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スティーブ・コールの「シークレット・ウォーズ(DIRECTORATE S: The C.I.A. and America’s Secret Wars in Afghanistan and Pakistan)」を読む

どうやって取材したらこんな本が書けるのか。まるでその時に現地にいてみていたのかというような内容が全編を通じて描かれている。
しかし、長大で物理的にも重たい本を読み切るのは気力と体力と根気が必要でした。
事態はもつれにもつれている上にアフガニスタン、パキスタンの方々の名前は覚えにくくて、結局誰が誰やら・・・・。

混迷するアフガニスタンに民主的な政府を樹立し安定化させる。一見常識的に見えるアメリカの戦略は事態を泥沼化した。アメリカ政府はアフガニスタン、パキスタン政府と折り合い、決裂を繰り返し、アルカイーダ、ビン・ラーディンなど複数のテロ組織とも戦っていた。しかし無人機による爆撃攻撃はテロ組織の首謀者のみなならず一般市民、子供を巻き込んで死傷させ、市中の偵察活動はす一般市民を巻き込んだ死傷事故を繰り返していた。やがてアフガン軍の兵士や警察官からアメリカ人に対する攻撃が増加していく。現地での実態は三つ巴どころでは済まされない緊張した状態にあったのだった。更にはアメリカの政権スタッフと軍、CIAはそれぞれ意見が異なり衝突を繰り返していた。

それにしても事態はどうしてここまで混迷を深めてしまったのだろうか。本書の内容から少し離れてアフガニスタン、パキスタンの近代史を振り返ってみると、意外にも日本が第二次世界大戦で行ったインパール作戦の失敗がインドのイギリスからの独立を促進し、それがパキスタンの分離に繋がったことがわかった。

日本は1945年8月15日に連合国に降伏した訳だか、それに先立って日本軍はビルマ戦線でイギリスに押し返されていた。このインパール作戦で日本側につきイギリスの排除を試みたインド国民軍の将兵は極刑にされることとなった。このニュースがインド国民に伝わると大暴動となりこれがインド独立の契機となったのだという。

この独立運動のなかでイスラム教徒とヒンドゥー教徒の対立が生じ、ヒンドゥー教徒地域がインド、イスラム教徒地域がパキスタンとして分離独立をすることとなったのだという。更にこのとき、パキスタンに組み込まれたインド東部のイスラム多数派地域は、後にバングラデシュとして分離独立。パキスタンの西南、アフガニスタン南部にあるバルチスターンは1952年にバルチスターン藩王国連合として独立するが、パキスタンに軍事併合され、1955年にはバローチスターン州とされた。

アフガニスタンは1919年に第三次アフガン戦争に勝利しイギリスからの独立。1926年、国名をアフガニスタン王国とする。1939年に開戦した第二次世界大戦では、日本やドイツなどからなる枢軸国、イギリスやアメリカ、ソ連からなる連合国の、どちらにもつかない中立国であった。しかしパキスタンがバローチスターンに加えてアフガニスタンも併合しようとしたため、アフガニスタンはパキスタン領内のパシュトゥーン人を支援して「パシュトゥーニスタン独立運動」を起こし牽制し両国の対立が鮮明化した。

1958年、パキスタンはクーデターにより軍総司令官だったアイユーブ・ハーンの軍事独裁政権が誕生。続いて1973年、アフガニスタンでもクーデターが発生、国王が追放となりアフガニスタン共和国が誕生した。アフガニスタン共和国は社会主義を標榜、社会の近代化と軍事近代化を目指しソ連に接近していくことになる。これによってイスラム主義者たちの弾圧がはじまる。ソ連の共産主義は無神論で宗教・寺院を排除する方向で政策運営されていたからだ。

1978年、ムジャーヒディーン(イスラム義勇兵)が蜂起し、アフガニスタン紛争が始まった。ソ連のブレジネフはアフガニスタンやソ連国内へイスラム原理主義が飛び火することを恐れ、12月24日にアフガニスタンへ軍事侵攻する。

この動きを受けてアメリカはパキスタン経由でムジャーヒディーンに対しスティンガーミサイルをも含む支援を開始していくこととなる。この結果、ソ連の対ゲリラ戦を熾烈なものにし、1988年のアルカイーダの誕生、そして1989年にはソ連の撤退とタリバーン政権誕生に繋がっていった。ソ連軍の撤退後に事態が収まることはなく、今度は国内の支配をめぐって2001年まで続くアフガニスタン紛争が始まるのだった。

このアフガニスタンの国内紛争にアメリカが介入はかつて支援を行っていたイスラム義勇兵たちにしてみれば完全な裏切りであり、アメリカとイスラム原理主義者たちとの対立の激化を生んでいく。

アルカイーダは1993年に世界貿易センター爆破事件、1994年にはフィリピン航空434便爆破事件等を起こし、国際的テロ組織との闘いが開始された。
1996年、タリバーンがカブールを占領し、アフガニスタン・イスラム首長国の成立を宣言。米国の指示にタリバーン政府カブールマ・ビン=ラーディンの国外追放を実行、ビン=ラーディンの率いるアルカイーダはアフガニスタンに入り、タリバーンと接近していく。

アルカイーダは1998年、ケニアとタンザニアのアメリカ大使館爆破事件、2000年10月、アルカイーダはアメリカのミサイル駆逐艦コールに自爆テロ攻撃、そして2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件を起こし事態は全面戦争の形相を呈していく。

こうした経緯を経ながらもアメリカ政府はアフガニスタン紛争を終結させアフガニスタン政府の安定的樹立を目指しつつ、ビン・ラーディンを探し出すことを同時並行的に進めようとしていた。アフガニスタンもパキスタンもアメリカも互いのことを信用がおける相手であるとは考えておらず、ビン・ラーディンの居所も意図的に隠されている可能性があった。またアフガニスタン紛争の終結に向けた計画の脚をパキスタンは引っ張ろうとしている、アメリカ政府もアフガニスタン政府の転覆を目論んでいるのではないかと互いに深い疑心暗鬼に陥っていたのだった。

本書はまさにこの同時多発テロ以降、アフガニスタンとパキスタンを舞台に、CIA、ISIといったインテリジェンス機関、各国政府や軍の主要当事者の言動を丹念に追うとてつもない労作となっていました。

山場はなんといってもビン・ラーディンの追跡劇となる訳だが、本書はこの急襲作戦をサイドストーリーとし、作戦実行に向けて動いたオバマ大統領や政策運営スタッフなどの関係者の動きを追っていく。

2009年のアフガニスタンの大統領選挙や現地語を操る技能を買われて派遣された米軍士官の物語などニュースを読んでいても決して知ることのできないエピソードに溢れていました。気力・体力に自信がある方はぜひ挑戦してみてください。

ビン・ラーディンは複数の選択肢から選ばれた方法、処刑に近い形で殺害され水葬という名目で海の藻屑となって消えていった。しかしその後イスラム国の台頭等中東情勢は引き続き不安定で散発的な戦闘やテロによって現地の人々は非常に苦しい生活を強いられている。
果たして何が間違っていたのだろう。どうすればよかったのだろう。
またどうすればこの泥沼から世界は脱することができるのだろうか。

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