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悪意で人を傷つける「厄介な人」を見抜き身を守るヒント#3「平気で人を傷つける相手の内面世界を考える」

本シリーズ記事では、いつ、どこで遭遇するかわからない「厄介な相手」から人格攻撃(ハラスメント)を仕掛けられる前に、普段の相手の言動から悪意の有無や攻撃手口を見抜き、攻撃される前にすばやく相手の意図を封じ込めるサバイバル戦略として、
・そもそもなぜ狙われやすい人、狙われにくい人がいるのか?
・タイプ別悪意の有無の見抜き方
・実践的なサバイバル術
・相手に舐められないメンタルを手に入れるトレーニング方法
について紹介していきます。

人には感情がありますから、誰かの成功に嫉妬する、誰かの失敗を陰で願う、正しい指摘や批判だったとしても自分にとって耳の痛いものは素直に受け入れずに自己防衛的な言い訳をしたり場合によっては逆襲を試みるなど、ときにはエゴイスティックな振る舞いをすることだってります。

こうした自然なエゴイズムと厄介な人たちのエゴイズムは一体何が違うのでしょうか?

それはひとことで言うなら、厄介な人は人が苦しんでいるところを見ることそのものに快楽を感じる「他者の苦痛を求める欲求」に突き動かされているという点です。

今回の記事では厄介な人が内面に隠し持ったそうしたサディスティックな部分について覗いてみたいと思います。


卑劣な変質性

ある日突然人格が変わったかのように態度が豹変する。遠回しならがも猛毒を含んだユーモアや皮肉によって間接的な中傷を繰り返す。露骨に無視したりマウンティングしてくる。さらには火のないところに煙を立て相手を平然と陥れておきながら「実はそうするように誰々さんから言われたから」と、申し訳なさそうな顔で平気で嘘をつく。

クリスチャン・ラダー著「ビックデータの残酷な現実」の中に、興味深い一説があります。

インターネットにおける卑劣なヤツの作り方
普通の人間+匿名性+聴衆=とことん卑劣なヤツ

ビックデータの残酷な現実

実際、SNS上では、匿名性を活かして、物事の真偽や相手の気持ち、相手の置かれた状況にお構いなく、自分が言いたいことを言い放ち、自分の発言には責任を取らないという「エゴイズムの暴走」にまつわる話題が後を絶ちません。

しかし、本記事に登場する厄介な相手は匿名が担保されているかどうかに関係ありません。ネットの世界ではなく職場やサークル、近所など自身の個人情報がある程度オープンになっている人たちです。

どうして彼ら彼女らは正々堂々と相手を傷つけることができるのでしょうか?

一般的にエゴイズムは自己の快楽(利益)を求めるがゆえに表出されるものと言えます。本記事で紹介する厄介な人たちは他者が苦痛を感じるさまを見ることが快楽で、そのためにエゴイスティックな振る舞いをしていると言えます。

こうした厄介な相手の心理的背景を理解することは、この記事の根幹である「攻撃される前に気づく(見抜く)」ことにも直結する部分です。そして厄介な相手の心理背景を理解すると、厄介な相手のことを過剰に恐れることも慌てて逃げる必要もない、極めて冷静に対処できる相手であることにも気づけるはずです。

変質的に肥大化した自己愛


厄介な人のエゴイスティックな特徴の一つに、自分以外の考え方や価値観を認めないばかりか、他者を見下し侮辱する傾向があげられます。

その背景にあるのが変質的に肥大化した自己愛です。

ここでお話ししている「肥大化した自己愛」とは、鏡に写った自分をいつまでも眺めてウットリしているような「自己陶酔したナルシシスト」といった人物像などではなく、「他人は自分の利益達成のための道具でしかない」と当然のように思っている人。でも表面上はそうした独自の哲学を隠し持って日常生活に溶け込んでいる人のことです。

アメリカ精神医学会が出している「精神疾患の診断・統計マニュアル(DSM-5)」では自己愛性人格障害を診断する際の特徴を9つ挙げています。

・自分の重要性および才能についての誇大な、根拠のない感覚(誇大性)。
・途方もない業績、影響力、権力、知能、美しさ、または無欠の恋という空想にとらわれている。
・自分が特別かつ独特であり、最も優れた人々とのみ付き合うべきであると信じている。
・過剰な賞賛欲求。
・特権意識。
・目標を達成するために他者を利用する。
・他者への共感の欠如。
・他者への嫉妬および他者が自分を嫉妬していると信じている。
・尊大で傲慢、横柄。

一つひとつ見ていくと、前回紹介した厄介な人の4つのタイプの特徴と被っている部分が多いことに気付かされます。

肥大化した自己愛を形成する心理的背景の一つに「幼児的万能感」があります。

幼児的万能感への執着


万能感とは、母親のお腹の中で守られ安心できていた感覚の名残とも言われ、「自分はなんでもできる」「なににでもなれる」「なにをしても許される」といった感覚のことで幼児期の頃には誰もが持っている感覚で、子どもの発達段階においては必要な感覚といえます。

たとえば、幼い子が現実の自分を省みることなく、「自分もスーパーヒーローになる」「自分は世界を変えるような人間になる」と、何の疑いもなくファンタジーの世界を現実のよう思えたり、他の子どもが持っているおもちゃを自分のものにしようと躊躇なく取り上げたりするのも万能感のなせるわざといえます。

万能感は成長する過程で、自分の思い通りにいかない経験、個人的な挫折体験を通して等身大の自分を理解しながら徐々に薄れていくのが一般的です。

しかし、挫折を乗り越え等身大の自分を受け入れるといった、現実社会に適応するために必要な経験をしていないと、大人になって困難な状況に直面した際、自分のことを棚に上げて他責にするばかりか、周囲に身勝手な敵意を持つこともあります。そうした大人になっても手放せていない万能感を「幼児的万能感」といいます。

ではどうして厄介な人は成長の過程で万能感を手放せなかったのでしょうか? そして、なぜ大人になっても幼児的万能感に執着するのでしょうか?

手放せない典型的な理由の一つ目としては「過保護」が挙げられます。
・不適切な要求でも親が思い通りに叶えてくれる。
・親が先回りで困難なことを全て取り除いてしまう。
・親が子どもの思索や体験の機会を奪ってしまう。
こうした養育環境によって「現実を思い知らされる挫折体験」を経験することがないまま大人になった結果、万能感を手放せずにいるのです。

そして二つ目の典型的な理由として「過干渉」も挙げられます。
・子どもの言い分を尊重することなく、全て親が先回りで決めてしまう。
・子どもの言い分を拒絶し、親が子どもをコントロールしてしまう。
こうした「過干渉環境」によって、幼少期から身の丈を超えた期待や要望を背負わされ、半ば強制的に挫折体験をさせられる、反抗期を封じ込められるなど、著しく自尊心を傷つけられてきた場合、大人になって自分の思い通りにならない場面に遭遇した際、これまで抑圧してきた幼児的万能感への欲求不満が爆発し、それが強い攻撃性として現れてくるのです。

幼児的自己愛を持つ人 5つの特徴


幼児的万能感によって肥大化した自己愛を持っている人の顕著な特徴としては「恥への過度な恐れ」「誇大妄想性」「妄想的自己中心性」「妄想的嫉妬略奪性」「無責任性」の5つが挙げられ、これらは厄介な相手の特徴にリンクします。

特徴1:恥への過度な恐れ

過保護的環境の影響で恥への耐性が著しく脆弱だったり、過干渉によって自尊心をボロボロに傷つけられてきた人にとっては、恥によって心理的ダメージを受けることは「自我崩壊の危機に関わる重大案件」といえます。

そのため、彼ら彼女らは自分が恥ずかしい目に遭うことを恐れ、恥を避けるためなら手段を選びません。
逆を言えば「相手に恥をかかせること」が、相手にとってどれほど大きな心理的ダメージになるかということを嫌というほど知っているのです。

そして万が一自分がダメージを受けた際の心理的な逃避先として「幼児的万能感」というファンタジーの世界を手放そうとしないのです。

特徴2:誇大妄想性

肥大化した自己愛を持っている人は、自分が全て正しく、自分が全てにおいて優れているという妄想世界を信じている特徴があります。他人は自分に利用されて当然で、むしろ利用されることをありがたく思って感謝するべきだくらいのことを本気で思っていたりします。

誇大妄想化した自分を現実世界で実感するためには、日常的に他者から賞賛される必要があるのですが、だからといって称賛されるための自己研鑽的な努力はあまりしません。なぜなら努力が報われずに傷つくことを脆弱な自尊心が耐えられないからです。
そこで、他人を傷つけたり、蹴落としたりすることで相対的に自分の地位を高めるという姑息な手段にでるのです。

会社員時代人事の仕事をしていたとき、ハラスメント案件の相談を随分受けたことがあります。その際、加害者の言い分として「わざわざ私が直々に指導してやったんだから文句を言われる筋合いはない。むしろ感謝しない方がどうかしている」と平然と被害者をこき下ろすような発言をする人は少なくありませんでした。

特徴3:極端な自己中心性

肥大化した自己愛の持ち主は「世界は自分の思い通りに回っている」という誇大妄想を具現化するために、善意の他人を「自分を称賛するため」「自分の優位性を発揮するため」の道具として利用することに躊躇しません。

「自分のものは自分のもの。人のものも自分のもの」という、まるで幼子のような幼稚な自己中心的考えから、人の価値を貶め、自尊心を奪い取ることになんら罪悪感を感じることもないのです。

そうやって歪んだ優越性を感じることで、自己愛で膨らませただけの脆い風船のような、壊れやすい自尊心を守ろうとしているのです。

特徴4:妄想的嫉妬性

自分が常に優位な状態、特別待遇を受けていなければ、あっけなく壊れそうなほどに脆い風船のような自尊心を隠し持っているため、自分よりもなんらかの優位なポジションに立っている人の存在は、自分の劣等感をいたずらに刺激する脅威であり、自分への攻撃であると勝手に受け取ります。どんな世界にも上には上がいるという現実世界が見えていないのです。

そのため相手が自慢したわけでもないのに、勝手に「自慢された」「見下された」と妄想し、自分は攻撃された被害者なのだから、やり返して当然という歪んだ正当性から相手を攻撃することで、刺激された劣等感、傷ついた自尊心を癒そうと試みるのです。

特徴5:無責任性

脆い自尊心を守るべく肥大化した自己愛の持ち主は、どんなことに対しても徹底して責任を回避しようとします。なぜなら、他者から追及を受けるような荷物を背負う余力がないからです。そのため人に責任を押し付けます。
(ただし、称賛を受けるような自分の利益になる場合のみ、自分で責任を請け負います)

そういう意味で言うと、なにかと責任転嫁し周りを混乱させたり、責任回避を自己正当化して周りを辟易させるのは、混乱させたいという意図を持っているというよりも、ひたすら自分の身を案じているだけと言ってもいいでしょう。

また、責任を回避することが目的ですから、なんらの決定の場面になると重箱の隅を突いて粗探しをしては「議論のための議論」を繰り返し、決定することを先送りしようとしたり、「みんながそこまで言うなら仕方ありませんね」と、常に受動的な姿勢で逃げ道を用意しながら決定に関わります。

ここまで、幼児的万能感に執着し、肥大化したエゴイスティックな自己愛を持っている厄介な相手の特徴を5つお話ししてきました。

総じて言えることは、自分にとって都合が悪いことは全て他人のせいに押し付けるなどして無かったことにし、自分にとって都合がいいことは全て自分が奪っていくという、まるで子どものような幼稚性、自己中心性、非情性を内に秘めているということ。そしてその理由の一つは、過保護や過干渉といった家庭環境によって傷ついてきた脆弱な自尊心を守るために幼児的万能感に執着しているからというものでした。

裏返せば、厄介な人は自分がされてきて嫌だったことを、他者を利用し憂さ晴らしすることで心の安定を維持しているという、かなり鬱屈した欲求不満を抱えているサディスティックな側面も持ち合わせていると言ってもいいでしょう。

このサディスティックな側面について、最後にマキャベリズム的人物特性にも触れておきたいと思います。

自分の利益のためなら平気で人を欺き傷つける人


マキャヴェリズムとはルネサンス期のイタリアの政治思想家ニッコロ・マキャヴェッリの著書『君主論』の内容に由来するもので、どんな手段や非道徳的な行為であっても、目的達成のためなら許されるという考え方を指します。

たとえば、自分の利益のためなら平気で嘘をつく。倫理観に乏しく「目的は手段を正当化する」と信じ臆面もなく人を騙す。しかし、そうした振る舞いには罪悪感を持たないみたいな……。

こうしたマキャベリズム的特徴は、先に紹介した肥大化した幼児的万能感に執着している状態と非常に似ていると言えます。

また、ある研究によるとマキャベリズム的な人は、他者の感情的なサインを敏感に察知し反応するが、一方では他者の感情への共感性はとても低いとしています。
ゆえに、平気で他者の気持ちを踏みにじって傷つけることに後ろめたさを感じることもない……。

そして「目的が手段を正当化する」という価値観を持っているため、個人的な利益のためならたとえ倫理的・道徳的に非難される振る舞いだとしても平然とやり遂げてしまう……。

また、自分が手に入れたかったものを他者が手に入れている状況を許せず、それを勝手に「不公正」だと思い込んで敵意を抱く傾向も強いと言われています。

つまり、単純に「好き嫌い」や「すれ違い」などで生じる人間関係のトラブルではなく、もっと深い心理的要因から自己利益達成のために周囲を支配・コントロールしようとする欲求を持っているのがマキャベリズム的人物と言えます。

ということで、次回はこうしたモンスター級に厄介な人のターゲットになりやすい人に共通してみられる顕著な特徴について見ていきたいと思います。

〜毒親・愛着問題・アダルトチルドレン・ミッドライフクライシス〜
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吉田こうじ
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