血縁上の彼
私には、父親がいない。縁が切れてしまったという方が正しいかもしれないけれど。それが起きたのは昨年の夏のことだった。私はまだその事実を受け入れることができていないけれど、こうして言語化することで少しでも救われるものがあるのではないかという希望未満の願望によってこの文章を書いている。
私と父の縁が切れた主な原因は私の持病。そして父の精神状態が見方によってはおかしいといえる状態にあったこと。私には双極性障害という持病があり、その療養について理解が得られなかった、というのが主な要因だ。だけれど父の精神状態もよいものではなかったように思う。
私が何を言い、父に何を言われたのか、それを詳細に書き記してしまうと万が一目に触れてしまった場合に更なる困難が生じるかもしれないので控えるが、公共の場で罵られおしぼりを投げつけられた、ということだけ、記録しておく。
私と父はとても似ていると、私は今でも思っている。私も彼もそれを認めていたし、私の8割は父と重なっていた。それは人格において、というだけではない。外見も肌の色も食事の好みも、重なっていたのだ。私の両親は早くに離婚しているので父とは同居していなかったが、それでも私と彼はわかり合えていた。かつて私の母に対して取り返しのつかない行いをした彼のことを、私は時間をかけて許していた。良好な関係を築こうと必死な児童期を過ごしてきた。
私は、父親としての彼のことはまったく信頼していなかったが、人間としての彼のことは好いていた。とういうのも、父親としての彼といち人間としての彼は私にとって異なっていたのだ。父親としての彼に対してのイメージは母親からの伝聞がその大部分を占めていたし、私はその話を信じていた。実際、自分が相対する彼にもそういった側面を感じ取れたからだ。だけれどいち人間としての彼は、ある意味私にとってのロールモデルであった。私と酷似した性格をもち、似たような思春期を過ごし、今は社会の一部として生きている、私がどう生きればいいのかをもっとも単純に示してくれる指針だった。
だけれど私にもそういった側面があるように、彼は常に鋭利すぎる激しさを孕んでいた。それが人を傷つけ苛む事態は幾度となく生じた。私は彼ほど利己的ではなく良識がある人間なのだと信じたいけれど、彼と同じ性質を持ち合わせているのも事実。彼は、自分のことしか信じられない人だった。他者の思想には一切寄り添えない人間だった。
私たちは、わかり合えなかったようだ。私はそれを理不尽だと思った。不条理だと感じた。それは今でも変わらない。彼は血縁上の親だからだ。それ以上にも以下にも理由は存在しない。彼からの愛情がほしかった。わかってほしかった。だけれど彼は私を罵った。それだけが事実だった。わかり合えていたはずの時間も積み上げてきたものも、彼を理解しようと努めた日々も、すべてが無意味だったのだと突きつけられたような気がした。
彼に対してのみならず、結局のところ、血縁者だろうがなんだろうが自分以外の個体は全員他人だ、と私は思っている。だから、彼を理解した気になってしまったこと、私を理解してもらえたような気になったこと、そして私は努めたのだという自意識が間違いだったのだと思う。彼と私は違った。似ているけれど、異なっていた。それは至極当然のことであるのに、私の心はどうにもついていけなかった。
私は今でも、あの夏の日に身体ごと引き戻されては、動悸と不安と絶望と窒息感に苛まれながら生きている。受け入れることなどできないし許すこともできそうにない。何度だってあの日を夢に見る。そのたび私は必要ない存在だったのだという必要以上の自己否定をしてしまう。この無力感と虚無感が生じてしまうのにはさまざまな要因があるが、ここ最近の私にとってもっとも鮮烈で酷な記憶は彼との事態なのだ。それでも私は彼を嫌うことができなかった。ずっと、痛い。
こうして文字に起こしても感情の整理はあまりつかないらしい。思い出せば思い出すだけ苦しくなるだけだった。だけれど私は、いつかの私が、今の私よりも大丈夫になっていることを願うしかない。痛い、苦しい、消えてしまいたくなる、そういう感情を否定することなく、なるべく自分にやさしく在りたいと願う。あの瞬間も、私はよく生きていた。彼もまた、彼の人生を生きていた。たった、それだけのことなのだ。
私はひとりぼっちじゃない。そう言い聞かせながら、私は今日も生きている。大丈夫じゃなくても、無事。傷だらけでもぼろぼろでも日々は続いてゆく。ごはんを食べて寝て呼吸をする、今のところはそれを続けるつもり。
2023/06/24
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