野村胡堂の「銭形平次捕物控 傑作集二」を読む
今回もカミさんが読んだ本からセレクトしてくれた本だ。「最初の頃の本だからずっと昔のやつ」だというという。お恥ずかしながら野村胡堂を僕は知らなかった。
野村胡堂は正真正銘銭形平次を生み出した方でした。野村胡堂は1882年、岩手県の生まれで盛岡中学から第一高等学校、東京帝国大学へと進んだ。中学時代の同級生に金田一京助がいたそうだ。学費が足らず大学を中退し報知新聞を発行する報知社へ入社、人物評論欄「人類館」の連載を担当する。この際に胡堂を名乗るようになったのだという。
綿々と続いていたはずの銭形平次ものの原作者がいる、ということ自体僕には意外な話でありました。だってテレビドラマだと思っていたからだ。一方で読み始めると平次は八五郎のことを「フェミニスト」だ等と言うのである。昔の本?これが?
半信半疑のまま読み進んだのだけど、まるで落語のような軽妙さに、ぽっかりと浮かぶ情緒あふれる江戸の情景、クリスティーの短編小説を彷彿させるような鮮やな物語。無駄がない。なんだこれすごく良くできているじゃないか。それもそのはず傑作選だもんね。
巾着切りの娘
金の茶釜
刑場の花嫁
仏紙の娘
父の遺書
母娘巡礼
1931年。文藝春秋発行の『文藝春秋オール讀物號』創刊号に捕物帳の執筆を依頼され、銭形平次を主人公にした「金色の処女」を発表、『銭形平次捕物控』の第1作目であった。これ以降、第二次大戦を挟んで1957年までの26年間、長編・短編あわせて383編を書いたのだそうだ。これをもとにテレビ番組化された「銭形平次」はギネスブックに最長のテレビドラマとして認定されているという。どうりでいつもやってるように見える訳だ。
銭形平次,子供の頃テレビでやってて祖母や年寄の親戚がよく観いてたな。お茶のみによった年寄が「これを観ないと]みたいになって我が家のTVで時代劇を見始めてしまうというのは実際ちょくちょくあって、観たいと思っていたテレビ番組を見落とすなんてこともあった。あまりにも地味なタイトルバックで僕には全く興味がなく,脇で本を開くか、その場から離れるかとしていたと思う。
時代劇なんて年寄がみるもので面白くもなんともない。そう銭形平次は興味がなかったというよりも嫌いだったというのが正確なところと言ってもいいだろう。同じように水戸黄門も大相撲も訪ねてくるお年寄りが家で観ていくテレビ番組ベスト5的なやつだった。
親戚のみんなは皆いい人たちで嫌いな人なんていない。しかしダメなのはテレビ番組だけじゃなかった。山菜取りもキノコ狩りも植物音痴だった僕は全くついて行けず、昆虫も蛙の卵も触れなかった。本家に行って自家中毒を起こして夜中に帰ってくるなど、結局僕は親戚筋の行動生活様式に全くなじめなかったのだ。
おふくろは結婚前アメリカ大使館に住んで通訳の仕事をしていたそうで、親父と結婚したあと本家との関係に嫌気がさして東京に逃げ帰った事があったという。長男でありながら故郷仙台を離れて暮らしている僕はおふくろの情緒と感性を受け継いでいた訳だ。僕はこんなに解りやすいことを気づかずに生きてきたのである。銭形平次を読んで本当の自分に出会えるとは・・・。しばし茫然である。