天気予報を見て傘袋と雫落しの設置の手配はしてあったが、確認と手伝いに行かなくてはいけない。お客様の転倒がないように、見回りも強化する。雨は事務仕事が滞る原因のひとつではあった。
いったん事務所に戻って同じパートの真木さんと手分けして見回りに出る。風の具合で雨が強く吹き込む出入り口があれば封鎖もする。すでに課長と係長クラスの鈴木さんは警備と商管に連絡を取り、店内に出ていた。途中で鈴木さんに会ったので指示を仰ぐ。傘袋が補充されていないものがあったので、倉庫に取りに行って欲しいと言われ、事務所に鍵を取りに戻り、倉庫に向かった。
非常用階段を使って裏に回ると、くねくねと迷路のような廊下が続く。途中、鉄扉があり、その奥にもまた廊下が続く。
倉庫のある廊下は暗くて、じめじめとしていた。こんな天気の日はてきめんにかび臭さが強まる。明るい光に満ち華やかな音楽の流れる表の顔と全く違う裏の顔が、そこにはあった。搬入口のほうはまだ明るいが、備品倉庫と忘れ物保管所のある場所は地階にあり、まるでダンジョンのようだ。
階段を降りてやっと倉庫にたどり着き、重い金属のドアを押し開け、電気をつけた。経理に計上するために何枚出したかはアナログでも記帳しなければならない。制服の胸元のポケットに刺したペンに触れながら傘袋を探した。確かそろそろ大きなロットで補充しなければならないはずで、残りはあまりなかったと記憶している。いつまで発注できるのだろうか、と考えながら、箱を見つけた。台車に載せ、来た道を戻っていく。
最後の鉄扉を開け、店内の音楽が耳にたどり着いた。かび臭い匂いからも解放され、だいぶほっとする。
その時、人影を見かけた。
この廊下には、ときどきお客様が迷い込む。高齢者や子供が多いが、たまに大人もいる。たいていは忘れ物を保管所まで取りに行かなければならない人だが、メンタルが不調な人も来るし、ホームレスの人や邪な考えを持った人が紛れ込むかも知れず、注意か必要だ。いちおう、廊下にはわかりやすいように道順が書いてあるが、なにぶん、バックヤードは慣れないと心細い迷路だ。警戒しながらも声をかけて案内することになる。
「どうされましたか」
声をかけた先にいたのは、髪が黒く背中までの長さの、顔周りをカットした平安時代のようなヘアスタイルの女性だった。「姫カット」というのだったっけ、と娘の話を思い出しながら微笑む。まだ若い。18歳になる奈津子の娘と同じ年頃のようだ。ふんわりしたフリル系ブラウスにミニスカート。ニーハイソックスに少し底の厚いストラップの靴。小さな可愛らしいバッグを持っている。彼女の体つきがほっそりしてモデル体型ということもあるが、バランスが良くなかなかのおしゃれさんだ。
「お忘れ物ですか?」
すると彼女は恥ずかしそうにうつむき、小さな声で、いいえ、と言った。
「ああ、迷い込んじゃったんですね。モールのバックヤード、迷路みたいですもんね。一緒にお店の方に行きましょう」
そう言うと、彼女は頷いて、台車に並んで歩き始めた。
「あの」
思いがけず、女の子の方から話しかけられた。この年頃の女の子は、店員と客という関係でなければ、見も知らぬ奈津子のような中年女性に自ら声をかけることは滅多にない。
「はい?」
「いつも、私、お世話になって。ご挨拶したくて」
「え?」
奈津子は立ち止まらずに考えた。彼女も台車に並行して歩いている。
彼女とは初対面だ、と思う。商売柄、人の顔を覚えるのは苦手ではないが、会ったことはない、はずだ。お客様だろうか。アルバイトの面接?それとも落とし物や忘れ物を探すお手伝いをした?いつも、というのは解せないけど、なんらかの縁があって話したことがあったかもしれない。もしかしたら、ご近所の常連さんで、店内で何度かすれ違っているのかもしれない。
あれこれ考えているうちに、東出口の自動扉が見えるところまで出た。
雨は吹き込んでいないようだ。傘袋とゴミ箱も、ちゃんと設置済されている。
「ここからだともう、大丈夫ですね。右手がお店、左手が東出口です。私、お客様にお会いしたことがあるのですね。思い出せなくて大変申し訳ございません」
そう言いながら立ち止まって45度のお辞儀をした。すると彼女も立ち止まって、また恥ずかしそうに、えっと、と言った。
「私、というより、私たち、あなたには、ずっとお世話になったんです。きっと、覚えてないと思います。でもいいんです。みんなずいぶん前にここを出て行ったんですけど、私はお誕生日までいたかったので、今まで残っていました。でも、もう行かなくちゃ。親切にしていただいて、ありがとうございました。それじゃあ」
ひと息にそういうと、彼女は美しい黒髪をさらりと振ってくるりと踵を返した。踵を返す、という動作を、これほど鮮やかに見たのは初めてだったかもしれない。見惚れるほど、きれのいい動きだった。
声をかける間もなく、彼女は左手の東出口から出て行った。
雨が降っているというのに、傘もささずに。
雨が降っていますよ、と台車を押しながら追いかけたが、もう彼女の姿はどこにもなかった。
狐につままれたような、という表現がぴったりで、不思議な気持ちがしたが、気を取り直して慌ただしく店内に戻り、傘袋が足りないと言っていた正面口に駆け付ける。雨脚は次第に激しくなり、閉店の直前に「オーバー・ザ・レインボー」が流れるまで、雨が止むことはなかった。
翌日、朝会で閉店セールの日程が発表された。20周年記念の誕生祭は幻になった。閉店の日は、想像していたより早かった。
20年の歴史がこんなに駆け足で終わってしまうなんて、と、さすがにがっかりした。社員はみな項垂れている。
ルーティンの仕事を終えると、社の様子が気になったので屋上に上がった。昨日は風も強かったから、榊の台が倒れているかもしれなかった。
屋上の鉄扉を開けたとたん、昨日の雨が嘘のような晴天が目を射た。案の定社のまわりは、倒れた榊やどこからか飛んできたゴミで少し散らかっている。
実は奈津子は昨日から、あの子はもしかしたら、座敷童だったんじゃないか、と思いはじめていた。お屋敷のような座敷がないので座敷童、と言って悪ければ、百貨店童。それとも、モールワラシとか、SCワラシ、と言えばいいのだろうか。
昨日ネットで検索したら、座敷童がいる間は家が繁栄し、出て行った家は見る間に没落した、という類話がいくつも出てきた。屋上の社は、商売繁盛を願って建てる。言い伝えでは座敷童も、繫栄する家につくものだという。お稲荷さんと座敷童を結びつけるものではないかもしれないが、あれからいくら考えても、あの女の子のことを思い出せない。我ながらおかしな思いつきに呆れるが、それがいちばんしっくりくる、というか、それしか考えられないとまで、思っていた。
あの子はこのお社にいて、ずっとKITAGAWAYAを守っていてくれていたのではないか―――たくさん仲間がいた、と言っていたから、業績不振に伴って、次々にこの社から出て行ったのではないか。
凋落、没落。そんな言葉が、今のKITAGAWAYAには似合い過ぎる。
そういえばあの子は、お誕生日を待っていた、と言っていた。
怪異、かもしれないが、怖くはない。ただ、お誕生日を待っていたというあの子の20歳を、やっぱり祝ってあげたかったと思った。
空を見上げると、白い月が出ていた。
あの子たちは、今度はいったい、どこに行ったのだろう。
小さな社の前にしゃがみ込み、散らかった榊や細かいゴミの片づけをしながら、甘めガーリーでファッショナブルな女の子の姿を思い浮かべた。
あの子の服は、そういえば20年前からKITAGAWAYAで営業を続けて、先日ついに閉店したティーン向けの店舗の商品に似ていた。フロアにブランドがたった数店舗になっても、そこだけはなぜか、常に客足が途切れなかったお店だ。品ぞろえの良さと価格の手ごろさで、近隣の母娘に愛されていた。
東北の民話の座敷童のイメージとはずいぶん違ういでたちだったが、ショッピングモールの座敷童はきっと、いまどきでお洒落なんだろう。
そう思いながら奈津子は、柏手を打ち、手を合わせると頭を垂れた。今頃、どこかのお店を繁盛させているのだろうけれど、もしかしたらそこはもう日本ではないのかもしれない。
「誕生祭、できなくてごめんね。いままでありがとう」
心の中でつぶやいたとき、ふと、ああもうここに未練はないな、と思った。やるべきことは、やった気がした。
清々しい気持ちで立ち上がり、榊とゴミの入ったビニール袋の取っ手を結んできゅっと締める。
奈津子の髪を掻き散らして、一陣の風が吹き抜けていった。
了
ピリカ文庫参加作品
テーマ「誕生」
二度目のピリカ文庫です。
文学フリマのブースに、コッシーさん発案という封筒に入った秘密指令をピリカさんが持ってきてくださったときは感激で受け取る手が震えました。
短編集『白熊と光』では、たったひとつの作品しか参加していないのに、ピリカ文庫&ピリカ愛をタイトルに込めて思い切り叫んでしまい、さすがにちょっと恥ずかしいと思ってました。グランプリだったわけでもなく、どなたかの個人賞をもらったわけでもなく、ただピリカ文庫に参加しただけで、舞い上がっちゃって・・・
でも愛は叫んでみるものです。
こうして、再度、ピリカ文庫への寄稿が叶いました。
今回のテーマ「誕生」は、テーマとしてかなり高難易度だと思いました。
いったん完成したものを全ボツにして、もういちど最初から別の話に取り組みました。なかなかの難産でした。
ちょっと不思議な存在が関わっているお話が好きです。日常の中にふと紛れ込むファンタジー。今回もそんな話になりました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
願わくば、気に入ってくださる方がいますように。
吉穂みらい
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