【エッセイ】おいしいの隠し味は親友

過去の記事でも何度か登場してるわたしの親友とごはんの話がしたい。

まず親友の紹介から。
出会った中学1年生のころはお互い同じ部活動仲間というだけの認識だったように思う。あまり話さないけれど名前は知ってるくらい。
中学3年生になってやっと同じクラスになったわたしたちは名簿が前後で、たぶん好きなアニメとか漫画がかぶっていたのがきっかけで話すようになった。今でもたまに親友は言う。「わたしにニコニコ動画を教えたのはアンタや」と。覚えてないけど、そうらしい。

気が付けばわたしと親友の仲はめちゃくちゃに縮まっていた。中学校生活最後の1年ということもあり、担任は席替えを自由に決めさせてくれた。わたしたちは窓際の一番前とその一つ後ろを陣取ってきゃいきゃいとはしゃいでいた。
土足で思春期の心に踏み込んでくる無遠慮な教師やわたしのように暗いオタクを見下す声の大きいクラスメイトが蔓延っていたあの閉鎖空間。小中高ぜんぶ含めて学校生活っていうのはいい思い出が少ないけれど、中学3年生の1年間だけは今でも特別みたいにキラキラしてる。それくらいあの空間はふたりだけのものだった。

親友は頭がよかった。高校も賢いところへ進んだ。わたしは頭が悪いから、それなりの偏差値の人間が集まるところへ。わたしも親友もスマホなんて持っていなかったから毎日メールでどうでもいいことを報告したりしていた。
高校でも仲の良い友人は何人かいたけれど、やっぱりあの閉鎖空間では毎日が息苦しかった。

大学に進学すると親友は遠く離れた場所へ行ってしまった。他県の国立大学だ。わたしは電車で2時間ほどの地元の私立大学へ入学した。しばらくあいつに会えないんだなぁとあんなにやるせない気持ちになったのは後にも先にもあのときだけかもしれない。

で、4年と少し経って親友は帰ってきた。わたしは大学を休学したりけっきょく中退したりいろいろあった。親友が地元に帰ってきてからたくさん遊びまわってたくさん話してたくさんごはんを食べた。
インドカレー、ラーメン、海鮮丼、寿司、スイーツ、スタバの限定フラペチーノ……。いろんなところへ行ったしいろんなものを食べたし、そのたびに共有した時間が宝物になった。

親友とごはんを食べることで気づいたことがある。親友はなにを食べても心底おいしそうに食べるのだ。きっと本心でおいしいんだろうけれど、それが顔に出てるのがおもしろくて好きだ。その顔がわたしの食べてるごはんを何倍もおいしくさせる。最後に加える最高の隠し味。
正直あんまりおいしくないなって思っても、目の前の親友が大きな目を細めて眉を顰めておいしいを連呼していたらなんだっておいしく感じてしまう。すごい力だ。超能力だ。

だからわたしは親友といっしょにごはんを囲むのが好き。
その時間がなによりも愛おしいと思う。
わたしがごはんを食べるのは、親友と過ごすその時間のためかもしれない。

酒を飲みすぎて電車で吐いたときにとなりにいたのもおまえだし、わたしが世界に一人になったら歩いて日本一周しよと呟いたときになぜか当然のようにとなりを歩こうとしてたのもおまえだ。覚えてるかどうかは怪しいけどね。

ところでわたしは親友をアホだなぁと思うときがある。
頭がいいくせに、いい歳になった今もわたしのとなりでバカみたいなことで笑ってくれるからだ。
ずっとバカやってたいなって考えるけど、おたがいもう大人だ。
大切なものやしないといけないことがたくさん出来た。

それでも教室の隅でつくったあの空間を大事にしていけたらなって、そう思うよ。


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