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なぜ2016年に新たに活版印刷工房を開いたのか?―活版印刷ユニット「まんまる〇」に聞く①

西日暮里駅と田端駅の中間あたり、荒川区の住宅街の一角に、小さな活版印刷工房がある。
2016年にオープンしたこの工房を運営しているのが「まんまる〇」。デザインや営業を担当する若林亜美(わかばやし・あみ)さん、印刷を担当する竹村渉(たけむら・わたる)さんの夫婦による、活版印刷&デザインのユニットだ。
私は2018年、どうしても自作の同人誌の表紙を活版印刷で刷りたくて、まんまる〇に印刷を依頼した。紙とインクは実物を見て相談して決めたいとお願いしたら快諾していただき、工房を訪れたら、私とそこまで年の変わらない若い人が運営していて驚いた。
もともと活版印刷とは縁もゆかりもなく、紙やインキの買い方も知らないところから工房を始めたというまんまる〇。印刷が斜陽産業と言われる時代に、二人はなぜ、新たに活版印刷工房を立ち上げたのだろうか。

テキン(手動の卓上活版印刷機)が並ぶ、まんまる〇の工房

そもそも活版印刷とは

活版印刷とは、鉛合金でできたハンコのような「活字」を並べてインクをつけ、紙に押しつける印刷方法のことをいう。
日本では明治時代初期に本格的に広まり、1970年代まで印刷の主流だった。若い人でも古い本を手に取ったことがあれば、印字された文字が凹んでいたり、インクが掠れていたりするのを見たことがあると思う。物理的に版を押し付けて刷っているから、紙が凹んだりインクが掠れたりするのである。

さらに詳しく言うなら、活版印刷は「凸版(とっぱん)印刷」の一種だ。
文字通り、「版のでっぱった部分にインクをつけ、それを紙に押し付けて印刷する」のが凸版印刷。小学校の図工の時間に木版画をやったことのある人も多いと思うが、あんな感じで凹凸のある版を作る。
凸版印刷に用いられるのは木版、ゴム版などいろいろあるが、その中でも活版印刷の特徴は何より、刷るページごとに「版を組み上げる」点にある。

印刷には、ある時代まで木版が多く用いられていた。前述の木版画のように、木の板にそのページぶんの文章を彫りつけるのだ。しかしこの方式では、その都度版を一から彫らなければならず、大量のコストと手間と時間がかかる。いわゆる「瓦版」はこの方式で刷られていたわけだが、何ページもある大判の新聞など、これで刷ろうと思ったら大変なことになるだろう。
そこで、金属を鋳造してひと文字ずつの版を作り、これを自在に組み替えてさまざまな文章を作ることができるようにしたのが「活きた版」、すなわち「活版」だ。

活版印刷で使う活字。
鉛合金を鋳造して作られており、日本で製造している会社はもう数えるほどしかない

現在「活字」といえば印刷された文字や文章全般を指す言葉になっているが、元々は活版印刷に用いる、文字の彫られた金属のはんこのようなもののことだ。活字は鋳型さえあれば大量に生産できるし、欠けたりすり減ったりしても、溶かして再び活字に鋳直すことができる。
活版印刷は、日本では明治時代初期に本格的に広まり、1970年代まで印刷の主流だった。

活版印刷ブーム、その一方で減り続ける活版印刷所

凸版印刷、特にその中でも活版印刷は、現在の主流であるオフセット印刷の台頭や、印刷データのデジタル化などにより激減した。
その一方で、近年ではそのレトロな雰囲気や手作り感などから、若者を含め活版印刷への関心が高まっている。文房具ブームも相まって、LOFTなど大型雑貨店でも「活版」を打ち出したフェアが開かれるなど、活版印刷による「ちょっとした特別感」を打ち出した紙小物に触れる機会は、一時期に比べて格段に増えた。
ほしおさなえさんの小説『活版印刷三日月堂』シリーズが人気を博したり、2017年には「大人の科学」で「小さな活版印刷機」が付録になったことも「印刷好き」界隈で話題になった。活版印刷に文化的・芸術的価値を見出す人が増えていることは間違いない。

こうしたブームを語る上で外せない人物がいる。
活版印刷会社「弘陽」(東京都中央区)の代表、三木弘志(みき・ひろし)さんだ。
「活版整版家」を肩書きとしている三木さんは、活版印刷業界ではよく知られた存在だ。長年、活版印刷を生業としており、母校でもある都立工芸高校の講師として活版の実習を行う中で若い世代の声に触れたことをきっかけに「活版印刷の灯を消してはならない」と使命感を抱き、2006年には有志で「活版工房」というワークショップを立ち上げた。活版ブームを作ってきた一人だ。

弘陽代表の三木さん。三木さんが活版で印刷した文字はポスターや映画・CMなどの映像作品にも多く使われている。「宣伝してないんだけど、みんな紹介でうちに来る。活字で刷った文字は他の文字より目立つんだって」

三木さんがこうした活動を始めた約20年前は、現在に比べて活版印刷所が多くあったが、表に出てくるような存在ではなかった。活版印刷も当時は当たり前の印刷方法の一つであり、あくまで情報を残すための手段でしかなかった。値段も安かったが、やがて台頭してきたオフセット印刷の値段に対抗するべく、どんどん値段を下げてしまった。そうして活版印刷所は数を減らしていった。

経済産業省の工業統計によると、全国の凸版・活版印刷の事業所数(従業員4人以上)は、1978年時点で9839社あったが、2019年の調査では732社。印刷業そのものが縮小している中、全体に占める割合は9%だ。従業員3名以下の事業所はカウントされていないので正確な数字は不明だが、この30年で業界がいかに縮小してきたかわかる。

そんな活版印刷業界のブームと衰退、両方の影響を受けて「まんまる〇」は生まれた。

「活版が好き」から、自宅で始めた活版印刷ユニット

まんまる〇は若林亜美さんと竹村渉さんの夫婦によるユニットだ。
2013年に27歳でデザイン系の会社を辞め、フリーのデザイナーとなった若林さんは、もともと活版印刷が好きだった。美術系の大学で出版・印刷系のゼミに所属していた「紙好き」で、活版印刷のイベントにもよく足を運んでいたという。
2013年当時、活版印刷はすでに「レトロで可愛い」ものとして再注目されており、関東でも関連するイベントがいくつか開催されていた。たくさんのイベントに足を運ぶうち顔見知りになったのが、当時そうしたイベントでワークショップを行っていた、弘陽の三木さんだ。
三木さんは若い世代に技術を伝えるため、イベントとして行うワークショップ以外にも、自社の工房で活版を学びたい人を幅広く教えている。「そんなに活版が好きなら一度工房に遊びに来たら」と誘われ、若林さんも三木さんの「教え子」になった。
「ただ、三木さんも当初は私が活版を仕事にするとは思っていなかったようで、やりたいなら教えてあげるけど趣味の範囲でね、という感じでした」(若林さん)
若林さんは、当初は自分の手で印刷をするつもりで工房に通い始めた。しかし次第に、自身は活版印刷職人には向いていないと感じるようになる。
「習う中で印刷や組版をできるようにはなったものの、自分がこれを仕事にするのは厳しいと感じました。飽きっぽい性格なのもあって、求めるクオリティのものが1枚できると満足してしまうので、同じ精度のものを100枚、500枚、1000枚と印刷し続けることはとてもできない。
それに活字組版というのは数学的で、きちんと計算して組んでいかないといけない。私は根っからの感覚派な上に、パソコンでのデザインに慣れているので、パソコンでやった方が楽だと感じてしまう」

一方の竹村さんは、もともとはデザインとも印刷とも関係のない、飲食業の会社員だった。
「シンプルなものが好きな私と違って、竹村は可愛い紙小物なんかが好きなタイプ。活版のイベントでは可愛い紙雑貨の販売も多いので、私がイベントに行くときに、竹村も誘ってみたんです。そこでテキン(手動の活版印刷機)での活版印刷体験をしたら、彼は『この機械、すごい面白い!』とハマってしまって。この人、機械が好きなんだ!って、そこで初めて知りました」(若林さん)
「機械の面白さ」から活版印刷に魅了された竹村さんは、若林さんに続いて三木さんの工房に通うようになる。寡黙で、黙々と同じ作業を繰り返すことが苦でない竹村さんには、印刷職人としての適性があった。

「工房に通い始めて半年ほど習ったあたりで、三木さんから『あなた(若林さん)は印刷には向いてないから、活版を本気でやるなら竹村さんが印刷して、あなたはデザインとか営業をやった方がいいよ』と言われて。私も自分は向いていないと思っていたので納得して、そこからは竹村だけで通って技術を学びました」(若林さん)

しかし三木さんによれば、それは若林さんだけに言っている台詞ではないのだという。「活版業界自体はずっと沈み続けていて、印刷だけでは食べていけない。だからデザイナーが本職の人には『デザインの仕事を取りなさい』と言っているんです」(三木さん)
三木さんの「教え子」は数多い。しかし「テキンを持っている子はたくさんいるけど、工房まで持ったのはまんまる〇さんくらいじゃないかな」。

そうしてスタートした二人も、最初から工房を持っていたわけではない。テキンは小型冷蔵庫ほどのサイズで、あまりスペースをとらないため、当初は自宅で印刷を行っていた。2014年に「まんまる〇」という屋号を作り、ハンドメイドイベントでのオリジナルカード販売などの活動を開始。当時はまだ趣味の延長で、名刺印刷は知り合いの依頼のみ受けていたという。
そうした活動と並行で、竹村さんは三木さんの工房で勉強を続けていたが、やがて「仕事としてお金をいただいてよいレベル」と認められ、2015年から本格的に印刷の受注を始める。

やがて活版業界の中での人脈も広がり、人づての紹介で活版印刷ワークショップやイベントなどの仕事が順調に増えていった。しかしその順調さのために、平日は会社員として働き、休日はまんまる〇として活版の活動を行っていた竹村さんには、休みというものが全くなくなってしまう。専業の仕事として活版印刷をやっていけるかはわからなかったが、体を壊しては元も子もない。会社を辞め、2016年からは活版に専念することに。
「竹村は当時すでに40代。その年でまったくの異業種で独立するというのは、かなりのプレッシャーじゃないですか。でも活版をやってる人たちはみんな60歳とか70歳だから『若い若い』って言われて(笑)。知っている方の中で最年長の方が80代でまだ普通に仕事されていたので、まだあと40年できるならいいか、って」(若林さん)

工房開設のきっかけは、廃業する印刷所からの「活字を引き取ってほしい」

「現在、活版印刷所をやっている人には大まかに2種類います。家業としてやっていたなどの理由で、もともと活版の設備を持っていたというパターンと、何もないところからただ好きで始めたというパターン。私たちは完全に後者なので、なんの後ろ盾もないし、紙やインクの買い方など、何もわからない状態から印刷所を始めました」(若林さん)

マンションの一室で印刷を始めた二人が工房を持つことになったきっかけは、知り合った活版印刷業者が病気で廃業するにあたり、大量の活字を棚ごと引き取ったこと。自宅には置いておけないため、当初は置き場所を借りていたが、その後も廃業する印刷所から「活字・活版印刷機を引き取ってほしい」という話が次々と舞い込んできた。
「2015〜16年頃はまだ活版の人気が今ほどではなくて、廃業する方が多かったんです」(若林さん)
仕事も少しずつ増えてきていたので「もう思い切って工房を借りたほうがいい」と決断。2016年1月、現在の工房をオープンした。

荒川区にある工房の外観。「周りに印刷関係の会社も多くて、街の雰囲気もいい。この物件の前の借り手も印刷所だったそうで、内見に来たときに知って驚きました」(若林さん)

工房内は竹村さんが印刷作業をする場所や、若林さんがデザイン仕事をする場所があり、入り口付近にはまんまる〇オリジナルのポストカードなどの販売スペースも設ける。最近では、誰でも気軽に工房を訪れて活版印刷を体験できる「オープン工房」も不定期に開催している。

工房の奥は若林さんがパソコン作業をしたり、訪れた人が座って相談できるスペースになっている

工房内はテキンや活字をはじめとして、自動の活版印刷機や活版校正機など、古い機械や道具でいっぱい。その多くは廃業した印刷所からここへ集まってきたもので、今では製造されていないものばかりだ。

電動の活版印刷機「デルマックス」。これも現在は製造されていない
廃業した印刷業者からは道具だけでなく、昔の活版印刷用品カタログなども譲り受けて保管している。今では作られてない道具や什器が大量にあり、業界に活気があった頃を偲ばせる

「まんまる〇」という屋号は若林さんが作った。「人の縁」や「人々が集まる円卓」をイメージしているという。
「もともと私が〇というモチーフが好きだったのもあるんですが、ありがたいことに人の縁でここまでやってこられたので」(若林さん)

ちなみに、ロゴにも用いている「まんまる〇」の文字は、三木さんが活版で刷ってくれたものをスキャンして使っている。しかし工房を立ち上げるとき、一番反対していたのも三木さんだった。
「『絶対、仕事ない』って仰ってました。でも、ここまで残ってこられたのでよかった」(若林さん)

あえて飛び込んだ「斜陽産業」だからこそ、前向きに

まんまる〇の師である三木さんは活版業界について、あくまで沈みゆく業界と認識している。だからこそ三木さんは映画やCMなど、印刷物以外にも活版印刷の活躍の場を広げながら、活版の生き残る道を模索してきた。
それに対して若林さんは「私は最初から、自分の好きなものが『斜陽産業』だということはわかっている世代」と語る。
「家業として長年やってきていたり、活版を『稼げる仕事』として始めた時代の方はそれをマイナスに捉えることが多いけれど、私たちは承知の上でこの仕事を始めている」
その上で、「活版が好きな人からの仕事しか来ない」という傾向を、最近ではメリットとも感じているという。
「活版印刷が斜陽産業となってしまった一因は、時間と手間の掛かるものにも関わらず、オフセット印刷に対抗しようとして価格を下げてしまったこと。だから、まんまる〇が活版印刷を仕事として始めたとき、三木さんからも『印刷代は下げないように』という話がありました。
その点、活版印刷が好きでまんまる〇に来てくれる方は、多少高価になってしまっても注文してくれる。『大量生産で安く作りたい』という依頼は、そもそもうちには来ないですから」(若林さん)

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