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エッセイ『誓いのような祈りをこめて(大好きな彼らのライブについて)』


大好きな人たち。大切な音楽。かけがえのない空間。遠いな、と実感してしまったこと。ホテルについてから、しばらく泣いた。

彼らのライブ空間にはいつも、喜怒哀楽すべての感情が存在している。

大好きな人たちと同じ空間に存在できることを喜ぶファン、生で顔が見られたことを、生でその声を聴けたことを喜ぶファン、熱狂と陶酔が入り乱れた歓喜の熱さ。

はたまた大好きなメンバーからファンサがもらえなくて怒っているファン、マナーが悪いファンに怒っているファン、銀テープの取り合い、周囲の声がうるさいだとか挙動がうるさいだとかいう不満、ライブのセットリストや演出構成が理想とは違っていたという憤り。

そして彼らは遥か遠く届かない存在なのだという寂しさのような哀しみ、限られた時間しか同じ空間に存在できないということ、その瞳に映ることはできないのだということ、この瞬間は、彼らが全員揃ってステージに立つ時間は、永遠ではないのだということ。

人それぞれ感じることは違う。だけれど私のなかにはいつも、そのすべてひっくるめて楽しい、幸せだと思わせてくれる彼らに対する感謝がある。いつまでも見つめていたいと祈るような気持ちで見上げること、その喜びも楽しさもぜんぶ、彼らのライブへ足を運ぶごとに増してゆく。

彼らは歌った。踊り、笑った。あまりにもまぶしくて、視界が滲んで、照明の煌めきが水彩絵の具のようにぼやける。その先に舞う彼らのうつくしさ、その尊さを一瞬一瞬、そっとシャッターをきるように心に焼きつける。彼らはいま生きている。私もいま、生きている。だからこうして、受け取ることができるのだ。

大好きで大切な彼はとてもとても遠かった。正直、「遠い」と感じてしまう日がきたら、それが私にとっての潮時だと思っていた。だけれど、散々泣いて出てきたものは、これから先あなたがなにをしても、どこにいても、たとえステージを去っても私は味方だから、という言葉だった。遠くてもいい。届かなくてもいい。この距離ごと抱きしめて、私はいつまでもずっと、その光に焦がれている。

感謝を伝えたい、受け取ってほしいと願うことさえエゴなのだとしたら。こっそり、密やかに、私は味方でいますと誓うように祈ることだけが、私が彼らに対してできるたったひとつのことだ。


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おがわ
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