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通信制大学1年生。文芸を学問として学ぶこと


私はいま、京都芸術大学通信教育学部(通称KUA通信)の文芸コースに所属している1年生だ。いろいろあって年齢は20歳。そのいろいろはまた別の機会に書くとして、今日はこの大学に入って文芸を学ぼうと思った初心に帰ってみようと思う。


突然ですが、私は好きなことが義務になってしまうと好きではいられなくなるタイプです。たとえば高校生のころは、勉強がいくら好きでも、学校から課せられると途端に嫌になってしまうという具合でした。自発的に取り組んだ勉強はどこまでも深堀りできるのに、「これをやりなさい」と言われて義務感を感じた瞬間、面白みを感じられなくなってしまう。随分都合がいい性格だなと自分でも思うのですが、課題の提出期限はきっちり守っていたので許されたい。

その特性ゆえ、いちばん大好きで自分にとって必要な「書く」という「好き」が「義務」にならないよう、私は逃げ回ってきました。この大学に入学したのは、それを義務として自分に課す覚悟をしようと思えたから。

この大学に入学する以前、私はまったく異なる分野に触れて、学んで、体験しました。その経験を通して、いちばん学びたいことがたとえ義務になってたとしても、私は好きでいられるという自信が湧いてきたのです。2番目以下の「好き」と向き合うことで、私にとっての「いちばん」がいかに強いものであるのかがわかりました。

これほど好きだと思えることはないと、胸を張って言えます。でも、私は書くことだけで自分が生きてゆけるとは思えていません。書くことで生きてゆけるのなら幸せだな、という展望はあるけれど。


今までの自由奔放な創作とは違い義務的に文章を書く機会が増え、制約があるなかで求められた文章を書くことは難しいなと感じるけれど、私はそれを楽しめている。ただ、自分の文章に明確な点数をつけられることは結構しんどいな、と初めての成績評価を受けて感じているところです。大学入学よりずっと前、自分が書いた文章を誹謗中傷された経験はあるけれど、自分が生きたい道の先人たちに数字で評価されることのほうが私にとっては大打撃なのだということがわかりました。

やるからには「面白い」と思われたい。まだ悔しさの方が勝っているけれど、それを糧に日々学ぶ。先生たちに「面白い」といってもらえる日がきたら昇天してしまいそう。

私は、書き続ける人間として生きる覚悟がほしくて、ここにいる。私は書き続けたい、と毎日思う。私が私を信じてあげるために、学ぶ。書く。いつだって、面白いものを書きたいという素直な欲求を大切に。あとは、計画通りに卒業できますように。

2023/06/27




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