思考は現実化する ~タイの僧院にて~
「引き寄せの法則」という言葉があります。自分の思い描いていたことは現実化する、実際に引き寄せるということです。THE SECRETという本で有名になった言葉です。
僕は実際にこの「引き寄せの法則」というものを体験しました。 精神力や思考の作用というものがあることを心から実感し、それまでの自分の常識が剥がれていった経験があります。
今から書くことはただ単に自分に起こった事実だけを述べます。 信じるか信じないかはこれを読んでいる貴方しだいですが、精神や心の世界の可能性に目を向けることの一助を与えることができればと思います。
私はある年の夏、インドに行くためのビザを取得しに、タイバンコクへ赴いた。
私はフィリピンでの留学を終えたばかりで、その留学のあとにはインドの新仏教徒運動の指導者佐々井秀嶺師会いにインドに旅立つ予定だった。
日本でインドビザを取得するには、長い時間と面倒な手続きを要する為タイバンコクでとることにしたのだった。
バンコクのカオサンロードの旅行会社でビザの手続きの代行を頼んだのだが、ビザが出来上がるまで10営業日の日数がかかるということなので、グダグダとした読書とアルコールの日常から抜け出すため私はカンチャナブリへ出かけた。
私は、そのころもうバックパッカーを卒業したがっていた。
私は1年5ヶ月をかけて北半球の世界一周をやり遂げたこともあり、バックパッカーとしての旅の技術や情報の集め方もある程度熟練していた。
世界一周をしたときも、10ヶ月過ぎたあたりからあらゆる感受性が鈍くなり、各国のおいしい料理を食べても、美しい荘厳な世界遺産や建築物を見ても感動をしなくなっていたのだが、それは今回タイに来たときも同じだった。
外国にいることや旅することが日常となってしまっていて、ただその国に「いる」「訪れる」ということだけではワクワクもしなくなっていたのだ。
カンチャナブリにいても、欧米のバックパッカーやヒッピー崩れの中年とビールを飲んではあまり中身のない話をして、昼に起きてインターネットでインドの旅情報を調べたりして、夜はまたビールを飲む。
当時私には好きな女がいた。 離ればなれだったために彼女に非常に会いたかったし、日々メールやスカイプで連絡のやりとりをしていた。
それでも無為な日常には変わりなかったために、かといって時間はたっぷりあるために頭の中ではいろんなことを考えるのだ。
そして、徐々に徐々に堕落のスパイラルに堕ちていくような感覚が付きまとい、思考はネガティブなことが大半を占めるようになっていた。
そして、私は彼女とのメールのやり取りで今の不満な状態をぶちまけた。 旅が非常につまらなくて無意味なものに思えてくる、と。 きっと彼女には不満ばかり述べている頼りない男と写ったに違いない。
僕はこの無意味な日常から抜け出すために、ある案を思い出した。
タイの仏教僧院へ訪れるということだ。
私は以前、カンチャナブリのもっとミャンマー国境の方へ向かったところにある日本人が住職を務めるお寺で一週間ほど滞在したことがある。
そこで、堕落しきった生活を直して瞑想でもしよう。 そのほうがここで腐っているよりもよっぽどいい。
僕はそう思い立って次の日には出発できるように準備を整えた。
そして意中の彼女にはメールで様々な現状の不満を並べ立てたあとに「ということで、しばらく連絡とれないから」と言い残したのだった。 とにかく得体のしれぬ不安が頭に渦巻いていたし、その時はそもそも付き合ってもいないしその子とはあまりうまくいっていなかった。
彼女からの返事は「わかった、もうあなたとは連絡とるのやめるから、もう連絡しないでね。」
ネガティブ思考に陥っていた私はこの彼女の返事に戸惑った。 一体なんなんだ? イライラしたし、不安になった。そして、どうしてこんなことになるのかわからず情緒不安定になっていた。
イギリス人のバックパッカーの小娘とフランス人の飲んだ暮れの中年ギタリストと、中年の女性タイマッサージ師とビールを飲んでいたが、なんかそれどころではなくなっていた。
結局ビールで気を紛らわしても効果なく、そのまま寝床についた。 次の日の早朝私は不機嫌でネガティブで情緒不安定なまま、カンチャナブリのバスステーションから、その日本人が住職を務めるお寺へと向かったのだった。
カンチャナブリからそのお寺は約80キロ離れている。 バスステーションで行きかたを教わり、運転手に地図を見せてワット・スワンタワナーラームで降ろしてくれるよう頼んだ。バスで一時間半くらいなのだが、バスのなかではネガティブな感覚が襲ってきていて参っていた。 好きな女性に見放されたことが堪えていたにちがいない。
バスを降ろされた後、バイクに乗っている男にいってお寺まで乗せていってもらった。
お寺に着いた。
三年前に訪れた場所だったのだが久々に来たという感覚もあまりなく、むしろ妙な懐かしさがあった。
白い服を着た剃髪の女性が案内してくれて、宿泊者名簿のところに名前などを書くよう薦められた。
私がその名簿に記入しているあいだに、近くを通ったお坊さんが僕に話しかけた。
Aさんだ!
よく覚えている。 前回お寺に来たときによく色んな話を聞かせてくれた。
「君、始めてじゃないよね?」
「はい、三年前一度尋ねたことがあります。」
そういって挨拶を済ませたあと、いきなり彼は、まあまあここに座りなよと言ってから何の準備のないまま話し出したのだった。
「ヨシダ君、知ってる? この世は自分の写し鏡なんだよ」
訪ねもしていないのに、いきなり彼はこんなことを唐突に話し出したのだ。
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