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2024/12/23~『読書の日記』『100年後あなたもわたしもいない日に』
2024/12/23(月)
『家族最後の日』でどこかで保育園のママ友かなにかに夫の病状を説明したところずいぶん淡々としているけれどもう受け入れたの、というようなことを言われる場面があって受け入れるとはなんだろう、というようなことが書かれていたけれど受け入れるという想像はたぶん登場人物に時間が流れているということを考慮したことのない想像のしかたでそのとき闘病者の妻の生活は見舞う・部屋でじっと考え込む、くらいで構成されていると思っているのではないかと思うのだけどずっと書かれているように実際にはじっと考え込むような物理的な余裕もない勢いで次々と目の前にやってき続ける迫り続けるタスクをこなし日々を回す働くそういう時間になっていて読んでいてこれはめちゃくちゃに大変なことだわ、こうやって闘病者の家族の話を読んだことがこれまであったかなかったか覚えていないけれどこれまでだったら僕も受け入れる受け入れないという考え方をしてしまっていたかもしれない、そういう点でもそういうことじゃないと学ばせてくれたこのドキュメントは素晴らしいと、僕は飲んでいるときに友だちに言った、いや言わなかった。年明けに読んだ保坂和志のインタビューともしかしたら同じことだったかもしれない、あとでまた読んでみる。
わたしもそうなんだろうなあと思う。受け入れて、前向きに生きているように見られがちというか...。
人にあまり自分の話をしない。身の回りに起きた不幸話は特に。今では信頼した人には言えるようになってきたけど、若い頃は一切そういう話はしたくなかった。強がっていたのかもしれない。でも一番は、そういう話をした時相手が言葉に詰まったり、困ったりする様子を見たくないから。言葉を被せて、へらへら取り繕って話題を変えてしまう。そのことで気をつかわせてしまっている、と思うとすごく嫌だった。そのわたしの対応が相手によっては、受け入れている前に進めている、乗り越えている、と思われてしまうこともたたあったよな、というか今も現にあるなと思った。それはそれで本当のことなのだけど、それが変に解釈して、あの人はどんなピンチでも逆境でもなんなくこなせる人だよね、すごいよね、的なことを言われたことがある。そのときは深く考えずに流したけど、すごいよねが、うやまらしい、になったときもあった。今思うとうらやましいって、なんだよと思う。うやらましがられることなんか全然なくて、むしろその逆なのに、何がうらやましく思えたのか......お金に苦労していないように見えたのだろうか、家族に恵まれてるから?昔の職場環境がよかったから?......その全部なのだろう。その言葉には棘があった。昔は気づかなかったけど、今ならわかる。その子とはそのあと色々あって、疎遠というかわたしの中では縁を切った形になっている。でも、その棘は今もわたしの奥底に突き刺さって、たまにチクッと疼くことがある。
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今年は早めに餅をつく。くるくるぺたぺた回り続ける餅を見ていたら、白い生き物のように見えてきた。足に見える部分がひだのようで、ウミウシみたいと思う。どちらかというと、ウミウシのぬいぐるみ。(うみの杜水族館で買ったウミウシのぬいぐるみ) かわいい。ずっと見ていられる。一回のして、もう一度つく。
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2024/12/25(水) 無事手術の日が決まる。来年の1月末。先生が先に予定を入れてくれていたようだった。脳波の件は、今回の検査結果だけではてんかんと診断できないこと、通院している大学病院の小児神経科に受診できることになった。とりあえず、少しづつ前に進んでる。
お昼はココスで、息子はパンケーキとポップコーンシュリンプをもりもり食べる。少しでも息子が食べることに対して不自由なく過ごせるようにと祈りながら一緒に食べた。
2024/12/26(木) 雨。寝室の簡易大掃除。エアコンやブラインドなどを重点的に掃除。ほとんど使わないエアコンはフィルターも全く汚れて無かったんだけど、こういう場合も外したほうがいいのだろうか。
『細部に宿る』梶谷いこ(著)を読了する。掃除をしている時、家事をしているとき、心が元気になる時がある。もちろん、毎回ではないけど。そういう時、やっぱり家のことがすきなんだなあと思う。それと同時に、母の血と思う。
私が不在の間、もちろん夫はシンクを磨いてなどいなかった。水垢と油汚れでドロドロに曇った台所のシンクを前に、私はいつものようにスポンジにクレンザーを垂らし、くるくると円を描こうとした。ただ、さすがに腕の力も落ちていたらしく、シンクの縁にしがみつくようにしなければ磨けなかった。それを見て、夫が驚いて声を上げた。
「何やってんの!」
本当に、私は何をやってるんだろう。1週間ぶりに帰宅するなり、縁にしがみついてまで薄汚れたシンクを磨いていている。病み上がりで力も出ないのに。でも、家を離れている間ずっと、こんなことが恋しかった。我ながら可笑しくなり、そのままひとり笑いの声を上げた。するとまた夫が驚き、今度は呆れた様子で言った。
「また明日でいいんじゃない?」
それでも私は渾身の力を込め、念願叶って台所のシンクを磨き上げた。ツャ消し仕上げのステンレスシンクが、鈍く光って水を弾いた。私は充実感と疲れから、畳の上に寝そべって休んだ。頬に当たるひんやりとした畳の感触も久しぶりだった。仰向けになり天井を見上げると、目の前に電灯がぶら下がっていた。電灯のシェードは破れたままになっていた。針金に沿って張り巡らされた和紙のシェードがところどころ破れ、針金が飛び出ていた。それを見て、私は心底ホッとした。ああ、帰ってきたんだ。やっと胸に血が通ったような気がした。
2024/12/27(金) 今日から幼稚園の冬休み。 年明けは手術に専念するため、しばらく幼稚園を休むので長い長期休みになる。気合いをいれなければ。それと入院の準備。
2024/12/28(土)
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祖母が作ってくれたウルトラマンタロウをかたどった朝ごはん。似てないけど、息子は喜んでもりもり食べた。
年末に見ようとなった「あたしンち」のDVD。久しぶりにゲオに行って借りてくることに。前よりもがらんとしたような店内で、カードを再発行してもらう。旦那もわたしも見たい映画があったのだけど、今回は本を優先しようということになり、息子のDVD5枚借りて帰る。
2024/12/29(日)
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家族三人でペンギン文庫へ。今年最後の営業日だったのでどうしても行きたかったのだ。山田さんには会えなかっけどmさんには会えて、年末の挨拶もすることができた。土門蘭さんの本を2冊買う。
その後は、息子のリクエストでピザーラのピザ(マルゲリータと大海老のガーリックシュリンプのハーフ)と、おやつ屋さんのどんどん焼きを買って車で食べる。冬じゃなかったら外で食べれたけど、たまにはこういうのもありだよね、と食べるのには結構不便だったけど、おいしくて心は満たされた。
そのあとは温泉へ。リニューアルした「ゆさ」へ。本棚がたくさんある空間に大人が人目をはばからず横になったり、寝入ったりしている姿は異様な光景だった。
雪が降っていたこともあり、温泉からの眺めはまあまあきれいで、息子としっかり温まり、くつろげる場所を求めて探検。旦那と合流しアイスを食べながら本を読んだ。
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『ベルリンのうわの空』香山哲(著)
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拓けども 拓けどもまだ日光も
言葉も届かぬ
密林を持つ
膨れては ぱちんと破け また殖える
心はたぶん泡状なのだ
脊髄を 祈りを回路がつらぬいて
ときどきそこを
光が流れる
どこまでも ひとりであるのは知っている
時々うっかり 忘れるだけで
100年後 あなたも わたしもいない日に
今日とおなじ 朝日がのぼる
土門さんの短歌と寺田さんのイラストに心を揉みほぐされていくのがわかる。100年後なんて、当たり前にわたしの存続などなくて、それでも当たり前に世界は進んでいく...。寂しいようでもありながら、それは希望でもあり、今悩んでいることがちっぽけな悩みに思えてくる。そんなことを米津玄師が言っていたのを思い出す。「さよーならまた」を聴きたくなって、今を生きる世界の人たちに想いを馳せた。