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起業で自分がトップになった時の不安に似ているのかも
毎日、仕事に行く必要もない立場だけど、日々やることはいろいろあって、それなりに忙しい、って感じ。
ここで言う、最近の「日々やること」ってのは、趣味や遊びじゃなくて、父の死去に伴う相続関係の手続きやら調べ物のこと。
宅地および田畑があるから、ちょっと…いや、かなり面倒くさいのだ。
父が田畑を人に貸してたからね。
今日も農地中間管理機構と電話でやりとりして、書類を送ってもらうことになったり。
郵便局にも行ってきました。
今日できることだけはやって、後ほど相続のための書類が自宅に郵送されてくるらしいんだけど、届く予定は「約2週間後…」らしい。
このような、優雅でゆったり感がいいですね(やや皮肉)。
どうも気分が沈んでいる
別に、父と仲が良かったとか、人物として尊敬できるとかはないんですよ。
好きでも嫌いでもなく。
まあ仲が悪かったとか、確執があったとかはないです。
最期のほうは寝たきりだったし、もう回復の見込みはないって分かってたので、ろくなコミュニケーションも取れませんでした。
だから、身近な身内を失ったという「悲しみ」ではなく、何となく頼りにしていた「上の存在」がいなくなったことで、自分自身が「長」になった不安感なのかな、と気付きました。
私自身は、会社を辞めても起業したわけではありません。
それどころか、フリーランスになったわけでもないので、「個人で事業をする」という立場じゃないです。
ただ、サラリーマンを卒業して、起業をした人の話を聞くと、最初の頃の戸惑いや不安として大きいのが「上司がいない」ということらしい。
1人起業の場合でも、上司がいないことで、すべて自分で決めないといけないのが、重圧でありストレスなのだそうです。
聞いた話。
上司がいない
サラリーマンでは、社長以外は、どんなに出世して偉くなったとしても、「上の存在」がいるのが普通です。
最終的な責任は「上」に投げればいいし、重要な判断も「上」にお伺いを立てればいいですよね。
それが上司という存在です。
自分が上司という立場になっても、さらにその上の上司がいるのが組織ってものです。
いざとなったら相談できる、あるいは責任を分散・共有できる、判断をあおげる人物がいるということ。
これって、心の拠り所として、かなり大きな存在です。
父の死去により、「相談したり聞いたりできない」「頼りにする人がいない」「全部自分の責任にかかっている」という現実が、あまり自覚がないまま、何となく重圧のようにかかっているような気がします。
自分の頼りなさを、改めて実感した感じ。
いい年をした大人が、最近まで(心理的に)親に頼っていた部分があったり、知らないこともまだまだある、ってことが、何とも言えない不安感になって、沈みがちになっているんだろうな。
不安感と保安官って語呂が似てますね。
どうでもいいか。
まあね、「一家の長として一人前にならないといけない」という考え方自体、呪いのようなものでしょうね。
「大黒柱」とか「良妻賢母」のような言葉も、もはや古い価値観ですよね。
今の時代、したたかに、ただ生きてりゃいいです。