『radio510』ということをやり始めたのが2021年が最初でした。17:10~スタートする5時間10分のFacebookライブ。Facebookだと見逃すからとYouTubeに移行して今年は2年目。含めると4年やりました5月10日のライブ配信。計20時間40分。 やっているうちに「じゃあ尾道に行くわ!」という方が増え始め、それが広がり今年は35名の方が会場に。なんで…?? それを『510フェス』と呼ばれるようになり、なにより尾道に来てくださるのがありがたく。(1年越し
①背景の書き出し私の関心の中心は「コミュニケーション」があって、おそらくすべての活動はこれが欠かせない。 人の可能性の一つに創造性があると思っている。AかBかの対立のなかでCという選択を導き出せることは人のもつ可能性と信じている。 その「C」を導き出す手段がコミュニケーションだと思っている。 ②3つのやりたいこと始めています2024年1月に独立してやりたいことがいくつかある。大きく分けたら3つ。やりたいことというよりも、頭にずっとあって吐き出せなかったことなどもある。ほ
「尾道をフィールドにコワーキングをしてみたい」となんとなく思った一方で、でもそれってどういうことなんだろうとその整理はまだできていない。 一方でXでこうつぶやいた。 1月14日のこと。その前にメルボルン大学で教授を勤める友人のナンシーから連絡があった。「16人ほど学生を連れて地域研究のため尾道に行くから会いましょう。ONOMICHI SHAREを見学して、移住の話を少し聞いて、また地域の人たちと交流がしたい。」ということで、この日に彼女たちは来てくれた。 学生さんのため
大阪 福島のコワーキングスペース「GRANDSLAM」さんからのご紹介で、アドベントイベントとして、コワーキング的なブログの12月4日の分を担当してみることになりました。 前回の投稿で、12月末でONOMICHI SHAREの事業責任者を卒業することを述べました。いろいろな反響ありがとうございます。自分のなかでは、ONOMICHI SHAREであることと自分の取り組みの整理をそろそろしないとなと考えていたところなので、それをせっかくなので今回やろうかなと思います。 ONO
尾道に来て、次の1月でちょうど8年になる。今の仕事に就いたのはそこ引っ越し直後で、翌2月のことだった。 コワーキングスペースでの仕事も、尾道という新しい環境での暮らしも初めてのことだった。 尾道に来た当時は29才で、私には危機感があった。多分に失礼になることを恐れずに言うと、社会人経験もほぼない状態で地方に行き、ここで何もしなければ、友人などと比べたときに本当にどうしようもない人間になっているような気がして怖かった。 コワーキングスペースでの仕事が始まり、最初の1年はほ
『radio510』とは 「5月10日って #後藤の日 だからなんかやったほうがいいんちゃうん?」みたいな話があって、最初にFacebookで5時間10分のライブ配信を行ったのが2021年のこと。(PM5時10分からスタートしています) そこから3年間、毎年5月10日にはこのライブ配信『radio510』を開催しています。今年はYouTubeライブで配信しました。それがこちら↓↓↓ 2021年はまだコロナ禍真っ只中でしたね。まだまだオンラインで何ができるだろうかという時期
尾道市の2023年の市長選。 自分がずっと悲しいと感じることは、「このまちはそんなにダメだろうか」ということ。 もう一つは、まちのためにと頑張っている人がいて。上記のための施策で、外からいろいろともってくることは、解釈では、まだ答え出てなくてもそこを目指して頑張る人たちをそもそも見ていないように感じてしまう。 私は、外から持ってくることはかまわないけれど、街のことはその街に住んでいる人が頑張って良くしていくほうがいいと思っているので、外に方策を求めるなら、今地域内で頑張る
オンラインでのトークイベント、トークセッションのファシリテーションをやらせてもらうことがある。コロナ禍前はリアルでやってきたことをオンラインにシフトした形だけど、元から一人で運営をやることが多かったのでオンラインでも進行を一人でやることが多い。一応、もうコロナ禍から2年経つのでわかりきった情報だけれど、オンラインのトークセッション中に私が手元でやっていることを備忘録的に書いておく(大きくわけると「進行」と「機材」になる)。 【進行】 ・司会 ・資料共有 ・チャット管理(Q&
TOUCH×MATCH MEETUPというイベントをしていても、ONOMICHI SHAREというコワーキングスペースのスタッフをしていても、偶然人と人が繋がること、情報が繋がることがある。このときは、まるで力場が発生しているかのように、その話題に対して人や情報が繋がっていく。 会話はおもしろい。「そうかも!」「そうそう、だったらこういうのもありじゃない?」「実はこうでした!→私も!」みたいにどんどん話が繋がったり広がるときに力場が発生するのかもしれない。そういうときは、場
昨日とあるインタビューでの自分の発言を校正していて。表題の部分に対するアプローチに関心あるんだなと改めて思いました。自分にとっての挑戦でもあるんだけど。 組織との対話は私自身、不得意なことでもあります。子どもの時期の家族に対しての対話が上手くできず悩んできた経験があるからです(結局上手くいった=お互い納得のいく結論で対話を終えたことはなかったけれど。) 私が感じるこれからの時代は、個々人の主張は強くなると思います。強くなるというか当たり前のように主張するようになると思う。
コワーキングスペースには日々いろいろな人が訪れる。デスクワークの場所を求めに来る人にとっては必ずしも必要なことではないけれど、日常とは離れた場所に来た人にとって、旅の醍醐味のようなものとして「出会い」「繋がり」を期待する人もいる。場所にもよるけれど、そういう場所はコワーキングのスタッフが「意図して」偶然の繋がりを作っている。あるいは、偶然の繋がりが起こる可能性を意図的に高めている。 偶然を意図して起こすという矛盾は、私は現実のものとしてあると思っていて。それを感覚的に理解し
「余白」という言葉は自分にとってオラクルにも近い言葉で、仕事のなかでもキーワードとして相手の言葉としてよく耳にする。 言葉の認識は、どの言葉(単語)がその人の耳に残るか、というのは人それぞれできっと異なっていて、それはそのとき関心の高いもの、ということもあるし、その人の人生で重要度が高いものというものもありうる。つまりは耳に残らないものは残らないとしたときに、私のなかで余韻が響く言葉が余白である。 余白の検討ということを少しやってみたい。余白の提供はきっとできると思うので
きっと私はよりみちが好きらしい。思い返すとこの人生、かなり寄り道をしてきた。 大阪外国語大学という大学は、4年時に合併され大阪大学になった。そこから3年間、大阪大学という環境をブラブラとしていた。 就活は途中であきらめ、大学を卒業するときは、同級生のご両親にお声掛けいただき2か月ほどフランスに行った。その後帰国してからはフリーター。商店街でイベントもいろいろやった。ギャラリーで個展もやった。 自分が苦手なこと。自分ではないと思っていたことも触ってみた。服が苦手ならアパレ
コロナ禍が始まったのが2020年。2年経ち、少しずつリアルのイベントも戻ってきたようです。一方でオンラインという世界の活用は飛躍的に進みました。特に、ZOOMのようなオンライン会議ツールはインフラに近いものとなり、ミーティングでは当たり前のように使われるように。確かに、画面共有もできるし、電話的に耳の拘束があるわけでもない(ZOOM中の「あ、ちょっとごめん!」って一瞬離席するあの自由さもまた独特ですが)ということもあって、なんとなくじゃあZOOMで、になってしまいました。
(以下、Facebookより転載) おかげさまでONOMICHI SHAREは1月15日をもちまして6周年を迎えました。 https://www.facebook.com/onomichi.share/posts/2914450038811843 ■私は、一応会社員(笑)です。移住が決まり、そのタイミングでご縁をいただき、未経験からシェアオフィスという仕事に就かせていただくことになりまして5年経ちました。 実はそれまでは、本当にビジネスというものはすごく嫌いで、働くこと
先日インタビューで、コンシェルジュってどんなお仕事ですか?と聞かれた。「コンシェルジュとは何か」という定義については、私もこの業務に就いてから一番時間をかけて考えたことだ。 イメージするのは、ホテルのコンシェルジュ。聞かれたことには何でも返す、というイメージがTVの特集などの影響かイメージをもっていた。※余談ではあるけれど、私はきっとホテルのコンシェルジュの様にシュッとしたのは難しい。性格の問題かな。 元々のconcierge。フランスでは管理人。アパートの管理人。特別サ