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周りの人の目、恥をかくことが怖すぎる悩みについて

「世間体」「社会の目」「周りの目」を気にして、自分の意志や気持ちにブレーキをかけてしまう……。社交不安症とまではいかなくても、あたかも周りから自分が監視されているかのようで、息苦しさ、しんどさを感じるという悩みは、マンツーマンのカウンセリングで扱うことが多いテーマの一つと言えます。


恥は日本の文化

『菊と刀』の中で、女性人類学者のルース・ベネディクトは、

・世間体や周りの評判を基準とした「恥の文化」=日本型の文化
・内面的な良心を基準とした「罪の文化」=欧米型の文化

といった考察をしてます。

日本は他人の目から見た自分が「恥をかくか否か?」がその人の行動規範に大きな影響を与え行動を決定づける「恥の文化」で、一方、欧米では「神様の教え」という絶対的な基準があって、それがその人の行動規範に大きな影響を与え行動を決定づける「罪の文化」だと言うのです。

思えば、毎年年末になるとなぜか家族揃ってテレビで見ていた「忠臣蔵」も、恥をかかされたことが発端で刃傷沙汰になったわけで、汚名返上するためなら刃傷沙汰も美徳とする価値観からくるものと言ってもいいでしょう。

また、孤独死のニュースの中で「餓死したのは生活保護申請をしていなかったから」といった記事を見かけることがありますが、こうした背景にももしかしたら「恥をかきたくない」といった気持ちがあるのかもしれません。

とはいえ、西洋には「決闘」という文化が古くからあります。決闘では自身の名誉回復だけでなく、自分の愛する人の名誉が傷つけられた場合も行われていたようですが、あくまでも貴族など上流階級の間だけのことで、社会全般に浸透していたものではなかったようです。

そういう意味で言うと、「恥をかくこと」が生死に関わるほどの重大事項だという価値観は、確かに西洋以上に浸透していると言えるかともいます。

僕自身、幼い頃からことあるごとに「恥をかくことは悪いこと、なんとしても避けなければならないこと」という教えを刷り込まれてきたし、確かに「恥を恐れる価値観・文化」は、私たちの社会秩序維持に大きな役割を果たしています。

もしも「恥=悪」といった人目を気にする文化がなければ、大きな自然災害が起きた時、「自分の欲求を満たすためなら略奪もなんでもあり」といった自分の欲求基準に行動するような欧米型の社会になっているかもしれません。
(もちろん、日本にもそういう価値観の人が少なからずいますが……)

ですが、「恥をかくことは悪であり、避けなければならない」という気持ちがことさら強くなると話は別です。

極端に失敗を恐れてやりたいことにチャレンジすることを諦めたり、周りと同じようにできない自分、劣っている自分のことを「恥=悪」といった認識をしてしまうなどして、自ら自尊心を傷つけたり、劣等感や罪悪感を強化してしまった結果、人生が暗転してしまうことは少なくないのです。

そういう意味でいうと、「恥を極度に恐れる気持ち」を乗り越えることは、自分らしく生きていくための大きなヒントと言えると思います。
実際、恥をかくことに必要以上の罪の意識や恐れを感じなくなると、メキメキ自分に自信や勇気が持てるようになったりします。

「人の目が気になる」ときの人って誰?


周りの目、世間の目が気になると訴える時、果たして「周りの目」「世間の目」とは具体的に誰を指すのでしょうか?
ヨチヨチ歩きの赤ちゃんや、杖をついて歩くおじいちゃん、おばあちゃんも含めての「周りの目」なのでしょうか?

きっとそんなことはなくて、誰の目を恐れているのかを突き詰めていくと、多くの場合それは親(養育者)だったりします(時々、学校の先生というケースもあります)。

たとえば、お母さんがなんらかの劣等感を持っていて、それを周り(世間)に隠そうとして、子どもの服装から髪型、持ち物、考え方、友達選び、進路選びなど、あれこれ「世間から見て恥ずかしいと言われないかどうか基準」で口を挟んだとします。
そうやって世間基準で過干渉的な関わりをされた子どもは、「世間教」を絶対的な教義として内面化していきます。

すると、大人になって親元を離れ目の前に母親がいなくても、まるで世間から「その服装は何なの?」「そんな人と付き合ってはいけません」「そんな学歴で大丈夫なの?」と言われてるような気がして、息苦しさ、重苦しさを感じる……。
友達と楽しく過ごそうとしても、まるで背後霊のように「世間体という名のお母さん」が付いて回り、心から楽しむことができないみたいな……。

こんな風に「世間の目」「周りの目」が気になるという時、それは実は親(養育者)の目を指しているというケースは非常に多かったりします。
(それ以外にも自尊心や自己愛が傷ついているなどして、過剰に自己防衛しているというのもありますが、それはまたの機会にしたいと思います^^)。

こうした心理的な背景を踏まえると、周りの目を過度に気にする自分、過度に恥を恐れる自分から抜け出すには「心の中にいる親と向き合うこと」が大きなヒントになると言えるかと思います。

イメージエクササイズ


最後に親(養育者)に刷り込まれ内面化した恥を恐れる気持ちを手放すことに役立つエクササイズを紹介します。

 ・ステップ1

軽く目を閉じてリラックスした状態で、あなたに世間の目を怖がるようなことを教えた相手(たとえば親)の顔をイメージしてみます。
イメージの中で、その相手はどんな表情をし、どんな目であなたを見ているでしょうか?
厳しく監視をするような感じかもしれませんし、厳しく指摘するような目をしているかもしれませんが、まずは感じるままにそれをイメージしてみましょう。

 ・ステップ2

次にイメージの中で、その相手に向けて両手を前に突き出してブロックするようなポーズをしてみましょう。もちろん実際に、そういうポーズをしていただいても構いません。
そういうポーズをとること自体、とてもいけないことのように感じるかもしれませんが、その抵抗感こそがあなたの心の中にある世間の目を恐れる気持ち、周りの目を恐れる気持ちと言えます。

 ・ステップ3

今度はイメージの中の相手の目をしっかりとみながら、少しずつ近づけるところまで近づいてみてください。
途中で「もう無理!」となったら一旦このワークはやめて、ここまでトライできた自分を褒めて、また時間を空けてやってみるなりしましょう。

 ・ステップ4

顔と顔が触れ合うまで近づくことができたら、相手に手を伸ばし優しく抱きしめながら「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ」「安心していいんだよ」と優しくイメージの中の相手に何度も言い聞かせてみます。

 ・ステップ5

相手が安心したようであれば、イメージの中で抱きしめた手を解いてゆっくりと離れ、相手の顔をまたしっかり観察してみます。そして最初の顔との違いを観察してみましょう。

 ・ステップ6

最後に相手に向けて両手を広げて受け入れるポーズをとりながら、もう一度近づいてみます。抵抗なく近づくことができたらエクササイズは終了です。


一回で恥を恐れる気持ちや周りの目を恐れる気持ちがスッキリなくなるということではありませんが、何度か時間を置いてやっていくうちに徐々に改善されていくと思いますよ^^


最後までご覧いただきありがとうございました。この記事があなたのお役に少しでも立つことができたら嬉しいです。


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