ヨロコビコンパス
「せーの!」でいっせいに動き出す。
「喜びはどこだ?嬉しいはどこだ?」
喜びと嬉しいを探す"ヨロコビコンパス”を持っていこう。人の悲しみは出来るだけ避けていこう。すすり泣く声や、激しい雨音のような鳴き声は聞こえないフリで。
心が少しでも重くなりたくない。近づいて引っ張られないようにしなきゃ。
けれど、さっきから喜びや嬉しいを探すコンパスが、泣き声の方にばかり向いてしまう。確かに物事を素直に受け取れないひねくれた性格ではあるけれど、人の悲しみが、喜びや嬉しいになる程、ひどくはない。
「やれやれ、壊れているかもしれないけれど一度は探してみるか」
コンパスを疑いながらも、近づいていく。ところが一向に泣いている人が見当たらない。
「やっぱり壊れているじゃないか」
その時、声をかけられた。
『どうしたのそんな悲しい顔して』
驚いて固まったこちらに、声をかけてきた相手は続ける。
『何かあったのかい?』
おかしいことを言ってくる相手がいるその場所を離れればいい、それだけなのに。一歩も動けず相手の顔をじーっと見つめ返してしまった。考えてしまったなぜ"喜び"や"嬉しさ"を探すのかの。こちらを見ていた相手は心を読んだように話を続けだした。
『私はとても辛い別れを今でも忘れられなくて、また思い出してさっきまで泣いていたんだよ。いつも誰かに見つけて欲しくて、声をかけて欲しくて、悲しみを背負って暮らしていてね。そんなことをしていても、何も変わらないとはわかっているんだ。でもね、幸せだったから、その幸せを思い出して心を温めようとする度に、それ以上の悲しみがやってきて、心が冷えてしまう。それを温めようと、、、の繰り返しさ。
けれど、そんな私にもやっと話しかけてくれた相手がいたんだよ。だけど、抱えている悲しみは重すぎて、話しかけてくれた相手は私と居るのが辛くて離れていってしまった。今までよりも孤独になってしまったんだ』
早く離れなければいけない!
ここから離れて"喜び"を"嬉しさ"を探しにいかないと!
それでも動けない。
相手は更に続ける。
『だからね、わかるんだよ。悲しみにつぶされそうな人が。
今、私と目が合った時、あなたの目から伝わってきたんだよ。
ありがとう、私に出逢ってくれて。今やっとわかった。私の抱えた寂しさや悲しさは、助けを求めている人に"気付く為"なんだと。私が悲しみを抱えてきた意味を与えてくれてありがとう。いきなりこんなことを言われても戸惑うだろうけど、あなたに渡すからね。その悲しみは、"気付く為"の悲しみ。だから、そのままいっぱい泣いていいんだよ。"悲しい"って"寂しい"って受け入れて泣いていいんだよ。』
いつの間にかこぼれ続けていた涙。
自分でも気づかない間に、頬を伝って手のひらに落ち続けている。
そうだ、抱えた悲しみが重たすぎて大きすぎて、それよりも大きな"喜び"や"嬉しさ"を見つけて、それで悲しみを塗りつぶそうとしたんだ。
【認めてもらう】
それだけでよかったのに、この悲しみを誰もわからないと決め込んだ。
誰の言葉も、優しさも、すべて疑って妬んでひがんで聞こうともしなかった。
名前もわからない。
いきなり話しかけてきた変な相手だ。
なのに、探していた“喜び”や“嬉しさ”があるのはなぜだ。
ううん、もうわかってる。
認めてもらえた。
この抱えきれない悲しみや寂しさを。
”ヨロコビコンパス”
壊れてなんかなかったよ。
ちゃんと涙を流させてくれてありがとう。