環境を作り出す欧米人、環境を受け入れる日本人
最近、奥山真司氏の「世界を変えたいなら一度“武器”を捨ててしまおう If you would like to change your world, throw away “arms” once. 」という本を読みました。奥山氏は、国際政治や国際外交を「戦略」という観点から研究している方で、「地政学」の専門家です。22歳のとき、カナダに留学したときに、その道に進むきっかけを得たようです。
諸言から抜粋すると、次のようになっています。
「留学時に衝撃を受けたことがある。それは「自分自身の歴史観の足りなさ」であった。特にアジアからの留学生に、歴史観についての議論を吹きかけられホトホト困った。日本の学校では、明治以降の近現代史についてはまったく教わっていない。論争ではいつもやられていた。
ほかの日本人も同じで、反論できない日本人学生を見て、「なんだ、日本人には思想や主張といったものがまったくないのだ」と思われてしまった。彼ら留学生の多くは、自国に帰ってエリートになる人たちで、「日本人には核となるアイデンティティーがない」というイメージが刷り込まれる。やがて、そんな彼らが国際政治の舞台へと上がっていく。
国際政治の舞台は、国益をかけたリアリズムの世界、そこには駆け引きや裏交渉など、少しでも自国の有利になるような取引が行われている。その際に、「日本人にはアイデンティティーがない」という外国のエリートたちの刷り込みが大きく影響してくる。
よく日本は外交面で「刺身のツマ」だとか「金を出すだけの国」、「大国に倣う国」だとか言われている。日本が国際政治で舐められるのは、実は日本人に対するこんなイメージが大きく影響している」
辛口のコメントですが、多少の程度の差はあれ、私の留学中にも同じような体験をしました。東海岸のボストンでアパートを借りてケンブリッジにある大学に通っていました。技術系の勉強をしに行ったわけなので、授業で歴史の話をしたことはありません。地政学を専門とする奥山氏とはかなり違った部分です。
ただ、日本企業の海外進出が盛んなときであったため、留学生が集まる懇親会のような場や大学の教授や学内関係者と話すときにも、躍進の社会的、文化的な背景、歴史などに話題が及ぶことがありました。ここで、奥山氏が指摘するような事態になるわけです。
学校で覚えているのは、年号と出来事や事件のことで、それらの背景、大きな歴史の流れなどについては他人に説明できるほどの知識も知恵もありませんでした。どこかで聞き及んだような、聞きかじった情報を並べて説明しましたが、自分が十分に納得できていないので、相手が、どれだけ理解できたのかも分かりません。
奥山氏によると、戦略の階層というものがあって、最上位から、世界観⇒政策⇒大戦略⇒軍事戦略⇒作戦⇒戦術⇒技術となるというのです。技術は、この階層のボトムに当たるということです。
奥山氏に言わせると、日本のもの作りは素晴らしいものだが、そうしたスキルは後世に伝わらないとそこで途絶えてしまうし、新しい技術に淘汰されてしまう。技術は所詮戦術レベルにとどまるものであり、技術を磨いても欧米に勝つことはできない。
戦略学では、技術のようなハード面でいかに勝つかと考えることは、戦術という低いレベルに属する。欧米では、マネジメントなどの上の概念を考える人と、ものを作る人とが完全に分かれている。戦略レベルの違いである。
欧米人は、他をコントロールすることを基本とし、自国の有利となるようにルール作りをする。環境を作り出す欧米人、環境を受け入れる日本人,
ルールによって虐げられてきた日本人などと続きます。
ご指摘はごもっともだと思います。スポーツの世界でも、日本人が強くなると、欧米人はその種目のルールを自分たちが有利なように変更するという話は、よく知られたことです。
最近のカーボンニュートラルや脱炭素の動きもそういった動きの延長にあるものでしょう。
米国企業で勤めていたときに、枚様式チャンバーの件で、オランダ企業と特許紛争がありました。ヨーロッパはISOなどの国際規格で世界をコントロールする。米国は特許などの知的財産で覇権を取ろうとする。はたして、この狭間で、日本はどうするんだ?という議論したことがあります。
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