『気づいたら3人の子持ちになりまして』
【第2話〜教え方〜】
子供たちからは様々な質問が毎日のように投げかけられます。
その質問の中で僕が自分自身考えるべきことだなと感じた質問を、僕個人の主観で話したいと思います。偏った考えなので不快な思いをさせてしまうかもしれません、ご了承ください。
これって何?どういう事?あれは?
その中でもたまになんて答えたらいいんだろうと考えてしまう事も多々あります。
ある日、テレビを見ている時に番組の内容に対してこんな質問をされました。
ダウン症って何?
そもそも自分自身考えた事もなかった内容です。
知識としては、もちろん多少知っていることはあります。ですがダウン症が何か説明してほしいと言われた時、皆さんはなんて伝えるでしょうか。
子供が求めているものは、原因ではなくどんな存在なのかということ。
健常者と言われる子達が出来ることがうまくできない?
こんなのは本当に伝えられているんでしょうか。
得意不得意、できるできない、落ち着きがあるない、物覚え、会話などは少なからず誰にでも存在する課題です。誰かのサポートが必要かどうかも判断基準には足りないような気がします。
言葉が悪くなりますが、果たして健常者と言われる子供たちのご両親と障害を持った子供たちのご両親の間に、育児の難易度に明確な差はあるんでしょうか。
文学で賞を受賞したりスポーツで何かを成すのは確かに難しいかもしれません。ですがニュースで話題になるような問題行動を起こす事も無いような気がします。(あくまで僕のイメージです)
問題が多く見られるのは障害者でしょうか健常者でしょうか。
そこで考えた結果は、
障害とは特定の方に見られる共通の特徴を指す。カテゴリの一つ。
ある小説で在日朝鮮人の主人公が、日本人に向かってこんなことを言っていました。
『お前たちは俺のことが怖くて仕方ねぇんだろ。』
『名前つけなきゃ不安でしょうがねぇんだろ。』
『お前らが勝手につけた名前じゃねえか(在日朝鮮人)』
『名前なんて何だっていいんだよ。俺は俺だ。』
この言葉の意味が少しわかった気がします。そもそも考えるべき問題はその名称なのかなと。
障害者と言われる方にとってそれは障害なのでしょうか。健常者に対して健常者とは言わない。なぜでしょうか。落ち着きがなく暴力的でいじめっ子な健常者がいたら、その子のことは何と呼ぶのでしょうか。
つまり、
ダウン症とは医者と両親の間でのみ使用されるべき言葉であって、そもそも僕らが人を表現する時に使う言葉ではない。
子供に説明するとしたら、人に助けを求めることが難しい方、というのが良いのかなと考えました。僕らが考えるべきことは、目の前にいる人が困っていたら手を貸す、それを子供に伝えることの方が大切な気がします。
③子供の質問で改めて自分自身のことがわかる。
④質問に対して伝えるべき本質を考える必要がある。
※ある小説とは金城一紀さんの『Go』です。オススメの一冊です。