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ワイン知らずのワイン談義:最終回 ワインと所得とキリストの奇跡
耳を肥やすとか目を肥やすといいますよね?良い音楽を聴いて音楽に対する感性をみがく。あるいはルーヴルやオルセーに行き古今の質の良い絵画や彫刻を見て美的教養を高める。
同じことはスポーツや劇などにしても同じこと。陶磁器や書でも同じ。
となるとワインでも良いワインに馴れないといけない。でなければ本当に良いものは分からない、という論法がなりたつ。だけど、これは誰にでもやれるものじゃない。
音楽は複製技術が進歩してコンサートに出向く必要はないかもしれない。ましてすでに過去のピアニストの音楽は録音媒体を使うしかない。絵画は現物を見たほうがいいのは当たり前だが、だいたいのところは印刷物や液晶画面でわかる。一般大衆にはそれしかない。どうせ美術館に行ったところで群衆に押されて絵を見れるのは10秒とか20秒だろう?
ところがワインはそうはいかない。今のところワインの複製はできない。実物でないとだめだ。すると楽しむ人の経済力が直接問題になる。だって一本100万円のワインを買うのは現実的じゃないでしょう、普通の人なら。いくらお金持ちだと言ったって毎日100万円のワインを抜くわけにはいかないだろうし、よほど悪事を働いて金を稼いでる連中でないかぎり。それに金のある人ほどケチだと言うし。
というわけでワインの話はこれっきりにします。貧乏人の私が話題にしても意味がない。
それとも安ワインを話題にして「これは5ユーロ/リッターのワインだけど、なかなか捨てがたい、この添加された粉末アルコールの香りが・・・」とでも言うとか?スーパーにはそういう10ユーロ未満の安ワインがたくさん並んでいる。そしてフツ―のフランス人が買うワインはそれくらいのものだ。1本20ユーロともなれば、一般フランス人にはかなりの出費になる。でも上を見れば一本100万円を超えるワインがゴロゴロしている。
そうしたもんだから、ワインの話はしない。ワイン談義はお終い。
でもワインは飲み続ける。
ワイン界のマルセル・デュシャンが出現してポリタンク入りワインに「これはワインだ」と書いてくれるのを待つのみ。
となるとキリストがカナの婚姻でやったただの水を良質のワインに変えた奇跡はそうとうのもんだね。2000年前、すでにワインと所得の相関をぶち破って神の前の平等を主張していたんだから。エライ!さすがは教主様!
ま、結論としてはすべて文化資産は高所得者のものである。一般大衆は騙されているだけ、という認識を新たにしただけでも善しとするか、このノート。
それじゃね、またドーゾ。
絵:フリーハンドのデッサン 筆ペン使用