AIの脅威は地球温暖化と同レベルらしいよ、怖いね
読売新聞に、ドイツ・ボン大学の哲学者、マルクス・ガブリエル教授のインタビューが載っていたらしいです。
私は読売新聞は購読していないので、その記事は見ていませんが、それを読んだおもちゃクリエイターの高橋晋平さんが、その記事を取り上げていた音声配信を聞きました。
それによると、AIの脅威は地球温暖化と同じレベルだそうです。
地球温暖化というと、進行すれば「地球上に人間が住めなくなる」というレベルの危険性ですよね。
そして、たぶん温暖化はもはや止められないのでしょう。
ゆっくり人類は滅亡するのかもしれませんが、その前に地球全体が「熱帯」に対応した生態系になっていくんでしょうね。
我が家の庭でもバナナ🍌やパイナップル🍍が作りやすくなるかもね(←ポジティブ)。
AIの発展は、それと同じくらい、つまり「地球が滅亡するレベル」の脅威性を秘めているってことですね。
キャーこわい。
人類はAIの情報にコントロールされる
すでに始まっていることですが、AIによるフェイク記事、フェイク画像、フェイク動画は至る所に存在しています。
ちょっとした空き時間に眺めるスマホ。
その画面にとめどなく流れてくるニュース、SNSの発信、膨大な広告が、本当に「真実」だけなのか?というのは誰にも分かりません。
とにかく消費者を惹きつけるためのインパクトが必要。
面白動画、ハプニング映像、不思議な生き物、謎の珍現象、珍しい写真、大事故のスクープ、世紀の大発見・・
日々、消費されるニュース性がある話題が、必ずしも「事実」ではなく、「捏造されたもの」である可能性は、誰にも否定できないのです。
今はまだ、AIで生成されたと思われる文章、AIで作成されたと思われる画像は、かろうじて判別できているような気がしています。
広告バナーの人物写真などは、「AIっぽいな」というのは分かります。
それが全く判別できなくなる日も近い、というか、ある意味ではもはや全く判別できなくなっていますよね。
人類は、「本当かどうか分からない情報」に踊らされる、つまり自覚なくコントロールされている、と言って過言ではない。
過言ではないどころか、先日の米大統領選でもネット上の「偽情報」がかなり世論に影響を及ぼしたとかどうだとか。
もっと怖いのは、むしろ「逆」
逆、ってのは、生身の人間が生み出したコンテンツ(情報、芸術、文学など)であるにも関わらず、「それってAIが生成したものじゃないの?」と思われるほうがもっと怖い世界じゃなかろうか、ってこと。
全クリエイターにとって、それは笑えない恐怖です。
ほんの少し前まで、「クリエイティブな仕事はAIには無理。人間にしかできない」と言われていたような気がしますが?気のせいだったか。
それも希望的観測だったのか。
クリエイティブ業やホワイトカラーのほうがAIに侵略され、人間じゃなくてもよくなりました。
むしろ、肉体労働や介護や医療などの現場では、まだまだ生身の人間が必要で、人材不足になっているようです。
さて、我々クリエイター(ここではnoteをやってる人を指す)は、自分にしかできないコンテンツを生成していくしかないのですが、これからは「自分が作ったコンテンツがAIと思われないこと」が重要になるのかもしれません。
「これはAIで作成しました」
「これはAIではありません」
などと、各コンテンツにわざわざ注釈を書いたとして、それ自体が信用に足るのかどうか。
「AIかどうかを判別するAI」があると言うけど、それの信憑性は?
もうね、何を信用するかは、その人の中にしかないのだろうと思います。
つまり。
「AIが作ったニセの情報を信じてしまうリスク」よりも、「ホントに人間が作ったもの、あるいは真実にも関わらず、信用してもらえないリスク」のほうが地味に怖いような気がしてきます。
たぶん、何もかもが信用できるかどうか分からない社会、ってのが、AIの脅威と呼ばれている本質なんでしょう。
SF映画などでは、「AIが自我を持ち、暴走して戦争を始めたり核のボタンを押す」みたいなストーリーがあります。
近い将来、現実は「暴走するのはAIではなく生身の人間」であるほうが信憑性が高い気がしますね。
精神的におかしくなっている人のほうが、世の中の人間の過半数を超えてきているように見える現在は、その序章のような気がして怖くなってきます。
不謹慎な言い方をすると、一周回って面白い世の中になってるのかもしれません。
こんな世の中で、どう生きていけばいいのか。
悲観的になっても仕方ありません。
「まあいっか」で、シュークリームでも買って食べる暮らしをしていれば今日も楽しい1日になるのではないでしょうか。