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史上初直木賞と本屋大賞をダブル受賞した本作。
音楽を平面で表現するのは難しい。でも、人間の理解が言語を解する必要があるなら、小説の中に音を表現させることも可能なはずだ。
選考が進むごとに登場人物の数だけ音の描写を書き続けるのは非常に骨の折れることだったと推測する。恩田陸はこれでもかというほどの、いくつものバリエーションでそれを達成した。彼女にはふたつの大きな才能がある。音楽をつぶさに聴き、感じ取る力、そしてそれを言葉に置き換える筆力。この豊かさだけでも読む意義がある。
三次予選の演奏で亜夜は僥倖を獲る。そこでは観客が「安心しておのれの人生を委ねられるという安堵と期待」を感じていた。彼女の指から紡がれる音楽を通して自分の人生を振り返る体験をするのだ。
それは村上春樹の「蜂蜜パイ」(『神の子どもたちはみな踊る』収録)を読んだときの私と同じで、深く頷いた。素晴らしい作品に触れたとき、そこに書かれていたものは私のことじゃないのに、なぜか自分の人生が直接思い出されるのだ。
一瞬の中に永遠を見る、と、作品の別の箇所にも書かれていたが、私はまだその感覚を見つけられていない。もしかしたら世界は美しいのかもしれない。もしかしたら世界はもうすでにそれを見せてくれているのかもしれない。私が気付いていないだけで。
人間であることに「耐えていく」。この表現が嬉しい。生きることは苦しみと虚無の上に立脚する歴史だ。私はそれに絶望していたが、それを知っている人がいた。そして作者は、そこから生まれる意味のあるものを示してみせた。「これがあるから生きられるもの」があることを。
観客として三次選考を聴いていた高島明石が「敬虔な気持ちになる」シーンがある。
そうだ、この言葉を忘れていた。私が本に向き合っているときの気持ちは敬虔そのものだった。私もこの沼の道を文学と共に生きていく。
(2021年・文/修正・転記)