武術にパワーは必要ないという疑問

随分前、「空手家」になることを諦めたと俺は書いた。

だが俺はある古流武術の道場に通い始めた。 仕事の休みと道場の稽古日がなかなか合わない為週にわずかにしか通えてないのが現状であるが・・・。

俺は日本古来の武術を習いたくて入ったのだが、いざ入ってみるとなんだか悶々としている。 稽古ではもちろん身体の使い方などたくさんの学ぶべきところがあるのだが、昔合気道をやっていたときも思っていたことだが、俺はこれをやって一体強くなるのか?と稽古をしながら考えてしまつてゐるのだ。  


この前、稽古のあと俺が筋トレやっていると言うと、「筋トレは止めたほうが良い」と言われた。(最近は自重トレーニングに凝っているのだ。このことについてはまたいつか書く時があるだろう) 

確かに、古武術の稽古は近代トレーニングの方法論とは全く異質であり、無駄な筋肉をつけるべきではないのかもしれない。 昔、古武道の身体論に興味を持っていた俺には理解はできる。 


ただし、もちろん武術は強くなれないと意味が無い。 演舞ができたとしても、また技を覚えたとしても、実際に人や危険と対峙して、それを切り抜けられなかったり、対応できなかったら意味がないからだ。

ボクサーのパンチを避けられなかったり、また極真会館のフルコンタクト空手家のローキックでなぎ倒されてしまうようならば、どんなに危険な技を練習しようが、意味がないではないか。 

俺は長らく、古流の稽古法が現代の西洋流のものより優れているはずだという考えが頭を占めていたのだが、最近は考えが変わり近代的な身体とレーニングは重要だと思うようになった。 

この間、中国人の武術家をボコボコにしている中国人MMAファイターの動画を見た。

また他には、13年合気道を稽古している外国人が、「実際に合気道は使えるのかどうか」試すべく、自らMMAファイターにスパーリングを挑む動画を見た。

結果、合気道家の技はこのMMAファイターに対しては全然使えなかった。もちろん習熟度の度合いもあるかもしれないが、13年もやって技が使えないのでは、一体何をしてきたのだ?と思うだろう。 

結果はどうであれこの外国人合気道家のチャレンジは称賛に値すると思う。 


日本人の武道愛好家にこのような人間はいるだろうか。俺は英語が少しできるから外国の動画をよく見る。外国人武道家にはこのような武道の既成概念にとらわれない人は珍しくない。きっと日本の武道も外からの刺激を受けながら進化していかなければならないのだろう。


そういえば俺の高校時代からの友人で、やたら喧嘩に強いという評判の男がいる(俺はそいつの喧嘩を見たことはないが、そいつを恐れいている奴がけっこういたから本当だと思う)。

この前の飲み会のとき、何故か学生時代の話になったとき、彼は

「一日千回腹筋をしていた」

とさらっと言っていた。 

俺は驚愕し何度も聞き返した。 千回なんて、やろうと思ってもなかなかできるもんでもないし、だいたい300回でもしたら相当によくやるほうだ。 またそいつは高校で一番か二番に腕相撲が強かった

で、そいつは高校の時、他校の空手をやっているというちょっと不良業界では少しだけ有名な男に喧嘩を売られたことがあるらしい。 ひょろっとした不良だったらしいが、しかし、その俺の友人は、その「空手家」を倒してしまった。その「空手家」の突きなんか効かなかったらしい。

俺は何が言いたいのかというと、圧倒的なパワーの前に、小手先の技なんか通用しないのではないか、ということだ。

先に挙げた合気道もそうだが、近代的レーニングを積んだ格闘技や圧倒的なパワーの差の前に、日本武道はどれだけ有効なんだろうか。

合気道の達人である塩田剛三、また合気道の開祖植芝盛平は、二人共小柄ながら、怪力の持ち主であったらしい。昔読んだ本では、植芝盛平は妹が病気したときに70キロも離れた医者までその妹をおぶって行ったとか、塩田剛三はあの木村政彦よりも腕相撲が強かったとか、とにかくそんな逸話は枚挙に暇がない。極真会館の創始者大山倍達が尊敬する武道家はこの二人だったらしいが、この二人の死後、格闘技としての合気道は終わった、と言っていたらしい。「力を使わない」格闘技などといわれる合気道のその達人が、怪力の持ち主だったことは興味深い話ではないか。 

だから、俺は、どんな武術や格闘技をやろうとも、まずはパワーを身に着けたいと、最近は素直に思っているのである。 





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