【エッセイ】"普通"をあきらめた話

うつ病と診断されたあのときから、ずっと普通に憧れてた。
普通に朝起きて、普通に身支度をして、普通に働いて、普通に食事を摂って、普通に遊んで、普通に眠って、普通に毎日を過ごすことに。

普通って言葉を好んで使いたくない人だっているのはわかっているし、そう分類されたくない人がいるのもわかっている。でもわたしは、みんなが普通に見えるしうらやましく感じる。「あなたは普通でいいよね」なんて指さして声に出して言うわけじゃないから、心のなかで思うくらいは許して欲しい。

さっき、泣きながら働くことに対する自分を分析した。それがこれ。

画像1

始まりは中心にある「決まった時間に決まったことをする」のふきだし。
とても最近、わたしにはこれができないんだと自覚したことのひとつ。

ひたすらこの曼荼羅を書いていて、放置してそんで寝てたら母親が部屋に来てこれを見て、少し笑っていた。どうもわたしにはそういうときの母親の笑い方が苦手で。たぶん本人はそんなつもりないと思うのだけれども、わたしには鼻で笑っているように感じられてしまう。被害妄想だね。
だからわたしは勝手に腹が立った。必死で自分を分析して死ぬほど憧れていた普通を手放していたのに、笑われた。って感じて。
でもそう思いたくて思っているわけではないことをわかってほしい。

それからしばらく泣いて、落ち着いたからこうやってパソコンに向かってる。普段わたしにはツンツンしている飼い犬が心配してくれたのか鼻を擦りつけてくれたから、抱きしめて「大丈夫」と言うとまた涙が出てきた。全然大丈夫じゃなくて笑っちゃったな。

画を見たらわかるとは思うけれど、一応どんなことが書いてあるかここにまとめておくね。曼荼羅の字汚くて読めんし。

✂―――――――――――――――✂

◇決まった時間に決まったことができない(例えば起きたり出勤したり)◇
 →普通の社会人であることの大前提だと思っていたので、それができないと認めること=普通をあきらめることだった。
 →うつ病を免罪符にするわけではないが、紛れもなくそれは障害となっているので認めてわたしに出来ることを出来る範囲でやろうと決めた。(今までは『無理じゃない、頑張ればできる』と思い込んでいた)。

◇長くひとつの場所で働けない◇
 →まずどうしてそんなものが出来たのかはわからないが『2回以上休むとアウト』という自分ルールがある。
 →飽きてくるというのが事実かは定かではない。人間関係がどんどんと重たく面倒くさくなっていくのは事実。
 →自分のテリトリーじゃない場所で働くということがとてもストレスになっている。(これはさっき気づいた)。他人やその場のルール、空気に気を遣いすぎてしんどくなる。

◇上記のことを考えた結果、一番希望があるのは在宅勤務の仕事◇
 →自分のテリトリーで他人などにそこまで気を遣わなくてもよい。今のわたしにはノートパソコンもある。
 →幸い文章を書いたりすることも嫌いではない。

✂―――――――――――――――✂

正直、生活保護で生きていくことも考えた。でもあれってまぁ当たり前だけど実家があって支援してくれる親や親族がいるなら受けられないんだよね。
いくら精神障害があっても実家があってまだ20代のわたしには、そんなもの必要ないってなっちゃうんだろう。その通りなんだけど。

これを見てもし、なんの資格もないわたしに在宅仕事のアドバイスとか与えてくれる人がいたらお待ちしております。

人を貶めたり殺したりしたわけじゃない、別に恥ずかしいことをしているわけじゃないわたしのことを笑ったり馬鹿にしたりしていいのはわたしだけだし、わたしは、わたしのやりやすい方法で、楽に、生きていくよ。

とりあえず来年の春までね。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?