シドニーでの国際会議で! これは!! アンビリバボー!!!
かなり昔の話ですが、今でも忘れられない事なので、その当時を懐かしく思い出しながら書いてみます。いま、こんな事はないのでしょうが...
初めて国際会議に参加したのは、豪州シドニー市での石炭科学会議でした。会社の先輩と2人で向かいました。シドニー空港に着陸すると、何やら検疫官のような方が数名乗り込んできました。機内のチェックをしています。どうやら、豪州にはコアラなど有袋類の珍しい動物がいるので、その保護のための入国前のチェックだということでした。いまではありませんね。
さて、シドニーヒルトンでチェックインして、翌日から、国際会議に臨みました。先輩は、自分の研究成果を発表するというノルマがありましたが、私は、そういうノルマもなく、ただ、出張報告書を提出するというくらいの緩い出張でした。いまなら、上司から許可が出ないのかもしれません。まだ、サラリーマンには良い時代でした。
この国際会議で、“ありえへん“という体験を目の当たりにしました。スケジュール通りに発表が進み、ある日本人の順番がやって来ました。その方は、小さな箱型の機械を脇に抱えて登場しました。「何を持って来たのかな?」
冒頭、名前と所属を告げました。日本人なら誰でも知っている有名企業でした。その後の15分間が忘れられません。演台の上に置いた機械を起動させます。アメリカ人と思しき男性の声が流れて、スライドの内容を流暢に説明していきます。15分後、最終ページの説明が終わるとともに、その男性の声も止まりました。
この後、Q&Aの時間になりましたが、会場からは一つの質問も出ません。会場全体がシーン、白っとしていました。それも当然ですよね。本人が説明しようという意志を示さなかったんですから、質問しても...という雰囲気でした。この顛末を目前にして、まるで自分のことのように恥ずかしい思いをしました。
あれから数十年が経過しました。最近では、研究者やエンジニアの取り扱う分野が多種多様になっており、世界を舞台に激しい技術競争が展開されています。技術を武器に、世界で活躍している日本人、エンジニアも多数いる事でしょう。
技術の進展のスピードが限りなく速くなった現代、多くの日本人、侍エンジニアが世界市場でつばぜり合いを行っています。そこで勝ち抜くためには、技術の他に、コミュニケーション能力が鍵となります。その意味でコミュニケーションツールである英語の実力を高めていく事は不可欠なことです。
そのため周到な準備をされているものだと思います。オーストラリアの事例は最悪でしたが、程度の大小はあれ、思うようにコミュニケーションできない事も当然あるでしょう。気にしないで頑張りましょう!
語学の前に、「侍エンジニアとしてどのように振る舞うべきなのか?」という点も大事なことです。世界でやっていくためには、そこで埋没や同化するのではなく、日本人としての個性や特徴を発揮し、課題解決に取り組んでいく姿勢が重要です。
特に、将来ある若い方々に期待することですが、①日本の歴史をよく知ること ②人間力を高めていくこと ③異文化の人たち、色々なことに問題意識を持っている人たちとの間で切磋琢磨することなど、先ずは日本のために頑張っていただきたい。若い方々のお手伝いができればと考えています。