『自分の言葉』で表現するって、何?
言葉を発するとき、わたしは”ひとり”じゃない。
“僕の言葉じゃない きっとこれは僕達の言葉だ”
UVERworldの『僕の言葉ではないこれは僕達の言葉』という歌が好きだ。
今日久々に聴きながらお風呂に入っていて、ふと思った。
自分の言葉で表現するって、難しくない?
TAKUYA∞がどういう気持ちを込めてこの歌詞を書いたのかは分からないけど、わたしが何かを表現する時、「自分の言葉で喋ってるな」という感覚は薄い。というかほぼない。
わたしは漫画や小説が好きなので、日常生活で好きなキャラクターの言葉を拝借していることが結構ある。また、好きな人の使ってる言葉や考え方が知らないうちにうつってることもしばしばだ。言葉を発してから、「なんだか〇〇が言いそうな言葉だな」と思う時もある。
誰かの言葉を拝借したり、ちょっと組み合わせを変えてみたり・・・
言うなれば、わたしオリジンな言葉って、少ない。
そう考えると、わたしの口から出る言葉って、「自分の言葉」じゃなくて「私たちの言葉」かもしれん。
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言葉って、粘土みたい。
わたしは説明が大の苦手だ。説明能力コンプレックスと言ってもいい。
たぶん、言葉の切り貼りというか、言葉で自分の言いたいことを完成形までもっていくのがへたくそなんだと思う。
これは職場の人間…とくに先生方と話していると感じることだが、言葉って粘土みたいだと思わないか?
ドン、とでっかい塊を1つ構える人もいれば、細部までこだわったオブジェみたいなのを作る人もいる。完成形なはずなのに、だからつまりそれは何なんだよ、と思えるものだったり(これは私)、何を作ったのか一目瞭然の人もいてみたり・・・
「伝え方」「説明力」「話す力」…いろんな言い方があるけど、それって全部「どんな粘土をつくるか」という話だ。
”難しい言葉を使う人じゃなくて、わかりやすい言葉で説明できる人が頭がいいんだよ”
そういう話をたまに聞くけど、結局はどっちでも説明できる人が優勝、なんだよね。
もっと言えば、相手によって瞬時にどんな粘土を作るか判断してしゃべれる人。
だって、”難しい言葉”って熟語とか専門用語のことなんだろうけど、それは知ってる人、慣れてる人からしてみれば難しい言葉ではないし、「わかりやすい」は相手や環境によって変動するじゃん。
理解力、処理能力、語彙力、コミュニケーション力、会話力。
言葉を操るというのはいろんな力が必要だ。
パッと浮かんできた話すために必要そうな「〇〇力」を並べてみたけど・・・なんかぜんぶ抽象的だし、すごく難しそうだ。
でも、”いつもより形のいい粘土を作る”くらいなら、やってみてもいいかなと思える。だって、「会話力」は難しそうだけど粘土づくりなら簡単そうだし。
物事って解釈次第だよな~~~
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私たちは日々、言葉の粘土を大量生産している。
粘土を作る行為というのは自分の脳みその中で行われる孤独な作業だけど、自分の言葉には他人のエッセンスもふんだんに詰まっているわけで・・・
そういう意味では、粘土づくり、もとい自分の言葉で表現することというのは、わたしと誰かの共同作業といえるのかもしれない。
「自分の言葉」は自分だけの言葉じゃなくていいし、無理に気負わなくていい。自分の中に棲んでいる、「私たちの言葉」が粘土作りを助けてくれるはずだから。
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