あの頃置き去りにした想いを迎えにいく
小学校6年生の頃、陸上記録会がありました。
当時、私の学校では、記録が上位の生徒から選手が決められ、出場できるシステムになっていました。
もともと運動は得意ではなく、鉄棒も水泳も跳び箱もマット運動も苦手で、球技に至っては頭にボールが直撃することがしばしばある程の運動音痴でした。
そんな中で唯一、陸上競技だけはどういうわけか得意でした。
走り高跳びやハードル、短距離走では、クラスでも上位の記録を出していました。
陸上記録会に向けて、私はハードルの種目を選択し、練習に励んでいました。生徒数の多い学校だったので、選手に選ばれるのは限られた生徒だけでした。
ハードルを選択した生徒の中でも、私は上位の記録を出しており、そのまま行けば選手に選ばれることが見えていました。
ですが、選手を決めるタイムを計る当日、私は足を傷めてしまいました。
普段、あまり運動をしていない私が、急に張り切って毎日練習をした為かもしれません。知らず知らずのうちに疲労が溜まり、負荷がかかっていたのかもしれません。
足を傷めたのは、タイムを計測する直前のことでした。
痛む足を引きずりながらなんとか走り切り、ゴールしたところで私は泣き崩れてしまいました。
その後は外の階段のところに座り、しゃくりあげながら泣き続けていました。タイムは普段よりとても遅く、選手に選ばれる可能性はなくなりました。
家に帰っても私は泣いていて、帰宅後は塾があったのですが、泣き止めず、遅れて行ったのを覚えています。
私は幼少期から小学校卒業までの記憶がほとんどありません。
断片的なものしか残っておらず、小学校の1年生から6年生までの先生の名前も、誰一人覚えていません。家で何をして過ごしていたのかも、宿題をやっていたのかも、覚えていません。いつでも空想ばかりしていて、そこに逃げ込んでいた為かもしれません。
その中で、この時の記憶だけが不自然な程に鮮明で、強烈に、私の胸に残っています。
ハードルの種目を受け持っていた先生の顔も名前も、一緒に練習をしていた子の顔も名前も、誰一人として覚えていないのですが、この時の体験は、まるで昨日のことのように強烈に焼き付いているのです。
たまに思い出すことはありましたが、子どもの頃の思い出の一つとして、そんなこともあったな、としか、思っていませんでした。
ですが先日、このことを思い出した時に、これまでとは違った私の感情が見えてきました。
子どもの頃の記憶が断片的なのは、家族との関係においてもそうで、母との会話もほとんど覚えてはいません。
覚えているのは、強く叱られたり、否定されたりしたことばかりで、母に褒められた記憶がありません。
子どもの頃の記憶全般が断片的なので、もしかしたら褒められたこともあるかもしれませんが、私が思い出せる記憶の中には見当たりません。
現在もそうですが、私は特に褒められるところのない子どもでした。
何かで表彰されるようなこともなければ、目立つところもなく、強いて言えば絵が少し上手なくらいですが、コンクールに応募しても受賞したことなどはありませんでした。
私は褒められたことがありませんでした。
母からも、学校でも。
私は褒められたかったのです。
運動も勉強も、人並に出来ず、特技もなく、友達を作るのも下手で、何かいつもうまくいかない。
自分を恥ずかしい人間だと思っていました。
母も私のことをそのように扱っていました。
そんな恥ずかしい自分を、隠すようにして生きていました。
ダメなところは見せてはいけない。
できないことは恥ずかしいこと。
私はできないことばかりだったので、自分の存在を隠すように、ひっそりとしていなければいけない。
ありのままの、なんにもできない私を人に見られてはいけないから。
それはとても恥ずかしいことだから。
褒められるところのない自分を、世界からなるべく見えないように。
私は存在しているようで、存在していませんでした。
6年生の、陸上記録会の前に、
私は期待したのです。
私ももしかしたら、選手に選ばれるかもしれない。
みんなの応援を受けながら、大会に出場できるかもしれない。
陸上記録会で、活躍できるかもしれない。
みんなの前に出ていいのかもしれない。
明るい陽のあたるところに出ていいのかもしれない。
この世界に存在していてもいいのかもしれない。
それは手の届きそうなところまで来ていました。
もうすぐ、手が届きそうでした。
だけど、届きませんでした。
それが悔しくて
悔しくて
悲しくて
泣いていたのだと思います。
人からの称賛や、表彰されることや、活躍することは、
喉から手が出るほど欲しいものでした。
私を褒めて欲しい。
私の存在を認めて欲しい。
生きていていいんだと、誰かに言って欲しい。
結局それが叶わないまま大人になり、私はそれを追い求める人生を歩んできました。
様々な想いや経験を経て、今はそんな自分を認められるようになりました。
子どもの頃、感情をあまり表に出さず、感情もあまり動かず、大人しく、親の手を煩わせることのなかった私が、あんなに感情のままに、それを抑えきれずに泣いたのは、ごく幼い頃を除いては、あの時だけだったと思います。
あの時の私の、置き去りにされた気持ちが、
手に取るようにわかる程には、私は成長できたのだと思います。
きっと他にもたくさんの、置き去りにされた気持ちが、
私の歩んできた道のりには転がっているのでしょう。
それらをひとつひとつ迎えに行き、
拾い上げて、
大事に包み込んであげたい気持ちです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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