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絶望するなと太宰がいう-『津軽』太宰治(1944年)
「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちっとも信用できません」
(略)
「お前だって、少しは、わかっている筈だがね。もう、これ以上は言わん。言うと、キザになる。おい、おれは旅に出るよ」
映画『メメント』(2000年)を観て、特典映像のクリストファー・ノーラン監督のインタビューを聞いたとき、「今までほとんど関わらなかった分野の作品に手をつけよう」と思った。おそらく『メメント』がわたしにとってそういう作品で、とても感動したからだと思う。
『ガリバー旅行記』か『ジギル博士とハイド氏』かシャーロック・ホームズシリーズか『細雪』か迷ったが、太宰にした。太宰こそ「ほとんど関わったことのない」、わたしの苦手と思い込んでいる作家だから。
太宰文学のうちには、旧家に生れた者の暗い宿命がある。古沼のような“家”からどうして脱出するか。さらに自分自身からいかにして逃亡するか。しかしこうした運命を凝視し懐かしく回想するような刹那が、一度彼に訪れた。それは昭和19年、津軽風土記の執筆を依頼され3週間にわたって津軽を旅行したときで、こうして生れた本書は、全作品のなかで特異な位置を占める佳品となった。
太宰が苦手なのは、その文体による。初めて買った『走れメロス』(新潮文庫)の「女生徒」では、言葉が頭に入らず、頭蓋骨の外側を滑り落ちる感覚に陥った。
だけど、もう一つ理由があった。それは、太宰を好きな人たちの、太宰への強い同情心だ。わたしはそれが大嫌いだった。
太宰を好きな人は、彼の作品を読むときに、彼の境遇を大いに加味しているように見えた。それはわたしみたいな外側の人間からすると、太宰を甘やかしてるように思えた。作品だけで評価されてこそ作家の真価が問われるはずなのに。
だから太宰が苦手だと話す作家を見つけると、大切に覚えておいて安心材料にした。わたしだけじゃなかったんだと証拠が得られたように。(2人いる。誰かわかりますか?)
『斜陽』と『ヴィヨンの妻』は面白かった。『人間失格』は、これもまた頭の外側を滑っていき、うまく読めなかった。
で、『津軽』だ。読んでる最中、ずっと面白いと思えた。紀行文だからなのか、太宰自身、対象(津軽の土地や友人たち、親戚たち)との距離が適度にあり、濃淡が少ないのが良かったのかもしれない。
故郷のどこかをわるく言ってから「読者よ」と呼びかけ、自分の発言は偏っているから実際はこうではない、と注意喚起している。
友人の家を訪ねたときも気兼ねしており、二重三重にも疑心暗鬼になる思考は、たくさん葛藤をしてきた人そのものだった。太宰の繊細さと気遣いと、気を遣いすぎて疲弊していった人生を想った。
ページを割いて一生懸命志賀直哉の悪口を書いている(P.62)のも面白かった。この偏屈さが太宰らしさであり、太宰の愛おしさであり、彼に宿命のようにまとわりつき、彼を殺した生きづらさの一端なのだろう。わたしはここに太宰好きたちが彼を慕う理由を見た。
クライマックスは感動だった。わたしは諦念をもった太宰が簡単に諦めるのではないかと思った。先がわかってしまわないように、隣の行を手で隠しながら読み進めた。はにかみやの津島修治の姿がはっきり想像できた。
私は、たけの子だ。女中の子だって何だってかまわない。私は大声で言える。私は、たけの子だ。兄たちに軽蔑されたっていい。私は、この少女ときょうだいだ。
作中追いかけてくる津島家の強大な権力と相対するこの文章が本質だ。太宰の悲劇的な人生の数少ない幸福なときを見られて泣かずにはいられなかった。
さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。
自分も絶望してたのにと思うといじらしい。読んで良かった。この本によって、やっと太宰治を純粋に捉えられた。
(2020年5月文/修正・転記)