頑張らない方法を模索する。
ここ数日間、投稿が滞っていたのにも関わらず…毎日スキ♡も絶えず、フォローも不思議と増え続けていたことに、まずお礼を言わせてください。
本当に感謝です。ありがとうございます。
投稿が滞っていた理由なのですが、少し前から自分の中で多少変化があり、アウトプットよりもインプットに集中して時間を費やす、という日々が続いていました。
一日でも早く投稿したく文章を書いてはいたのですが、書き終えた後に読み返してみると…やはりしっくりとはこなくて、それを繰り返しながら今日までズルズルと至ってしまった、という次第です。
という感じで前置きはこのくらいにしておき、「自分の中での変化」という話しにスイッチしていきたいと思います。
僕は先月まで毎日投稿(毎日note)にこだわっていました。というのは…継続することに意義があると考えていて、ネタを必死に見つけ、それを自論を交えながら膨らましていく、というスタンスで記事を書いていました。
ふと気が付いた時には…毎日必死に頑張って文章を書いている自分がいました。
そういう自分のスタンスに、少しずつ疑問を抱くようになっていったんです。
『note』で記事を書く上で…「自分が本当に求めていることって…何なんだろう?」ということを、深く追求するようになりました。
当初のコンセプトは…「自分が誰かの良いきっかけとなれるのではないか?」というざっくりとした動機から「文章を書くこと」をスタートしたような気がします。
がむしゃらで毎日文章を作成していくにつれて、直接対話するのとは違い「頭で考えていることを表現することの難しさ」を少しずつ理解していきました。
そこから「伝えたいことをちゃんと表現したい」という「目的」ができました。
只、不思議と「それを追求すること」は…「頑張っている」という感覚とは少し違ったように感じます。
どちらかと言えば、「満たされている」と言う感覚が強くて、「探究心」という気持ちしか無かったように思います。
そう思うと…「探究心」というのは「純粋で楽しい感情から生まれる心」な気がします。
そういうプラスで前向きな感情は、頑張らずともできる理由、になり得ると思うんです。
「頑張らない方法」を模索する上では…「探究心」がキーワードとなる。
ということなのではないでしょうか。
重要なポイントは…「探究心」という気持ちを生み出すこと。
その為には…「自分がどうなりたいのか?」を考えて「目的」を設定する、ということなんです。
最後に…僕の経験上の見解を少しだけ話させてもらおうかな、と思います。
「探究心」という気持ちをずっと変わらずに継続していくことは、割と難しいということに気が付きました。
なので「ここ最近…頑張り過ぎている気がして、多少無理してるかも」みたいな気持ちの時は、時には初心に戻り「目的」を再設定する。そういう「タイミングの見極めも大事」だということも最後にお伝えさせてもらいます。
誰でも知らない内に見失いがちになってしまう感情…「純粋に楽しい」という気持ちを最優先に考える。ということを、今回の記事で「頑張らない方法」の一つとして主張をさせてもらいました。