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裁縫とは瞑想だ。と気づいた話

器用な方ではない。

家庭科もずっと3、時々2。

高校になってから10段階で7がつくようになったくらい。

ミシンも持っていないし裁縫箱も実家。

そんな私にも針仕事が「あ、楽しいかも」と思う運命の瞬間が訪れた。

我が子の幼稚園グッズの準備だ。

ミシンがないので大物だけは既製品に頼った。


その他の物は夫が自分で作ると宣言していたものの。

超絶に仕事が忙しくなり一向に作る気配がない。

どーすんの、この布たちは。

仕方なく私が作り始める事にした。

100円ショップの持ち歩き用のソーイングセットで。

作り方の説明書が分かりやすかったのと、袋など簡単な物から始めたのもあってか思っていたよりかは良い形に仕上がり自信となった。

キルティングを手縫いするのはなかなか至難の技だったが我が子が楽しく通う姿を想像しながらひと針ひと針縫っていく作業は心を穏やかに幸せな気分にしてくれた。

そして気づいた。

こういうの、何か、好きかもしれない、私。と。

その気づきは恋愛の始まりと似ている気がした。

もちろんレベルは度外視して、だ。

こんな楽しい物を、夫が作らなくて良かった。
これもある意味流れだったのだろう。

当時は自粛中ということマスク不足ということもあり、次は布マスクを作成する事にした。

暑くなってくるのを見越して手拭いの生地にした。

子どもが遊んでいる傍でチクチク作業をする。

そして再び気づいた。

あれ?今、脳波変わってたよね?と。

つまりは瞑想状態になっていた。

瞑想は5年くらい習慣化している。

でも子どもがいる日中は難しい。

だが、集中するあまり脳波が瞑想の時のそれと同じ状態になっていた。

瞑想はスッキリするだけではなく、自分の内側を見つめる作業ゆえ、気づきがある。

もう紙マスクも普通に流通するようになってきたが、私が布マスクを作成していて得た気づきは

「大抵のものは自分で作り出せる。作り出せれば自分の生活が外部に影響されることもほぼない」ということ。

つまりは自分の内側にある幸せを見つめてそれがブレていなければ、それでいつでも、自家発電のように自分で幸せな気持ちを作り出せるのである。

さすがに即、自給自足生活にできるほどの覚悟も術もないが、震災の時に感じた「物や日常は当たり前にいつでもある物ではない」という事をコロナで再び思い出し、

「マスクくらいなら、作れるから大丈夫」という自信と安心感。

無いなら自分で作ればいい、作り出せる。

そんな感覚を、現代人である私は少し忘れていた。

そして手仕事は立派な瞑想であるということは子どもといる時間が長い身としては一緒にいながらにして内観する時間が取れることがありがたい。

そんなことを考えていたら、数年前の記事をネットで見つけた。

とある進学校で朝の時間として真っ白い布に赤い糸で5分運針をするという伝統があるという。

5分間運針をしたら糸を解いてしまう。

針を進め、縫い目を見ることで今の自分の状態をみつめるのだという。
それを繰り返すことでぶれない自分づくりをするのが目的だそうだ。

これを見てそう、そういう事なのだと思った。

裁縫によって瞑想状態となり内観し、今の自分からの気付きを得る。
私の場合は無から有を生み出す、という事だったけれど。

答えを外側に求めるとどんどん不安定になっていくであろう世の中。

自分の内側を見つめ、気づきを得る事によって自己信頼が生まれそれが強固な自分軸となっていく。

これからの時代はそういう事が強みとなっていくだろう。

驚くくらい、自分の作り出した物というのは自分が表れている。

外の物で満たすのも良いが、自分で作った物で幸せを見つけるのも、たまらぬ充実感である。

続けてみてまた新たな発見があったら、続編を記したい。





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