精神疾患の解消にある程度のストレスは不可欠である②人は欲深い!故に。
つらかったね。苦しかったね。もう大丈夫だよ。
必要なものがあれば言ってね。あなたは大丈夫。
私は全てを肯定します。
救いの一言。
肯定と受容、許容をベースとしたカウンセラーや支援員が
当たり前のようにこれらの言葉を伝えてる光景を見るんですが・・・
無論、僕もこれに近いような言葉を口にする事はあります。
それは大前提
【事実そう思っているからこそ】
かけるべき言葉だと僕は思っています。
もっと言えば確実性を相手に伝える事は・・・
【余程の確信を持っているからこそ】
出来る事だと思います。
なので、僕はあまり不確かな事は口にしません。
口にするからには絶対的に実行していく必要があると思っています。
それこそ、
発展途上国にお金を配るような行為・・・。
魚の獲り方を教えるのではなく、魚を配る行為・・・。
それは最終的に相手の為にならないと思っています。
故に、あくまでもクライアントさんの自助努力を促す立場を崩さない。
キッカケは人であっても、最後に自己実現を成すのは自分自身である。
その達成感をまさか他人である僕が得ようとするなんて愚かだと捉える。
冒頭のような言葉を口にしながら、
手を放す福祉事業者、医療従事者も多く見てきたので、
僕は絶対にそうしたくないからこそ、
最初から物凄くシンプルに目の前の方と接しているんです。
まあ、僕の事はどうでも良いんですが・・・w
精神疾患、精神障がいの解消にある程度の
ストレスは不可欠である5つの理由。
②人は欲深い!故に。
冒頭の言葉の危険性に気付くべきは支援側だけではない。
その言葉を掛けられた当事者側も気を付けるべきだと僕は思う。
支援員募集の面接で志望動機に
物凄く綺麗な事を述べてくださる方々に対して
物凄く欲深く、本音の部分で語ってみてください。
と枕詞を付けた上で・・・
お金にも住まいにも、また仕事にも全てに困り果ててる時に
本当に隣にいて欲しい人、出逢えたら嬉しい人ってどんな人ですか?
なんて聞くと、ほぼ100%生々しい言葉が飛び出してくる。
お金をくれて、住まいも提供してくれて、なんなら十分な給与のある
自分にも出来る仕事をあてがってくれる・・・
更に見返りを求めるような裏が全くない笑顔で全て提供してくれる。
そんな人を求めている・・・と。
さっきまで、傾聴し、寄り添ってくれる人にこそ
人は救われると説いていた方がそう言い切ってくださる訳ですから
僕としては面白いなぁって思いつつ、その後も面接は進むんですが・・・w
と、まあ、
困ってる人の本音です。
最小の努力、最小の負担で、現物支給!
な訳です。
それを聞いて、慈悲深い支援者志望のあなたは、
貢献の気持ちが強いあなたはどう思いますか?
つらかったね。苦しかったね。もう大丈夫だよ。
必要なものがあれば言ってね。あなたは大丈夫。
私は全てを肯定します。
冒頭の言葉、変わらず目の前の方にかけますか?
自分自身の綺麗事抜きな欲求に気付いた、
支援される側のあなたはどうでしょう?
与えてくれるものを得たら・・・
しばらくは慎ましやかに過ごせるかもしれませんが、
また何か困ったらどうでしょう?
また何か自身にストレスが掛かったらどうでしょう?
最小の努力、最小の負担で、現物支給をくれた支援者達に
再度、何か言ってみる事はするかもしれませんね。
だって、またくれるかもしれませんしね・・・。
でも、もしも、くれなかったら???
心理的にはストレスがかかります。
期待がそこに乗ってますからね。
あなたは自助努力にすぐに切り替えられるでしょうか?
今までそれを避けてきた訳ですが・・・どうでしょう?
もしかしたら、そこで苛立ちを露わにしてしまう方もいるかもしれません。
そしたら、慈悲深い、奉仕の気持ちの強かった支援者達がこう言うんです。
「そんな事をしたら私達では面倒見切れません・・・。」と。
人は何処までも欲深い。
その欲深さは向上心でもあります。
それを糧に自身を豊かにしていく人は確かにいます。
が、
向上心を他者に委ね、他者からの施しで生きようとしている人であれば、
何処かで、他者の限界点がやってくることを理解せねばいけないでしょう。
その時、強いられるのは絶対的な自助努力です。
それは最小限の努力、負担で何かを得たかったあなたにはストレスです。
しかし、それを全面的に避けて生きる事は
欲深い人間である以上、難しいものでもあるんです。
他者に人生を委ねるのであれば、
自身の欲求をある程度抑制する努力が必要って事です。
それは間違いなくストレスなんですが・・・
必要負荷だという認識が重要なんです。