シートンの「動物記」のシートンと関係ある?
大体、土曜日の午後、ワイフと二人だけで歩いているハイキング・トレイルに、シートン・ハイキング・トレイルというのがあります。私たちが住んでいるマーカム(Markham)というトロントの北郊の町から東に車で約30分ほど走ったところにあります。ダフィン・クリークという小さな川に沿ったトレイルは、端から端まで歩くと往復4~6時間ほどかかる長丁場になりますが、我々のようなシニアにはきついので、いつも往復2時間以内におさめています。
川に沿ったトレイルなので基本的に平らな部分が多く、肺や心臓に負担がかかるような所はまずないと言ってよいでしょう。ただ、川沿いのトレイルだけに蚊がほかのトレイルよりも多い。トロント周辺のハイキング・トレイルの多くが各部分に畑や牧場などが隣接している所があります。ここも写真にあるようにトウモロコシ畑や大豆畑の横を歩くところがあります。日本の野菜畑のイメージとは異なり、広大な土地に延々と作物が生長し、それぞれの時期に農業機械を使って土を耕し、種をまき、収穫します。人が畑で働いているのをまず見たことがありません。上の写真(9月初め撮影)はトウモロコシ畑が端っこにチラッと見えていますが、その背後に延々と続いています。次の写真は大豆畑です。
もう間もなく収穫の時期(9月初め撮影)なのでしょうか、ビールのおつまみみたいなのが無数になっていますが、たぶん、ここで育てているトウモロコシも大豆も豚や牛などの飼料用のものだと思います。
かなり前のことですが、このトレイルを歩いていた時、同行の誰かさんが「このシートン・ハイキング・トレイルって、あの『シートンの動物記』で有名なシートンの名前からつけられたのかしら」と言ったのですが、私は思わず「そんなはずはないでしょ。あのシートンには全然関係ないですよ」と断定的に言ってしまったもんです。
ところが、グーグルで調べたところ、どうも私が間違っていたことがわかりました。「シートンの動物記」の作者、アーネスト・トンプソン・シートン(1860-1946)の名前をとってシートン・ハイキング・トレイルと名付けられたのかどうかははっきりわかりませんが、シートンがこのトロントと関係の深い人物であったことがわかりました。
シートンは英国生まれですが、彼が5歳の時に家族がカナダに移住、最初トロントの北東部にあるリンゼーというところで父が森林開拓に従事、しばらくして父が健康を害し一家はトロントに移り住んだそうです。幼少時にカナダの未開拓地域の大自然の中で生活したことが、彼が後に博物学者、作家、画家として大成する素地となっていたようです。成長したシートンはトロントにあるオンタリオ美術学校を卒業しましたが、この学校は今でもオンタリオ芸術大学としてトロント・ダウンタウンにあります。余談ですが、私のワイフはこの学校の絵画科を卒業しています。
美術学校を終えたシートンは、その後、ニューヨークやパリに移って仕事や勉強をしましたが、いずれの場合もしばらくして「カナダの大自然に戻りたくなって」カナダに戻ってきています。その後、「シートンの動物記」などを世に発表し世界的な名声を博すようになっていきます。
このシートンの父親という人がものすごい人だったらしく有名な逸話があるそうです。シートンが生まれてから成人するまでにかかった「経費」のレシートを全部保存していて、それを全額、返済するように要求したのだそうです。たぶん大変な額だったと思いますが、シートンは怒りもせず文句も言わず、何年か後に全額支払いましたが、それからは父親と口をきくことはなかったそうです。