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わかりやすさも、ほどほどに?

「わかった」と思っていても、後々考えると「わかったつもり」だったなと思うことが往々にしてあります。

例えばプログラミング。本を読んだり、オンラインのチュートリアルをやったりすることで、書き方も理解して「わかった」状態になることがあります。でも実際にコードを書いてみると、思っていたよりも難しくて全然書けない、、と落ち込むことがよくありました。

わかったつもりの状態から少しでも理解が進めば、今よりも少しだけわかった状態に。さらにわからない事象に出会うことで、わかったつもりの状態に戻る。この繰り返しで理解が深まっていく。わかったつもり状態の延長に、わかった状態があるということなんでしょうか。

また、わかったつもり状態は、自分自身ではわかった状態なので、その事象について、さらに理解を深めようとする動機が弱くなる可能性もありそうです。例えば冒頭であげたプログラミングだと、もうコードの書き方は理解している(と思っている)ので、書き方についてさらに学ぶ可能性は低くなりがちです。

わかったつもり状態は、その事象に対しての学習意欲や関心を失った状態とも言えそうです。

職業柄、人に情報を伝えることが多いのですが、伝えるべき情報を引き算して誰にでもわかりやすいように伝えることが一般的です。僕自身のスタンスとしてもそうですし、企業やサービスについて、一言で説明する見出しや簡潔な文章を用いたり、端的にわかりやすい図や表を使ったり、できるだけ情報量は少なく、誰にでもわかりやすいように伝える工夫をします。

ただそれは実際には、わかったつもり状態をつくり出すことに寄与しているのではないかと思うこともあります。より理解してほしい場合は、情報の引き算で理解促進をしつつも、一連の情報の中で、次のアクションを起こさせるための新たな疑問点を提示することも重要だったりするのではと思ったりします。

情報をわかりやすく伝える工夫から一歩進んで、「わかりやすいけど、わかったつもり状態で終わらせない工夫」も重要だったりするのかもと。

すべての情報発信にあてはまるわけではなさそうですが、より理解を深めてほしいWebサイトやコンテンツの場合は「なるほど、よくわかった!」で終わるより、「なるほど、よくわかった!あれ?でもそうなると、これってどういうことだろう?」という反応で終わるほうがよいのかもしれないなとか、つらつら考えたりしていました。おわり。

Webチームのアドベントカレンダーも始まっていますので、こちらもぜひ!


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