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スポーツマンシップ
スポーツは健全な精神を育むとか、身体健やかに健全なこころを育むとかいうけど、ぼくはそれは嘘だと思っている。
健全な精神は健全な肉体に宿るというのは、そんなに間違いではないとは思うけど、それをスポーツで代弁すると話は変わってくる。
映画に出てくる嫌なやつは、たいがいアメフト部のスポーツエリートだ。
マッチョでイケメンだったり。クラスの人気者で、校内一の美女を彼女に持ち、親のオープンカーを乗りまわしてたりする。
それで性格は超絶悪いというのが定番だ。
もちろん、疑問マガジン編集長として、そんなステレオタイプな演出を鵜呑みにして、スポーツできるやつにロクな奴がいないとかは、間違っても言わない。
ぼくはスポーツが好きだし、いまでも草野球を楽しんだりしている。千葉ロッテマリーンズのファンクラブに入ってるし、今年は20回くらい球場に足を運んで観戦した。
それに例の不登校になった次男はサッカーしてたし、ぼくはとても応援していた。やめた時は残念にも思った。
心からスポーツは素晴らしいと思ってます。
では、何が言いたいのか、ということになりますよね。笑
説明を試みましょう。
スポーツが健全な心を育むことを阻害すると確信する査証。
その代表がシミュレーションです。
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いまはフェアプレーの重要性が本気で語られてるなとは思いますが、昭和ではどうだったか。
(うまくやれよ)
(やったもん勝ち)
(審判だましてなんぼ)
というのが多くの本音だったと思う。
サッカーで言えば、きれいなプレーをする日本人は馬鹿にされる世界だった。
アマチュアでも、審判の見えないところでラフプレーする方法なんかをコーチが教えてた。服の引っ張り方、靴の踏み方とか。
つまり、ルール違反は審判がジャッジすることなので、判定が出なければ何をしてもよい。むしろ利用しないのはバカ。本気で勝つ気がない二流、三流のプレイヤーと見做された。
騙されるやつより、騙すやつが賞賛される。
そんなことだから、隠れてバレないようにいかに振る舞うかということが、重要な価値観になっていったんじゃないかと思う。
しかもやっかいなのは、表ではスポーツマンシップなんて綺麗な言葉で飾り立てたりする。
いかに上手に、ばれたらルール違反とされる行為をやりぬくかの訓練になってしまった人たちがいるんだとしたら、それはスポーツの罪だと思う。
でも時代は変わって、大谷翔平のようなプロアスリートが出てきている。ぼくのボヤキもすでに失われた過去のものとなっているんだろうな。
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