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柔軟性があって良かったこと

私は、立ったままで前屈して床に手のひらを手の平をピッタリつける事ができます。
前屈に関しては、そこそこ柔軟性があると言えると思う。

と言って、自分の柔軟性を誇っての話ではない。
ちなみに、柔軟性は誰でも手に入れる事ができると思う。
時間はかかるけど(私は10年かかっている)。

さて、この柔軟性があっていいこと。
床にある物をしゃがまなくて、そのまま腰を曲げてストレスなく取れること。

なんだそれだけか、と思うかもしれないが、これがすこぶるいい。

なぜ、これに気づいたかというと、先日膝を痛めたからだ。

幸い、即手当てをして、ひざにかける力の方向などを微調節して、次の日には2時間程ウオーキングしても大丈夫な程に回復した。

しかし、その過程でひざを庇うように体を使ったので、腰に負担がかかったのだと思う。
腰が硬ってしまった。

その結果、腰を曲げると違和感があり、床に手の平をスッと着けるような具合にはいかなくなっていたのです。
スッと曲げられないだけではなく、痛みの前段階のような感覚があり、それに対する防御反応で動きがぎこちなくなった。

この、自分の体を自由にコントロールできないという感じの気持ちの悪さ!

これは嫌だねえ。本当に嫌だ。

柔軟性があるということは、自分の体を自分でコントロールできるということであり、それは人生をコントロールすることにも繋がる感じだ。

反対は、自分がこのコントロールを失い、ままならぬ想いと苛立ちを抱きながら過ごすということになる。

この精神的影響は、大きいと思う。
少なくとも私には。

だから、体の柔軟性を確保するというのは、甘く考えていいことではないと思ったのでした。


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yasu
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