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どうにもならない日


覚えたてというほどでもないけれど、吸い慣れているわけでもない煙草を吸う。ミントが好きだからメンソールは吸いやすい。依存しそうで怖いから、重い銘柄は吸わないようにしている。そんな足掻きもそのうち通用しなくなるのだろうなと思いながら火を消した。自分が思っていたよりも私は弱かったな、ということに気づく。

あのころの母は、あのときの父は、寄りかかるものがほしかったのだろうか。思考回路を鈍らせる嗜好品なしには、日々に耐えられなくなってしまった。寄りかかるものがないと生きていけない、思考を鈍らせなければ耐えられない、といっていた漫画のキャラクターを思い出す。私は2次元じゃない。だから、ちょっとイタいだけかもしれない。なりたくない大人になってしまったな。割り切れない時点で、まだ大人にはなれていないのだけれど。

誰にも感謝されないけれど自分がすり減ってしまうこと。気づいてもらえないけれど意識して行ったこと。そういうことが積み重なって、私はなんのために、誰のためにこれをやっているのだろうか? と立ち止まってしまうときがある。元々意味なんてないから、考えるだけ無駄だということもわかっているのに。いい人だと思われたい。嫌われたくない。たぶん、いい人だと思ってもらえることはないのに。いちばん陰湿なのは私かもな、と思う。人の言葉に傷つきやすいぶん、傷つけ方を知っている。

昔は、あんな家には帰りたくない、と思っていた。意味もなく鈍行列車に乗って終点まで揺られたりもした。まったく、救われはしなかった。今は、帰ってくるしかないのだよな、と思う。ひとりで暮らしたこともある、思いきればここを出てゆくこともできる、だけれど私がいなくなったこの家のことを想像してしまうと心配で心配で、放り出すことはできない。余計なお世話かもしれないけれど、置いていくことはできない。ただの依存かもしれない。気づいていても、捨てることはできなかった。

食べたかったパスタが売り切れていた。代打のカルボナーラを頼んで頬張る。数か月前に観た映画をもういちど観た。もう、泣けなかった。気づきたくないことばかりに気づいて、自分の感性に失望した。その失望にも、とくに意味はなかった。

絶望したふりをするのは簡単で、嫌になったというのも容易くて、そこそこそれらをわかっていて、それでも途方に暮れてしまっているとき、なんて言ったらいいのか、どんな言葉を選べばいいのかわからなくて、気持ち悪いなと思いながら沈黙してしまう。誰も見ちゃいないのに、恥ずかしいなと思ったりもする。逃げまわってもずっと追いかけてくる影、見て見ぬふりをできない。向き合ってしまう私だからこんなにも苦しいのだと、たまに思って、目を瞑ってしまおうかと思う。それには勇気が足りなかった。

焼酎ハイボールを飲みながら歩くのぼり坂はいつもより過酷だった。いつか、報われるかな。誰か見ていてくれるかな。10代のころと髪色だけが変わった私、きっと誰にでもあるどうしようもない夜、自分ひとりさえ救えなくても、おいしいものはおいしいから、まだ大丈夫だねって踏ん張るふりをした。



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おがわ
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