その自責の念、本当にあなたのものですか?
ここ二週間ほど、ずっと気分が落ち込み気味でした。
気圧の影響を受けやすいので、ここ最近の急激な気候の変化が影響しているのかなと思っていました。急に寒くなったり、また暑くなったりしてますもんね。
それに加えて生理周期の影響もあるのかなと。
でもそれにしても、気分が落ち込み過ぎていました。
私は落ち込むと、とにかく自責の念が強くなります。
ぜんぶ私のせい。
私の存在のせいですべてがおかしくなっている。
そうなると、自分の周りの重力がとっても重たくなります。
圧し潰されそうになり、頭がうまく働かなくなり、何もできなくなります。
自分自身の事だけでなく、子どもたちのこと、夫のこと、周囲の環境で起こっている悪いと思われることはすべて、自分のせい。
そういう考えに支配されてしまう時があります。
最近は自分を理解し、受け入れることが出来るようになってきたので、この強い自責の念に支配されることはあまりありませんでした。
一見ネガティブに見える出来事も、自分の中で意味を捉え直し、前向きに受け止めることが以前よりもだいぶ出来るようになってきました。
だけどここ二週間ほどは、以前感じていたような、無価値観と自責の念が、頻繁に表れていました。
この、重さは一体なんなんだろうと、気圧のせいにしていましたが、
昨日、その理由がわかりました。
わかったというか、腑に落ちたというか。
この今のタイミングだったから腑に落ちたのだと思います。
先日、私はある精密検査を受けるために、子どもたちを母に預けました。
子どもたちは不登校で家に居るのですが、母子分離不安があるため長時間の留守番は出来ず、夫はなかなか仕事を休めず、検査には時間がかかるため、母にお願いをしました。
精密検査の不安に加え、母が来るということが、私に見えないプレッシャーを与えていました。
簡単に申し上げますと、
この精密検査への不安と、母が来ることに対しての緊張が、私をナーバスにさせていたのだと思います。
でも、腑に落ちたのはそこではありません。
私は機能不全家庭に育ち、ずっと自分を抑え込んで生きてきたので、この自責の念はそこで植え付けられたものだろう、ということは、理解していました。
でもその理解は、知識としての理解で、
この、ふとした拍子に深い深い穴に落っこちたように、とことんまで自分を責め抜き、上から強い圧力で圧し潰されるように思考も行動も支配されてしまうかのような感覚の、『正体』がなんなのかは、はっきりと見えていなかったように思います。
それが先日、腑に落ちました。
検査が終わり、帰宅し、母と会話していた時のことです。
検査というのは、胸のしこりの検査だったのですが、母にも、ずっと胸にしこりがあり、マンモグラフィや針生検など、痛い検査を定期的に受けています。
今のところ問題は無いのですが、母は自身の胸にあるしこりについて、
「〇〇(私の名)を産んだあとに出来たのよね。でも母乳をやらなきゃいけなかったから、治療できなかったのよ。」と言っていました。
ドヤ顔で。
これと似た話で、小さい頃からずっと聞かされてきた話があり、
母は兄を産んだあとは、翌日から母子同室だったために、入院中は兄のお世話をずーっとしていて暇がなかった。だからすぐに体重が戻った。
だけど私を産んだあとは、病院の方針だったのか別室だったために、暇で暇で、「だからお母さん痩せなかったのよ。」と。ドヤ顔で。
なんてゆうか……
聞きようによっては本当にくだらない話ではあるのですが、
本人はこれを至って真剣に話すのです。何度も何度も。
なんか知らないけど毎回必ずドヤ顔で。
要するに、
昔はモデルのように細かった母が太ってしまったのも、
胸にしこりがあって、不安な気持ちと共に痛い検査をせねばならないのも、
全部、私のせいなのです。
母に言わせると。
冷静に考えれば、いや、冷静に考えずとも、
母の胸にあるしこりが、私を産んだあとに出来た乳腺症がそのまま残っていたものだという根拠も無いし、
それがずっとあったならどのタイミングでも診察してもらうことは出来たはずだし、
私を産んだあとの入院中のたった数日間、ベットの上で休んでいたからといって、その後何十年も太っていることの原因にはならないし、
病気でもない限りその後の何十年の間に自分の努力次第で痩せることは充分可能なはずです。
なんか書いててすげぇアホらしくなってきたよ。
アホみたいな本当の話です。
要するに母は、
自分の容姿が崩れた原因も、この年齢になっても胸にあるしこりへの不安を抱えなきゃいけない原因も、
まったくの無力だった赤ん坊の頃の私にその罪を着せているのです。
母は、ずっとそういう人でした。
母はクレーマーです。私だけではなく、あらゆる外側のものに、罪を着せる人です。自分の内側に目が行くことが無いのです。
母が帰り、先ほどの会話を思い出すうちに、
「あー、あー!なるほどねー!」と、私はとても腑に落ちました。
母は、昔から変わりません。ずっとこんな調子です。
それを、話のネタとして、カラッと明るく笑い飛ばすのならまだ良いのですが、母の場合、それを話す声色も、表情も、纏っている雰囲気も、すべてがジットリと高い湿度を持っているのです。
私は生まれた時からずっと、母のこの調子を真に受けてきました。
これまでずっと、母にとって不都合なことを、私は背負わされてきたのです。
その極めつけが、
「お母さんアンタのせいで死にたかったんだから!」
という言葉です。
自分が太っていることも、不安を抱えていることも、恥ずかしかったことも、狭心症になったことも、自分の生死の権限も、
すべてを、私のせいにしてきたのです。
私が長年抱えてきた、「ぜんぶ私のせい」という、強い自責の念の正体が、ようやくハッキリと見えました。
この、ぜんぶ私が悪いという自責の念は、母に背負わされたものなのです。
と、いうことは、
本来、私が持つべきものではない。
母本人が、抱えなくてはならなかったものです。
私には、必要がない。
このことが、すとんと腑に落ちました。
以前書いたこちらの記事の、
「不安」を植え付けられた構造と全くもって同じです。
母が絶対的な力を持っている幼少期に、それをはねのけることなど出来ません。
わたしのせいで、ごめんなさい。
わたしが産まれたせいで、ごめんなさい。
わたしが生きているせいで、ごめんなさい。
そういう感情が、骨の髄まで沁み込みます。
ですが、大人となり、そのことにはっきりと気が付いた今は、
もうそれを手放すことが出来ます。
それは本来、私のものではないからです。
私には、不要なものです。
自分で、気付くことが出来たなら、
手放すことが出来ると私は思います。
スマホもいろんなアプリも使いこなす母が、万が一にも私のこの記事に辿り着いたら、ヒステリックな母は大炎上して大変なことになるのではと恐れて、有料記事にすることも考えましたが、
このことを多くの方に共有したい気持ちがあり、
母への恐怖よりも、自分の直感を大切にすることにしました。
この気付きに関連して、子育てについても気付いたことがあったのですが、長くなるのでまた別の記事で書きたいと思います。
最後に、直接母には言えないけれども、私の心からの叫びを、
私の推しの言葉をお借りしてここに残したいと思います。
『生殺与奪の権を他人に握らせるな!!』
あ、だから私は冨岡義勇が好きなのか。
今週は色々と腑に落ちました。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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