「決断」することについて
こんばんは。 hagi です。
最近、「決断」を迫られることがあり、つくづく、決断は難しいなあと感じました。
決断は「決める」と「断つ(たつ)」で出来ています。
「決める」とは自分がこれをやると決めること、
例えば、
この本をいつまでに読むとか、
この課題をいつまでに終わらせるとか、
〇〇することという、
目標を立てることと思っていて、挑戦したい気持ちが結構ある僕はそこまで難しくはないと思っているのですが、難しいのが「断つ」ほうなんです。
この「断つ(タツ)」は決めたことに対して、
「迷い」と「言い訳」を断つ、手放すということだと思うんです。
これが僕には難しい。
決めても、いろいろ言い訳してウジウジしてしまうんです。
どう思われるかなとか、
なんて言われるかな、
噂にならないかなとか・・・・・
とても女々しくウジウジします。
特に、自身の価値観で、他人に受け入れてもらえるかどうか微妙なものに対して決めた時、「断つ」ことに大きな勇気が必要になっているんです。
今、僕は働く人のメンタルヘルスに課題を持っていて仕事やプライベートで取り組みをしています。
特に真面目で我慢強い人のうつの予防や、サラリーマンが日々の仕事やプライベートを前向きに過ごせることに重きを置いた活動をしていっているんですが、社内で一緒に取り組む仲間を集めたいんですよね。
これを踏み出そうとしているんですがなかなかうまくいっていなくて、これをやりたいという「決め」はあるんですが、なかなか「断つ」ほうが出来ていなくて・・・。
どう思われるかなとか、
なんて言われるかな、
噂にならないかなとか・・・・・
とかいろいろ考えてしまうんです。
劇的他人軸に陥るんです。
「断つ」の難しいなと。
・・・・
でも、少し休憩しながら、焦らず気長にやっていければよいなとも思ってます。そのうちに別のアプローチ方法とかが見えてくるかもしれません。
この体験を通じて、決断にはアウトプットすることが深くかかわっているというふうに思うようになりました。
「断つ」:「迷い」・「言い訳」を手放すことはつまり、自分の本音「決め」を外に晒して、明言するという行動(有言実行)を指しているのではないかということです。
そういう意味から考えると「決める」というところには、アウトプットする場と時期を決めると捉えることが出来ると思います。
ややこしくなったのでまとめると・・・・・
決断とは「決める」+「断つ」
「決める」:目標(〇〇するぞ)をアウトプットする時期と場を決めること。
「断つ」:自分の本音「決めたこと」を外に晒して、明言するという行動(有言実行)を起こすことによって、「迷い」・「言い訳」を手放すこと。
であると解釈してます。
ちなみに、アウトプットの効能として、
ポジティブな感情はアウトプットすることで増幅させれるし、
ネガティブな感情はアウトプットすることで手放せる。
なかなかうまくいってないと上で書きましたが、これもコミュニティのラインとこのnoteに書くこと(アウトプット)で少し手放せた感も出てきました。
手放すというには気にならなくなる、開き直れるという意味です。
ウジウジしているときは些細なことがめちゃくちゃ気になっているので、やはりアウトプットが足りてないんだなと実感しました。
最近読んだ本:「自分の頭で考える読書」(荒木博行 著)
”本の読み方”の本なんですが、そこでも
「インプット」と「アウトプット」の”順番”と”量”を逆転せよ
というところがありました。
本を読むときもアウトプットする場を定義してから読むというのです。
例えばまとめたことをnoteに書く前提にするとか、それを友人にシェアするとか、読書会で発表するとか。アウトプットは様々な形があると思いますが
アウトプットするという未来の場を設定してそこからBack From The Future でDoする。
PDCAをDから回す。
Pでウジウジ計画せずにDから回して、ダメだったら軌道修正するというやり方です。
失敗前提、うまくいかないこと前提で、失敗したら凹むかもしれませんが、うじうじ考えている時間よりもさっさと失敗して知見を得た方が前向きに行動できてるし、ネガティブな思考のループに入っている時間の絶対量は絶対少ないはずです。
あと、失敗に対する耐性も付いて柳のメンタル(しなる)になれると思います。
失敗を許容しない組織や風土が多すぎて過度にPに時間をかけてウジウジしてしまう思考回路(マインドセット)になってるんですよね。
多分日本のサラリーマンも僕も。
だから今年はアウトプットして人生を変えていきたいんですよね。
決断=本音のアウトプット
本音の自分から逃げないことを明言(アウトプット)することだと腹落ちしました。